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2010年2月12日 (金)

劇、その周縁・01

「現象学的還元」などというと、えらく難しい概念のように聞こえるが、ごく簡単にいえば、客観(と個々人が固有に確信していること)をとりあえず括弧に入れるということになる(これをエポケーするともいう)。そうしてのち、それぞれに妥当とみられる答えを出していこうという考え方だ。つまりまず唯我論的にいいたいことはいって、そこに共通する規範をみつけようという方法だ。似たような思考法は山岸巳代蔵のヤマギシズムにみられる「零位に立つ」というところだろう。もちろん、ただ似ているだけだが、山岸の場合はコトバ以外は捨て去るので、ひょっとすると、ウィトゲンシュタインに近いのかも知れない。・・・ところで、『演劇学の教科書』にもあったように「演戯」というのがナニをいっているのか判然とはしないが、そこから戯れるという志向性のようなものだけは感じ取ることにしておこう。かつてソウル演劇祭に招聘されたとき、芸術監督の孫-Jin-Chaek(チン・チェク、該当の漢字がナイ)が「

北村

さんにとって演劇とは何ですか」と、行きつけの店で焼酎やりながら、単刀直入に質問してきたことがあって、私も即断即答で「オモチャです」と答えた。この私の考えはいまも変わっていないが、現象学的還元をしていけば、演劇とはに対する答えは個人の数だけあるだろうが、この現象学的還元に対して私の持っている違和感は、では、そこで決定さた共通規範の正さをナニが保証してくれるのだろうか、ということにつきる。流れゆく歴史の可能性か、すでに終わった歴史の証明するものか、なおも残存する現在という事実か。で、まあ、どうでもいいじゃないか、そういうワケのワカラナサ、まったく非決定的なオモシロサが、あれば。ということになる。たぶん、そういうことを哲学的に初めて口にしたのはニーチェだろう(知らんけど、いいそうなことだから)。演劇なんぞをやってナニになるのか、またどうなったのか、そんなことを書ける程度に書いていく。

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