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2010年3月31日 (水)

loss and gift 2

生命体(生物)の進化には目的がナイ、というのが、科学における進化論(進化学)のほぼ統一見解のようだ。これが創造説に対して打たれ弱い要因のひとつになっている。けだし、科学というものは、「何故」という問いに答えられたためしはナイ。「如何にして」には精微に答え得るが、なじぇなの?に対しては、皆目ワカランのだ。では、「目的」がナイならば、何か、生命体(生物)は進化しなければならない「必要」があったのだろうか。これも科学(進化論)においてはワカラナイ。もちろん、創造説は、それに答える必要がナイ。何ごとも神の配慮なのだから。スピノザはしかし、これに答えてしまったことによって、異端視されることになる。ところで、今西進化論と吉本さんが激突した『ダーウィンを超えて』(朝日出版)で、今西さんの「ヒトは立つべくして立った」という直立二足歩行の説に対して、吉本さんはくどいほどに「それでは何もいってないのと同じだ」と追求している。が、私は、今西学説では、その特徴とされる「棲み分け」論よりも、こういう、とぼけたところに、面白みを感じる。吉本さんのいいぶんはたぶんこうだ。「立たねばならぬのなら、立たねばならぬ理由があったとみなければならない」。しかし、今西さんは、その理由なんぞ、どうでもいいとしている。というか、自然というものはそういうものだという態度だ。これを演劇のcategoryで意味づけるとすると、「立ってしまった」というのが、ひとつの答になる。誤解のナイようにいっておくと、立つか立たぬかどっちでもよかったというワケではナイ。「立ったほうがよかった」から「立った」ということだ。その、ある「場面(situation)」において、演技を試行錯誤しているうちにみつけた、イチバン納得のいく姿勢が、「立つ」ことだったということになる。進化はその中に退化を含む。何かが進化するということは、何かが退化するということだ。肺呼吸が進化すると、エラ呼吸が退化したように。・・・さて、進化に「目的」があるのかナイのか、数十億年後には、太陽は巨大化して、白色矮星となって終わるが、地球ものみこまれて運命をともにする。進化が、そのときに備えるものであるならば、それはそれで、ひとつの「目的」といえる。生命体(生物)進化もまた、全宇宙規模でとらえると、考え方が変わってくるかも知れない。宇宙といったって、単なる爆発で終わるはずが、粒子の配合が対称でなかったために残ったのに過ぎない。失うはずが、多くのものを得たというのが結果なのか、始まりなのか、何れにせよ、そんなにたいしてカワラナイんじゃないか。

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