点と線
畏敬する数学者遠山啓さんの『数学つれづれ草』に次なる詩が掲載されている。これは拙作『私の青空』にも引用した。~万象の微を極むれば 点とこそなれこの点ぞ 我が幾何学の始原なる それ一点の行くところ 一たび動けば線となり 二たび動けば面となり 三たび動けば体となる~、ところで、四十年の生活史を残すはずの名古屋においての私の動きは、ほとんど面といえるものではナイ。四十年前、梅林と畑だけだった「植田」にやって来て、いままた植田に住んでいるのだが、そのあいだにあるのは大須観音の界隈だけで、この四十年、他に動いてはいないので、名古屋の市街地も、道路もまるで知らない。植田近隣の地名を聞かされても、さっぱりワカラナイ。だから、その近隣に出かけるのも、東京、横浜、大阪、伊丹へ出かけるのも、心的距離としては何も変わらない。これは性格資質として、私が出無精だから、なのだろうけれど、出無精であるということを、逆にその事実において認識させられたということになる。地下鉄に乗ると、四十年前は、線が二本だけだったのが、いまは環状線まで描きこまれていて、ずいぶんの複雑な変わりようだ。とはいえ、いったことのナイ駅(街)のほうが圧倒的に多いので、ほんとうはむかしから在った街なのだろうけれど、私にとっては、あたかも地中から湧いて出たようにみえる。つまり、その路線図を観て、こういうふうな街(駅)があったのかと、逆に発見を半ば驚いているありさまだ。だから、市内にあっても何か打ち合わせでの指定場所をいわれると、いちいち困惑しながら、その場所までの行き方を教えてもらうのだが、その通過点(線)を述べられると、これがまたワカラナイ。そんなこんなのうちに、私の固有な時間の外では、かってに発展があったらしく、住んでいながら、四十年前の面影など殆ど何処にも残っていないという浦島太郎を経験しなくてはならない。これは、ひょっとすると、考えようによっては運が良かったのかも知れない。つまり、私はこの街に未練というものがナイ。私はひょいと名古屋に出向いてきて、ひょいと帰る。それだけのことで、それは旅行者と比較されても同じようなもので、あまり違いがナイような気がする。
~点と点指で行き来し地図なればその爪痕の線路錆びゆく~
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