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2010年2月20日 (土)

劇的な、あまりに演劇的な(『劇、その周縁』改題)・03

スタニスラフスキーの主著はいわずと知れた『俳優の仕事』だ。この有効性に関しては、さまざまなひとがさまざまなことを述べている。ダメだというひともいれば、誤読されているというひともいるし、我こそ正統なる継承者というひともいる。私にとっては、いずれもどうでもよい他人事だ。スタニスラフスキーには「演出家」の仕事に触れた諸論もあるが、それもこのさい問題にしない。ややひねくってタイトルだけは借景する。『俳優の仕事』だ。・・・その前に演出の仕事について多少述べておく。もちろん、私は演出家ではナイので、私がいつもやってる演出の仕事がどういうものかということだけに限る。私にとって演出の仕事を、つづめていえば一つだけだ。「役者が下手にみえないようにすること」これだけ。これだけのために(自分でいうのもなんだが)、「粉骨砕身」する。命けずります、だ。幸いにして、私は上手な役者(演技者)を知らない。というか、そういうひとと仕事をしたことがナイ。だから、私の演出の仕事は前述したこと以外にはナイ。下手とは何か、上手とは何か。要するに、享楽の問題でしかナイ。つまりは、快不快の問題だ。いい演技とは、不快ではナイ演技をいう。それ以外に私の尺度はナイ。まだ相米慎二監督存命の頃、東京の街角で偶然出逢ったことがあって、いきなり監督は私にいうのだ。「いま吐いてきたところだ」二日酔いで胃を壊したのではナイ。「ちっともうまくいかねえ」と監督はさらに、コトバを吐き捨てた。何を撮っていたときかは忘れた。私もその気持ちはワカル。不快な演技を観ると、吐きそうになる。不快なせりふを聞くと吐きそうになる。だから、消化を良くすることを役者(演技者)には求める。それだけが私の演出だ。何の理論もメソッドもシステムもナイ。私が気持ちよくなれば、それでヨシ。演出をやってて、怒ったり、怒鳴ったり、叱ったりしたことはナイ。吐きそうになったら、そこまで。やり直し。吐きたくないから。これを我慢すると、血圧の下が100をこえることになる。吐きそうになる。85以下で観ていられること。基準はそれだけなのだ。

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