鉄は鍛えられてこそ鉄
小林七緒と、大須で打ち合わせ。まず、いつもの中華屋『昇龍』で、タンメンと餃子。ここではこれしか食べない。たぶん、他のものも美味いんだろうけど。黙って座れば出てくるメニューというワケ。で、私ゃ人見知りなので、すぐに顔を観ることも出来ず、とはいえ、そんなこともしていられないので、「少し、太りましたか。中津川のときより」と、何とか、顔を観る理由をみつけてと。「流山児んところを選んだ理由は」「もう何年やってます」「ふだんはどうやって食ってるんです」と、ここまでが、中華屋。それから、これまた行きつけの喫茶店で二人芝居の打ち合わせ。極めてテキパキとして、(具体的にいえば、調べておきます、というのがナイ。その場ですぐ携帯で連絡をとって、確認をとりつける)当方のやりたいことを即座に了解してくれるところは、見込みどおりの手腕。持っていった、たった3枚のメモを読んで、どんな芝居にすればいいか、たいていのことは理解して、すぐに「ここはこうするほうがいいのでは」ということがいえるのだ。流山児んところの連中は、誰も彼も瞳がみな涼しく美しい。まるで修道院か禅寺の修行僧のような感じだ。要するに、流山児はinspirationがあると、そのまんまに無茶なことばかりいうのだが、、ともかくそれを実行に移さねばならないために動く、あそこの劇団はいわゆる『スパイ大作戦』なのだ。 流山児は、ブログで高校生あたりが書きそうな日記を書いているが、いまどき還暦を過ぎて、あんなの書けるのはまずいない、な。二人芝居は20年ほども前に、うるさく誘われていたのだが、私もinspirationでは負けない。ふと、やってみるかの、それだけ。で、七緒でいこうと、それだけ。・・・演劇者は野垂れ死にするかも知れぬ。しかし、二百三高地のように無駄死にはしない。私たちは対称性の破れから、光子を母として、この宇宙に生じた。然らば、光の子として、この宇宙に寂静すればイイのだ。
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