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2010年3月

2010年3月31日 (水)

loss and gift 2

生命体(生物)の進化には目的がナイ、というのが、科学における進化論(進化学)のほぼ統一見解のようだ。これが創造説に対して打たれ弱い要因のひとつになっている。けだし、科学というものは、「何故」という問いに答えられたためしはナイ。「如何にして」には精微に答え得るが、なじぇなの?に対しては、皆目ワカランのだ。では、「目的」がナイならば、何か、生命体(生物)は進化しなければならない「必要」があったのだろうか。これも科学(進化論)においてはワカラナイ。もちろん、創造説は、それに答える必要がナイ。何ごとも神の配慮なのだから。スピノザはしかし、これに答えてしまったことによって、異端視されることになる。ところで、今西進化論と吉本さんが激突した『ダーウィンを超えて』(朝日出版)で、今西さんの「ヒトは立つべくして立った」という直立二足歩行の説に対して、吉本さんはくどいほどに「それでは何もいってないのと同じだ」と追求している。が、私は、今西学説では、その特徴とされる「棲み分け」論よりも、こういう、とぼけたところに、面白みを感じる。吉本さんのいいぶんはたぶんこうだ。「立たねばならぬのなら、立たねばならぬ理由があったとみなければならない」。しかし、今西さんは、その理由なんぞ、どうでもいいとしている。というか、自然というものはそういうものだという態度だ。これを演劇のcategoryで意味づけるとすると、「立ってしまった」というのが、ひとつの答になる。誤解のナイようにいっておくと、立つか立たぬかどっちでもよかったというワケではナイ。「立ったほうがよかった」から「立った」ということだ。その、ある「場面(situation)」において、演技を試行錯誤しているうちにみつけた、イチバン納得のいく姿勢が、「立つ」ことだったということになる。進化はその中に退化を含む。何かが進化するということは、何かが退化するということだ。肺呼吸が進化すると、エラ呼吸が退化したように。・・・さて、進化に「目的」があるのかナイのか、数十億年後には、太陽は巨大化して、白色矮星となって終わるが、地球ものみこまれて運命をともにする。進化が、そのときに備えるものであるならば、それはそれで、ひとつの「目的」といえる。生命体(生物)進化もまた、全宇宙規模でとらえると、考え方が変わってくるかも知れない。宇宙といったって、単なる爆発で終わるはずが、粒子の配合が対称でなかったために残ったのに過ぎない。失うはずが、多くのものを得たというのが結果なのか、始まりなのか、何れにせよ、そんなにたいしてカワラナイんじゃないか。

2010年3月29日 (月)

loss and gift

東京の二流大学帰りのインテリ演劇評論屋に、無垢な劇団員がこぞって、自らの演技について「お伺い」にいったことがある。それを、劇団に持ち帰って、私の前で話すのだ。私はその評論屋の理屈も知識も認めていなかったが、劇団員は一喜一憂して、ある者は劇団を離れていった。その私の憂慮を唯一、癒してくれたのが、当時ひそかに慕っていたGFで、彼女がいうには、「ああいうひとは名古屋にいなかったので、いまだけココロがなびいているだけです」。私は劇団を解散して、そのときにこう述べた。「なべて、人間も炭素体です。あなた方の多くは私が石炭であるのかダイヤモンドであるのかの、区別が出来なかったのです」。石炭を磨いても、ダイヤにはならない。そこには1万気圧以上の圧力が必要だ。

私は一度、家庭で子供と暮らしたが、それは前妻の元カレの子供で、出産前に、覚悟はしていた。ともかく18年育てて、そこで離別して、それで私は38歳だから、もう一度やりなおせると、そういう算盤だ。18年して、「子供も大きくなってもう大人だから、これからは二人でゆっくり暮らせると思うの」と、前妻にいわれたが、予定どおり、私は離別した。新しく建った家も土地も養育費も、弁護士から支払い過ぎだと責められるくらい、充分にしたから、何の後ろめたさもナイ。義父が死ぬまでは内緒にしてもらいたいとのことであったが、それは遵守してきたので、もう、事実を述べることに憚りはナイだろう。

私は滋賀の家から逃げて、名古屋に来たが、前妻との家庭から逃げるために、仕事場を別にして、書き物をした。書き物の中に逃げ込む以外、私には場所はなかった。だから、私が38歳までに書いたものは、すべて、積極的逃避の産物だ。ところが、不思議なことに、このあたりから、仕事が減り始める。バブルは終り、小劇場演劇業界も衰退し始めるのだ。

偶然、名古屋から飛び抜けてしまったために、この地方特有の冷たい視線は、まま受けた。東京のメディアは、私のことを唯一完成度の高いホンの書ける劇作家と称してくれたが、ご当地では「北村想は女が書けない」などといわれた。むろん、私は女もましてや男の世界とやらも書いたことはナイ。私の書いたものは、すべて、私のの世界だけだ。

食っていくために書いた。テキヤの親分、人間ポンプの師匠から、「食っていく気がナイと上達しない」と戒められていたからだ。「私なんて、仕出屋ですよ。懐石料理も創りますが、ロケ弁も創ります」と、当時の週刊誌のインタビューに答えている。着ぐるみショーの台本も、二時間の舞台戯曲も、要するに、私にとっては同じで、岸田國士戯曲賞を受賞してからもそうだったから、選考委員の尊敬する、ある先生からは、早くも大衆に迎合しているといわれたが、あまり好みのではナイ演劇評論家から「B級演劇の天才」といわれたときは、正直、うれしかった。自称吉野屋作家、「早い、うまい、安い」。

いましばらく、書くことでしか、神経が正常を保てないという私事情があるので、かまうことなく書き続ける。

2010年3月28日 (日)

瞬間と堆積

およそ数学は概念を扱う。点には面積が無い。線にも面積は無い。点は「点」という概念として線は「線」という概念として存在する。それ以外に存在のしようがナイ。たとえば、πとは半径1の円の面積だ。この円は、円を描く線によって、外部と内部が分かたれ、「円」という概念を持つ。この円の面積を求めるとき、外部と内部を分かつ線は、存在するのかしないのか。存在するとすれば、それは円の一部なのか、そうではないのか。そこでπの値を求めるとき、この線は、円としてその面積に含まれるのか否か。そういうことを考え出してから、やっと数学という学問がナニをやってるのかが、ほんの少しワカルようになってきた。概念であるならば、演劇においても活用出来ないワケがナイ。これを帰納するにせよ、演繹するにせよだ。・・・微分は、瞬間の速度(運動量)を求める。限りなく速度のあるものを追い詰めていく。あるモノの運動する単位時間を縮めていく。h→0、この瞬間を得るために費やされる時間が空間化したものが在る。それを積分と考えればいい。眼差しひとつ、指先の一閃、この微分され積分された状態を得るために、ココロは表出を細分化して積み重ね、脳は思考、演算をなるべく瞬時に行うべく努める。・・・「せっかちだねえ」「突然、決めるんだから」「急にいいだすんだもの」と幾度となく叱責されてきたが、それらは日常生活の時間にあってのことで、こと、演劇現場あるいは、原稿執筆に関しては、即断即決でなければならない。こっちはどういうワケか、頼りにされても、貶されたことはナイ。いわば、堆積(積分)されてきたものが、瞬間(微分)に発揮されるだけのことだ。それらは、あるカタストロフを産むので、対象が一瞬に壊されて構築される。そこには何のカケヒキもナイ。私自身は、これを美学とさへ思っているが、おおよその世知はこれを誤解しているので、私は幾度となく自らのアキレス腱にナイフの刃をあてねばならない。およそ数学とは、日常で概念として機能させるとき、そのようなリテラシーとして、憎悪され排他されることが多い。チッ、またかよ。と、天使と悪魔の声が同時に聞こえるのは、そんなときだ。

2010年3月27日 (土)

永遠と刹那

近江商人の座右の銘は「自分に良し、他人に良し、世間に良し」だそうだけど、その血脈を持つ私が考えても、この三つを揃えることは至難のワザのように思える。この三つは、根本的には「関係」を語っているのだが、それぞれ「良かれ」と判断しての営為も、関係の前には崩れさることが多い。これをフッサールは現象学で扱ったが、それは方法論としての弁論術の範疇に含まれるもので、これを〔関係の絶対性〕という、自然の本質として捉えた吉本さんの『マチウ書試論』のいいぶんのほうが、迫力としての差は圧倒的だ。私が量子力学に魅力を感じるのは、エネルギーの最少単位としての量子(の運動)には、一切の関係性がナイということにおいてだ。ハイゼンベルクの不確定性原理は、量子(の、位置あるいは運動量)を測定する場合に用いられるもので、観測してしまえば、量子(振動)は確率としてしか扱えない。(逆にいえば、確率としては扱えるということで、これがコペンハーゲン派解釈だ)とはいえ、ここでも歴然と関係は存在していて、観測の方法と結果というのがそれに該るが、では、観測、測定されないときの量子の状態はどうかというと、これも行列式を用いた数学においては完全に記述出来る。それは「むちゃくちゃデアル」という答えなのだが、そういうことはこの欄にも何度も書いた。私たちはニュートン力学の世界に生きていることになっているが、それは唯物論的な解釈であって、観念論的には、私たちのココロの関係は、量子力学に近いといってもいいのだ。唯物論といったところで、要するに、ヘーゲルの観念論弁証法というものを、自然という物質まで拡大しただけのことであって、人間の精神だけではなく、人間の精神をこの全物質宇宙に含めて考えるだけのことで、根底的には観念論の拡張でしかナイ。(つまりは、観念・・精神が、それ自体、存在するのではなく、物質との関係を含めて存在するといっているだけのことだ)極小から極大まで、刹那から永遠まで、私たちは、その「関係」をどう「了解」するかという、ニーチェから始まった「解釈」という認識の子だ。そうして、現実は、そのような解釈に従順ではナイというのが真理であるらしい。ならいっそ、と、私は量子力学の「むちゃくちゃデアル」存在様式を選ぶ。脳は整理を好むようだが、ココロは乱調を面白がる。これだけを以てしても、人間なんてのには、先行きなんて、ほんとうはナイと思ったほうがイイ。

点と線

畏敬する数学者遠山啓さんの『数学つれづれ草』に次なる詩が掲載されている。これは拙作『私の青空』にも引用した。~万象の微を極むれば 点とこそなれこの点ぞ 我が幾何学の始原なる それ一点の行くところ 一たび動けば線となり 二たび動けば面となり 三たび動けば体となる~、ところで、四十年の生活史を残すはずの名古屋においての私の動きは、ほとんど面といえるものではナイ。四十年前、梅林と畑だけだった「植田」にやって来て、いままた植田に住んでいるのだが、そのあいだにあるのは大須観音の界隈だけで、この四十年、他に動いてはいないので、名古屋の市街地も、道路もまるで知らない。植田近隣の地名を聞かされても、さっぱりワカラナイ。だから、その近隣に出かけるのも、東京、横浜、大阪、伊丹へ出かけるのも、心的距離としては何も変わらない。これは性格資質として、私が出無精だから、なのだろうけれど、出無精であるということを、逆にその事実において認識させられたということになる。地下鉄に乗ると、四十年前は、線が二本だけだったのが、いまは環状線まで描きこまれていて、ずいぶんの複雑な変わりようだ。とはいえ、いったことのナイ駅(街)のほうが圧倒的に多いので、ほんとうはむかしから在った街なのだろうけれど、私にとっては、あたかも地中から湧いて出たようにみえる。つまり、その路線図を観て、こういうふうな街(駅)があったのかと、逆に発見を半ば驚いているありさまだ。だから、市内にあっても何か打ち合わせでの指定場所をいわれると、いちいち困惑しながら、その場所までの行き方を教えてもらうのだが、その通過点(線)を述べられると、これがまたワカラナイ。そんなこんなのうちに、私の固有な時間の外では、かってに発展があったらしく、住んでいながら、四十年前の面影など殆ど何処にも残っていないという浦島太郎を経験しなくてはならない。これは、ひょっとすると、考えようによっては運が良かったのかも知れない。つまり、私はこの街に未練というものがナイ。私はひょいと名古屋に出向いてきて、ひょいと帰る。それだけのことで、それは旅行者と比較されても同じようなもので、あまり違いがナイような気がする。

~点と点指で行き来し地図なればその爪痕の線路錆びゆく~

2010年3月25日 (木)

信念と成り行き

ニーチェの本が叩き売りだ。つい先日、塾の時間までの暇つぶしに、ショッピングモール内の、比較的大きな書店に入ってみたが、店頭に『超訳・・(正確なタイトル、なんだったかな)』てのがあって、ページを繰ってみたが、こういうふうに訳されると、なんだか相田みつお(だったよな)と、あんまり変わらないように読めるから、ナニがどうなんだろうな。とはいえ、あれを契機に本書を読んで、ゲラゲラ笑うという(哲学の本を読んで笑ったのはニーチェだけ)のも一興だ。まるで漫談だからな。・・・たぶん定年退職したオヤジだろう、買い物カゴを下げて本棚を物色している。たくさん買う気でいるんだ。一冊、カゴに新書が入っていたので、何を購入されたのか覗いてみたら『信念を貫け』というタイトルが読めた。信念を貫くなら、そう何冊も書籍を求めることもナイじゃん、と、皮肉に思ったが、まあ、ひとごとだから。・・・談志家元は「人生成り行き」というのが座右の銘。どこか仕事に行って、その会社の受付嬢の応対が良かったからってんで、そのメッチェンを嫁にした。奥さん、いまだに落語のことに関しては、まるで無知だそうだ。藤子不二雄さんの藤本先生のほうも、奥さんはマンガに関しては藤本先生存命中かつ亡くなっても無知で、子供たちには「おまえたちのお父さんは絵が上手なんだよ」とだけしかいってないらしい。藤本先生の悩みは、生前聞かされたことでいえば、ドラえもんだけが売れて、『SF短編マンガ』が売れないこと。この全集は何度も装丁をかえて出版されていて、私も解説なんかを書いてるけど、売れない理由は「理が勝ち過ぎて」本格すぎるからだとしか思えない。一所懸命、マンガレベルにまで破天荒にしているのだけど、藤本先生の真面目な性格から、コミック愛好者にはイマイチなんだろ。『エスパー魔美』がその傾向の本としては最も売れているらしいから、推して知るべし。・・・私だって、なんで『ぶらい、舞子』が売れない(どころか、話題にもならない)のかがよくワカラナイ。ミステリだから、仕掛けをいってしまうとヤバイんだけど、物語途中で、二度、犯人が予想出来るミス・ディレクションがあるんだけど、ひでえところでは、とある出版社(ここ、筒井康隆さんとももめているところ)の女性編集者なんぞ、途中で犯人がワカルのはダメですなんて、原稿返してきた。・・・信念を貫いたり、そのために忍耐したり、そういうのは、けっきょく、相手にとっては恨み辛みにしかなんないし、自分にとっては精神か神経を病むだけよ、というのが、他力本願の成り行きで生きてきたこの四十年の結論です。

2010年3月24日 (水)

目的と必要

何か「目的」があって生きているひとは、しんどいんじゃないかと思う。その点、私は名古屋に出てきたのに何の「目的」もなかったから、しんどいとか苦しいとか、辛いとか、そういう思いはしたことがなかった。(恋のつらさというのは論外として)べつに、いつ死んでもどうでもよかったから、30歳まで生きたときは、自分でもなんか儲けた気がしたし、48歳のとき、誕生日パーティーをしてくれたのだけど(いろいろと友人知己たちが馴染みの店で)ほんとうは、その年齢まで生きた、生活したということに対しての驚き半分と、これからまだ何年生きねば、生活せねばならないのかという鬱陶しさが半分だったのだ。だから、みなさんには悪いと思ったが、あんまり当人は嬉しがってたワケではナイ。私は一度離婚していて、そのときに私財はほとんど、慰謝料と養育費として支払ったので、残った金もなく、しかし、死ぬ理由もなく、キツイことに劇団の主宰という責任があったから、そこから劇団を終えるという「目的」を持って、劇団を終えた後は、恩義のあるひとに恩義を返して、それで57歳あたりが(というのは60歳までは無理だと思ったので)死に際かなと考えていたら、ランチデートに幾度かつきあってくれた女性に自分の父親は57歳で死んだので、どうか57歳で死ぬのはやめてくださいといわれ、じゃあ、まあ、そうしますということで、この女性とは、京都の哲学の道を歩くという純愛デートを予約していたのだが、さっさと結婚されてしまって、それも成らずじまいに終わった。私は40年、演劇をやってきたが、こいつにしても何か「目的」があったのではなく、宮沢賢治ネタでずいぶんレパートリーを書いたが、特に宮沢賢治に傾倒していたのでもなく、そうしないと客が入らないからという「必要」にせまられてのことだった。そのうち、宮沢賢治のナニかだと誤解され、(それ以前はクリスチャン作家だと誤解されていたけど、私が自称クリスチャンと名乗っていたのは、名古屋の駅前で、お嬢さんから洗礼のようなものをされた義理立てからだけなのだ)仕方なく「必要」があって、宮沢賢治の全作品を読み、研究書や解説書や評論書を読み、これまた玉石混淆だなと思いつつ、宮沢賢治について残った私の考えは、なんとまあ、生き方の甘いぼんぼんであるのかという、それくらいだけなのだ。演劇論にしても、演劇のためのナニかに「目的」があったのではなく、あまりにくだらない輩が跋扈している、その横着、傍若無人な業界に対して、こっちがアホなことをいわないよう、劇団員がそういうつまらぬ言説に取り入られないように守るため、にという「必要」があったからだ。何度も書いているみたいだが、私は「人生設計」も「生活設計」も、要するに生きることに対しての「目的」というものを持ったことがナイ。〔渡世〕は「目的」ではナイ。生きていくのに「必要」なことだけをやってきたし、これからも、そんな渡世はカワラナイ。説教くさくなったら申し訳ナイが、よく「生きる目的がワカラナイ」だの「みつからない」だのいう、まだ若いひとが、けっこう世間にいるのだが、「目的のナイ人生」ほどステキなものがあるだろうか。私は私を「必要」としてくれるひとには、相応に応えるし、私が「必要」としているひとも、存在してくれるのだから、それ以上は何も望まない。多くも望まない。多くを望まれても、出来ないことはしょうがない。私自体、何か「目的」があって生まれ出たのではナイのだから、私自体に「必要」がなくなったら、勝手に天命というものがperiodを打ってくれるだろう。

2010年3月17日 (水)

脳の仕事

ホテルでも、いつもと同じ七時半に起きて、モーニング(680円)を食い、それから近所の松本城に出向いた。松本演劇祭というのが、バブルの時代に毎年あって、私の劇団は二度招聘されている。一度めは松本城の前の空き地だか芝生だか、とにかくそういうところで『寿歌西へ』を上演した。あんときは、突然の突風に楽屋にしていた仮設テントが飛んだが、それでも最後まで弁当を離さず食っていたのが、小林正和だ。総員退去というときに、ただひとり、テントに残って、こいつは死ぬまで弁当は離さない覚悟だなと、思わせた。その、空き地だかなんだかは、整備されていて、人工の道と人工の芝生に木が植えられ、「芝生の中には入らないでください」があって、なんだか、ちっともオモシロクねえなと、朝から気分は滅入った。こういうのは人間の脳の仕事だ。きちんとsectorに整備して、みかけはキレイになる。ほんとうはごろ寝して、松本城が観られたあのときのほうがココロの仕事だったな。たとえ、作られた道でも、道になっちゃ、歩かなきゃならない。道でごろ寝は出来ないもんな。ああ、つまんねえ、と、それと寒かったので、敷地にある博物館に入って、石油ストーブにあたっていた。私は博物館なんてのには何の興味もナイから、あったまると何も観ないで、出た。あんなのは埋まっているのを観るのがオモシロイんだろ。ガラスケースに陳列されて、ちっとも何にも語りかけはしない。昼飯までは時間があるが、ともかく、馬肉で一杯やりたいのココロだな、と、そんな店をぶらぶら歩いて捜した。閉館した映画館があって、それから、そのような建物があって、そこで、東京から竹下景子主演の芝居が近々にあるみたいで、そういや街のあちこちにポスターを観たなと、こういうところで公演すると、地方名士とかに終演後の接待で、えれえめにあうんだろうなと、妙な同情をおぼえた。

2010年3月15日 (月)

旅愁

ふらっと、の、つもりで出た旅は、日本海の海を観たさの感傷だったが、天候不順と旅程の長さの都合でリタイア。まあ、sentimentなんてこんなもんです。とはいえ、いざ出発のとき、名古屋駅ホームで、どうにもこうにも恐怖を感じた。不安というのではナイ。そうして「死」に対する恐れというのではナイ。おそらく「死」というものを、ふつうのひとよりは恐れてはいない。だからそれは、57年生きてきて、これからも生きることに対しての「生」への恐怖に思えた。とすれば、まるで予行演習のような旅だ。たぶん死に行くときもこんなふうなのだろうと思ったが、前述したように、それについては恐れはナイ。ただ、もしまた生きるところへ帰ってこなければならないのだったら、それは怖いことなんだなと、思ったのだ。それから、ぼんやりと、魚類が、陸に上がって両生類になる進化を思った。なんで、あいつら、陸に上がったのか。そこに陸しかなかったからという答えしかあり得ないのだが、何世代もの死を賭した、上陸だったに違いない。類的な壊滅も予想される「死」を賭しての進化だ。ただ、彼らは魚類という「生」にもどる恐怖を知っていたのだ。彼らにとっての「死」への進化は、恐怖の「生」からの脱却だったに違いない。何故、魚類であったことが恐怖であったのかは知るよしもナイが・・・てなことをいうほどの、だいそれた旅ではナイが、この数日の一人旅は、いまさら一人旅など出来るだろうか、という、それでも、小心の私にとっては、ささやかな試みだったらしい。とはいえ、旅の途中で考えたことは、「新しい文体であの戯曲を散文(小説)に出来るかも知れない」「二人芝居のラストシーンは、こうするのがいいのではないか」「つぎのavecビーズの芝居の舞台はこう創って、ラストの曲はこれでいこうか」で、こういうのを非業ではなく悲業という。どこにいっても、「書くこと」が追いかけてくる。で、書いた。短歌をひとつ、歌謡曲(popular)をひとつ。

星ひとつ流れて消えて帰り道 黄昏てこそみゆるものあり

わびしき 口笛 空にさえて

わが心の 思いを伝えん

愛を教えてくれたきみは いま

何処(いずこ)の星とともに眠る

ひとり歩く みしらぬ街

きょうもまた あてのない旅

悲しき 歌声 海を渡り

わが心の 思いをとどけん

恋というにはあまりに儚く

この胸のいたみ 知るひともなし

ひとり歩く みしらぬ街

きょうもまた 果てのない道| 

2010年3月10日 (水)

おイキリョさま

おイキリョさまがくるだぞ

おめの寝ているまに 嫁の髪の毛が影になって それがおイキリョさまぞ

ゆうっぐりど おめの首 しめる ゆぐりと な

朝になったら おめ 死んでる

嫁はうその涙ながして 井戸のみなこ(水底)みて 笑うだぞ

おイキリョさまは しおらして おどなしから 夫(つま)にはわがんね

おらか おらは やってね

じ(爺)さまは おイキリョさまが殺したんで無エ

ありゃ ひどりで 谷 とびおりた

なんでかは 知らん

おらは ようけ 楽をしたさ

んでも おめの 弟さ おイキリョさまに 首くねいてらるところ みてた

嫁は横むいたまま 寝でる 

からっぽの 嫁さ なんもネエさ 知らんうちさ

おなごなんつうもんは ほんどは 箱にへえってるもんさ

それが ふた開けて 出てくるようになるさ

なんでかは 知らネ

おめも 気ぃつげて いきゃ

旅ん出て けってくるころが もっけえ(最も) おそろしかさ

嫁 おイキリョさまの髪に なってるかも しんねぞ 

「そういう話を、むかし、18歳くらいだったか、祖母から聞かされたことがある。ところで、俺は、そういった話が好きでね。じっさい、俺が死んだら、そんなふうなナニカにやられたと思ってくれるとオモシロイんだが、どうかナ」

2010年3月 8日 (月)

春の夜

兵隊というのはなぁ 弾にあたって死んでいくのは十人に一人くらいだにゃ

と 爺さま いうんだ

あとはなぁ 崖がくずれてきたり 土砂に埋まったり 腹くだして 糞まみれで

熱出したり そのまま倒れて もう息がなかったり そんなもんだにゃ

と 爺さま いう

おまえのとっつぁん むかし ゼンキョーテーとかでよ

大衆のために闘ってるっていってよ

そんだら親父と母親がよ わしら大衆に飯食わせてもらって なして石投げるつって

たのむからもう やめてくれって てえついて たのんで 

そんだら 泣きだしてなあ たたみ げんこで叩いてなぁ

ほんでも おらぁいってやったし

おめえがやろうがやるまいが 三十年もたってみろ

日本の国なんざ どこも 変わっちゃいねえぞっつて

みてみぃやさ なんも 変わってちゃいねぇっし

いまぁアメリカの植民地さ しかたねえし

そのうち中国の植民地さ おらぁもう死んでいねぇころにさ

芝居 まだやんのけ もうやめんのけ

「俺さ、自分の演技に行き詰まってんだ」

なんさ それ はぁ ようわかんねし

「この先の人生とか生活を考えると、生きていけんのかどうか」

この村にもよ 春になると 小屋がけに 芝居さ 来たな

春の夜だったさぁ 村のし(衆)がみにいったにゃ たのしかったぁ

おめも そういうの やればええさ みなのしが みにくるでぇぁ

あとは 米に味噌つけて食っとけって 死にゃしねえ  

そこの板戸開けてみれ おう そこよ そこの戸よ

開けたか みてみい みえたか うんうん そでええ そでええやさ  

春の夜 ちゃんと みえたろ あるだろ しんぺえせんでええってし

と 爺さま 笑うんだった| 

大衆の先頭

鳩山民主党政権の支持率がグングン下がっていると、朝刊に出ていた。マジシャンじゃないんだから、燃えかけの1万円札をアッというまに元にもどすなんてことは、どんな政党にも出来るワケはナイ。しかし、大衆はそう待ってはくれないし、虫のいいことしか考えない。自民党からの政権交代で、世の中が少しはよくなるんじゃないかと期待だけはしていたのだ。そうは問屋が卸さない。それほどの罪状だとも思えない、小沢一郎を筆頭としての民主党のカネのゴタゴタに敏感になっているのはアタリマエで、だって、大衆、食えないんだもん。いまさら『蟹工船』なんて売れても、アホみたいに浮かれているのは日本共産党という、永久野党(これが永久革命なら、スゲエんだけど)と、出版社だけで、それだって束の間のことで、ほんとの大衆は、そういうプロレタリア文学にも民主党鳩山政権にもそんなに興味はナイんだと思う。新聞やマスコミは、親が子を子が親を殺したことを毎度お馴染みみたいにニュースにするけど、「ぶっそうだね、殺されんようにせんとね」なんていいながら、蟹工船が獲ってきた蟹の鍋を食って、ケタケタケタと笑っているのは、大衆の代表みたいなおばさんたちだ。その大衆を「豚」といったのは『男組』(雁屋哲・原作、池上遼一・画、1974~1979少年サンデー連載)のヒール(悪役)神竜剛次だが、困ったことは、ヒーローの流全次郎の大義より神竜の理屈のほうに、どうしても納得出来てしまったことだ。そういうワケでだか、原作者は次作の『男大空』が不発に終わると、さっさっと『美味しんぼ』(こっちのほうが有名でバカ売れ。休み休みしながら、まだ連載中)という食い物マンガにいってしまった。やっぱり蟹工船より蟹鍋のほうが大衆の好みなのだ。ところで、私はあるとき、いまは亡きクラモチくんから「大衆のために書いてください」という添え書きのある年賀状をもらい、これがナニを意味するのか、苦慮した。さんざん考えて、私の出した答は、自らの中に厳然として在る大衆に向けて書くということだ。宮沢賢治は、農民という大衆の中に入ろうと努力して、ついに成らなかった。たぶん、どんな研究家も書いていないと思うが(書いてるひともあるかも知れない。なんしろ、研究書は無数にあるから)それは彼が女性を近づけなかったのが要因だと、なんとなく気づいている。そのあたりを踏まえて、大衆の先頭にはいつも女性がいるというのが、目下の信条だ。おそらく鳩山民主党政権の支持率がガタ落ちなのは、女性支持層が離れたためだ。小沢一郎はけして女性の支持を受ける男じゃナイもんな。基地問題にしても、どこにつくるかという場所よりも、米軍基地の存在による、女性と子供の安全対策にどうカタをつけるかを述べたほうが早いはずだ。そういうところがワカランので、ボンボン政権などといわれるのだ。

2010年3月 7日 (日)

霧の喜劇

楽屋の鏡を前にして 彼はかんがえる

おれの役は愛するほうだったか 愛されるほうだったか

愛される役なら 殺されなければならないはずだ

愛する役なら それでも やっぱり殺されねばならないはずだ

なんだ おなじじゃないか

そうそう おれは殺されればいいだけなんだ

簡単なことだ

そういう役は何度も 演っている

ドーランを手にして また 彼はかんがえる

きょうのマチネで「せりふ」をとちったのは

あれは ほんとうは黙っていればよかったんだ

沈黙するところで おれは なにかオカシナことをいったんだ

たしか なにか いったような気がする

だけど それだけのことじゃないか

うんうん なんといっても 沈黙することはイチバン難しいからな

こんどは 眉ペンを手にして 彼はかんがえる

あのとき 相手役が おれに微笑んだのは 演技だろうか

それとも おれのほうが先に あいつを笑ったのだろうか

その 顔は こんなか こんなふうか これか こいつかな

いや もっと変な顔だったかなあ

鏡には彼の顔を透かして 背後の鉄格子がうつっている

彼はかんがえる

きょう支払われるギャラで パンと 少しの赤ワインと

赤ん坊のミルクを買って帰ろう

それから チーズも買って帰ろう 

でも チーズが買えるだけの紙幣が支払われるだろうか

もし 支払ってもらえなければ 座長を殴ってでも ぶんどるぞ

しかし 座長は「私にもナイんだ」というかも知れないナ

それが ほんとなのか ウソなのか ワカラナイけど  

さてと 顔はあらかたできた

霧が 彼の足下まで流れ込んできている

さっきから足が冷えるのは このせいだな

きっと舞台にたちこめている霧が あふれているんだ

おれの役は あの霧の海に浮かんだ 半分壊れた帆船に乗って

観客にむけて 最初にひとつジョークをいうことだ

もんだいは その とっておきのジョークが

たしか 沈黙だったということだ

なにか オカシナことをいわないように

今度こそ 注意しないとな

彼は 深呼吸をひとつすると 

鉄格子を突き抜けて舞台へのびた 自分の影を みつめる

つれづれに

このあいだ『メレンゲの気持ち』に自称天才で、売り出し中の若手タレント(だか役者だか)がゲスト出演していて、五カ国語を話せるのが自慢なのだそうで、その程度の天才なら、人口一万人の町に五人くらいはいるんじゃないか、と苦笑していたら、今度は「共感力」という特殊能力があるという。最近その力を応用した探偵の登場するミステリもあるのだが、これは、相手の心情が「色調」によって観えるのだそうだ。そこで、当日の他のゲスト、大竹しのぶと、漫才のハライチをその能力で分析してみせたが、別に、そんな能力を用いなくとも、あれくらいの分析なら、私にも出来る。たとえ「色」によって、そのひとの心情が観えたとしても、それを表すには、コトバにいったん変換しなければならない。要するに、卜占と同じことだ。ハライチの漫才は、もし上岡龍太郎さんがこれを評するとしたら、「高校生レベル」のたったひとことで斬って棄てるだろう。あの程度のネタと、ネタの使い方は、witにもほど遠い。それこそ人口一万人の町になら五百人はいるだろう。・・・・天才つながりでいうと、『天才 勝新太郎』(春日太一・文春文庫)を読んだ、カンソー。私は勝新の大ファンであるから、このひとがどうしてダメになってしまったのかもたいていワカッテいるつもりでいる。天才と思い込み(ドクサというふうに現象学ではいうのだが)はチガウのだ。あんまり難しいことを書いてもしょうがナイので、一つ、例を書く。ピカソはまぎれもなく天才だったが、ピカソのスケッチブックには面白いものがあって、すべて〇が描かれている。つまり、納得のいく〇が描けるまで、ピカソは何枚も幾つも〇を描いた。勝新も納得がいくまで自分の映像(scenecut)を否定はしたのだが、否定から否定への移り方がまるでチガウ。ピカソの〇→〇のこの(→)の部分にはなみなみならない理路と経験と感性との闘いがある。ところが勝新の場合はinspirationしかナイ。と、ここが天才と、思い込みの分岐点だ。そうして、天才もまた間違えるということをピカソは知っていた。充分過ぎるほど知っていたので、次の作品に取り組むことに逡巡、躊躇しなかった。勝新は間違えるということに恐れと不安を抱いていた。なぜピカソが間違えることに毅然と出来たのかというと「天才は如何なる結果においても常に一歩進める者のことだ」という自信があったからだ。五カ国語だの、共感能力だの、要するに事務所のウリだろうけど、役者ならば、その演技において、天才性をみせなければ、何の意味もナイ。

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