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2010年3月28日 (日)

瞬間と堆積

およそ数学は概念を扱う。点には面積が無い。線にも面積は無い。点は「点」という概念として線は「線」という概念として存在する。それ以外に存在のしようがナイ。たとえば、πとは半径1の円の面積だ。この円は、円を描く線によって、外部と内部が分かたれ、「円」という概念を持つ。この円の面積を求めるとき、外部と内部を分かつ線は、存在するのかしないのか。存在するとすれば、それは円の一部なのか、そうではないのか。そこでπの値を求めるとき、この線は、円としてその面積に含まれるのか否か。そういうことを考え出してから、やっと数学という学問がナニをやってるのかが、ほんの少しワカルようになってきた。概念であるならば、演劇においても活用出来ないワケがナイ。これを帰納するにせよ、演繹するにせよだ。・・・微分は、瞬間の速度(運動量)を求める。限りなく速度のあるものを追い詰めていく。あるモノの運動する単位時間を縮めていく。h→0、この瞬間を得るために費やされる時間が空間化したものが在る。それを積分と考えればいい。眼差しひとつ、指先の一閃、この微分され積分された状態を得るために、ココロは表出を細分化して積み重ね、脳は思考、演算をなるべく瞬時に行うべく努める。・・・「せっかちだねえ」「突然、決めるんだから」「急にいいだすんだもの」と幾度となく叱責されてきたが、それらは日常生活の時間にあってのことで、こと、演劇現場あるいは、原稿執筆に関しては、即断即決でなければならない。こっちはどういうワケか、頼りにされても、貶されたことはナイ。いわば、堆積(積分)されてきたものが、瞬間(微分)に発揮されるだけのことだ。それらは、あるカタストロフを産むので、対象が一瞬に壊されて構築される。そこには何のカケヒキもナイ。私自身は、これを美学とさへ思っているが、おおよその世知はこれを誤解しているので、私は幾度となく自らのアキレス腱にナイフの刃をあてねばならない。およそ数学とは、日常で概念として機能させるとき、そのようなリテラシーとして、憎悪され排他されることが多い。チッ、またかよ。と、天使と悪魔の声が同時に聞こえるのは、そんなときだ。

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