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2010年2月 2日 (火)

劇、その身体・08

マルクスの自然哲学をそのまま援用するとすれば、「衣装」というのは身体の延長(拡張)になる。とはいえ、それが「衣服」と異なるのは、たとえば防寒や冷却などの保身の機能を念頭においていないことだ。同様に「服飾」になると、対象化されるものは、たぶん、ナルシスやフェチ、つまり、自己愛と変身への願望だろう(・・・だろうという曖昧な答え方は、私自身の問題で、私があまり服飾に対して知識がナイからだ)。だから、「衣装」「衣服」「服飾」は異なる着衣と考えたほうがイイ。材質やデコラはは同じでも、延長(拡張)の用いられ方に差異があるからだ。演劇における「衣装」は、演技者(役者)の趣味や貴賤の如何とは関係なく、役の延長にある。演技の延長といえば、演技力に相当する。したがって、演技者(役者)がこれに拘泥するのはもっともなことだと思う。また、衣装プランナーやコーディネーター、スタイリストに対して羨望、信頼、を置くのも当然だし、逆に、不信、不満、を抱くのも不自然なことではナイ。ただ、私が、その手の逸話でいつも記憶を揺さぶられるのは、島倉千代子さんがデビューして間もない頃、そのブレイクを妬んで、ある歌謡ショーに、先輩歌手が彼女と同じ柄の着物を着て、先に歌うという嫌がらせをしたとき、廊下の片隅で途方にくれて涙していた島倉千代子を菊地章子(『星の流れに』)がみつけ、「あなたの歌は着物が歌うの、あなたが歌うの」と、詰問するようにして励ましたことだ。余談だが、『岸壁の母』も菊地章子のほうがイイ。菊地章子は『岸壁の母』を歌って有名な女性歌手に対して「あの歌はあんなふうに下品に歌うものではアリマセン」と感想をもらしている。

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