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2010年2月22日 (月)

劇的な、あまりに演劇的な・04

「俳優の仕事」を書くつもりが、またまたその前に。・・・昨日、avecビーズの新作『アシタもおかしいか、』の稽古場における稽古は終了。1場を観て、3場の音響ナオシを試して、で、1場の稽古を観ているときは、なんだかもう、この場での稽古においてこの作品にはまったく興味がなくなっていて、やり終えると、頭ん中も終えるのが早いのなんの。で、3場の音響はパターンを3つ聞かされるが、役者に演じてもらいながら聞いてみて、1、2は即、却下。「あのね、要素が多すぎる。音響が主張してどうすんの。役者の演技の邪魔んなるだけじゃん」音響も表現だから、(私は鳴り物以外に三味線をと注文したのだが、なんだかヤタラと音が出てくる)創っているうちに、あれもこれもとなるのはしょうがナイ。(それは音響家の自分の世界だかんね)で、やんなおし。で、訓示。自分の世界(とかいうのを)表現したいのはワカリマス。しかし、常に、音響というものは、劇世界においの現実性ではあるけれど、その舞台に存在する演技者(役者)にとっては、さらに現実としての音として聞こえてくるものだから(聴感覚覚に作用して、演技に影響を与える)、と同時に、演技者(役者)の置かれた位相と同位相に位置して、観客もこれを受容しなければならない。「おめえな、ただでさへ、世間は過剰なんだよ。そこへきて、劇場で、芝居で、こんな過剰な音、聞かされたら、客はイヤんなるだろうが。客にイヤんなられたら、気持ち良く帰ってもらえないだろうが。あのな、simple is vest なの、ヨ」「演技でも、音でも、戯曲でもなんでもそうだ。自分の世界にいるときは心地いいの。すかす、外とのカンゲィというものをもっど、カンゲエロ。井の中の蛙、大海を知らず、されど高き空を知る、つうけどナ、そでは、井戸の蓋が開いてる場合のことなの。外との関係が出来てるときなの。孤高なんてものは屁の突っ張りにもなんねえ。天野天外が『夢十夜』ですっぱいすたのは、いつもは量子の出てくるトンネル効果を創るのに、今回はそでがなかった。簡単にいえば、あいつは、外に対する回廊なり窓なり、穴を掘削しながっだの。汽車の線路が駅ん中でくるくる回っていただけ。自分の世界の中だげにとずこもっでじゃ、気持ちはよかんべけど、そりゃあ、ただ、楽すてるだげだもん」・・・閉じ籠もりとかいう。ひねもすパソコンいじってるんだそうだ。しかし、パソコンってのは、ネットでどんなとこへでも繋がるもんなあ。で、けちろん。avecビーズの今回の作品のほうが、はるかに「いま」に向って風を通してるべ。

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