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2010年3月29日 (月)

loss and gift

東京の二流大学帰りのインテリ演劇評論屋に、無垢な劇団員がこぞって、自らの演技について「お伺い」にいったことがある。それを、劇団に持ち帰って、私の前で話すのだ。私はその評論屋の理屈も知識も認めていなかったが、劇団員は一喜一憂して、ある者は劇団を離れていった。その私の憂慮を唯一、癒してくれたのが、当時ひそかに慕っていたGFで、彼女がいうには、「ああいうひとは名古屋にいなかったので、いまだけココロがなびいているだけです」。私は劇団を解散して、そのときにこう述べた。「なべて、人間も炭素体です。あなた方の多くは私が石炭であるのかダイヤモンドであるのかの、区別が出来なかったのです」。石炭を磨いても、ダイヤにはならない。そこには1万気圧以上の圧力が必要だ。

私は一度、家庭で子供と暮らしたが、それは前妻の元カレの子供で、出産前に、覚悟はしていた。ともかく18年育てて、そこで離別して、それで私は38歳だから、もう一度やりなおせると、そういう算盤だ。18年して、「子供も大きくなってもう大人だから、これからは二人でゆっくり暮らせると思うの」と、前妻にいわれたが、予定どおり、私は離別した。新しく建った家も土地も養育費も、弁護士から支払い過ぎだと責められるくらい、充分にしたから、何の後ろめたさもナイ。義父が死ぬまでは内緒にしてもらいたいとのことであったが、それは遵守してきたので、もう、事実を述べることに憚りはナイだろう。

私は滋賀の家から逃げて、名古屋に来たが、前妻との家庭から逃げるために、仕事場を別にして、書き物をした。書き物の中に逃げ込む以外、私には場所はなかった。だから、私が38歳までに書いたものは、すべて、積極的逃避の産物だ。ところが、不思議なことに、このあたりから、仕事が減り始める。バブルは終り、小劇場演劇業界も衰退し始めるのだ。

偶然、名古屋から飛び抜けてしまったために、この地方特有の冷たい視線は、まま受けた。東京のメディアは、私のことを唯一完成度の高いホンの書ける劇作家と称してくれたが、ご当地では「北村想は女が書けない」などといわれた。むろん、私は女もましてや男の世界とやらも書いたことはナイ。私の書いたものは、すべて、私のの世界だけだ。

食っていくために書いた。テキヤの親分、人間ポンプの師匠から、「食っていく気がナイと上達しない」と戒められていたからだ。「私なんて、仕出屋ですよ。懐石料理も創りますが、ロケ弁も創ります」と、当時の週刊誌のインタビューに答えている。着ぐるみショーの台本も、二時間の舞台戯曲も、要するに、私にとっては同じで、岸田國士戯曲賞を受賞してからもそうだったから、選考委員の尊敬する、ある先生からは、早くも大衆に迎合しているといわれたが、あまり好みのではナイ演劇評論家から「B級演劇の天才」といわれたときは、正直、うれしかった。自称吉野屋作家、「早い、うまい、安い」。

いましばらく、書くことでしか、神経が正常を保てないという私事情があるので、かまうことなく書き続ける。

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