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2010年3月15日 (月)

旅愁

ふらっと、の、つもりで出た旅は、日本海の海を観たさの感傷だったが、天候不順と旅程の長さの都合でリタイア。まあ、sentimentなんてこんなもんです。とはいえ、いざ出発のとき、名古屋駅ホームで、どうにもこうにも恐怖を感じた。不安というのではナイ。そうして「死」に対する恐れというのではナイ。おそらく「死」というものを、ふつうのひとよりは恐れてはいない。だからそれは、57年生きてきて、これからも生きることに対しての「生」への恐怖に思えた。とすれば、まるで予行演習のような旅だ。たぶん死に行くときもこんなふうなのだろうと思ったが、前述したように、それについては恐れはナイ。ただ、もしまた生きるところへ帰ってこなければならないのだったら、それは怖いことなんだなと、思ったのだ。それから、ぼんやりと、魚類が、陸に上がって両生類になる進化を思った。なんで、あいつら、陸に上がったのか。そこに陸しかなかったからという答えしかあり得ないのだが、何世代もの死を賭した、上陸だったに違いない。類的な壊滅も予想される「死」を賭しての進化だ。ただ、彼らは魚類という「生」にもどる恐怖を知っていたのだ。彼らにとっての「死」への進化は、恐怖の「生」からの脱却だったに違いない。何故、魚類であったことが恐怖であったのかは知るよしもナイが・・・てなことをいうほどの、だいそれた旅ではナイが、この数日の一人旅は、いまさら一人旅など出来るだろうか、という、それでも、小心の私にとっては、ささやかな試みだったらしい。とはいえ、旅の途中で考えたことは、「新しい文体であの戯曲を散文(小説)に出来るかも知れない」「二人芝居のラストシーンは、こうするのがいいのではないか」「つぎのavecビーズの芝居の舞台はこう創って、ラストの曲はこれでいこうか」で、こういうのを非業ではなく悲業という。どこにいっても、「書くこと」が追いかけてくる。で、書いた。短歌をひとつ、歌謡曲(popular)をひとつ。

星ひとつ流れて消えて帰り道 黄昏てこそみゆるものあり

わびしき 口笛 空にさえて

わが心の 思いを伝えん

愛を教えてくれたきみは いま

何処(いずこ)の星とともに眠る

ひとり歩く みしらぬ街

きょうもまた あてのない旅

悲しき 歌声 海を渡り

わが心の 思いをとどけん

恋というにはあまりに儚く

この胸のいたみ 知るひともなし

ひとり歩く みしらぬ街

きょうもまた 果てのない道| 

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