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2010年1月24日 (日)

原点への郷愁

衣装をプロに観への郷てもらうために、通し稽古をしてみた。演出助手がお休みだったので、プロンプなしの通しになった。つまり、せりふをとちったり、前後があやしくなったり、そういうのは無視、というか、こっちは知らん顔で、ともかく切り抜けて進めるというふうだが、これはアドリブでということではナイ。ad-libというのはもっとwitにとんだものだ。現場はなんとかして、続行のみを試みる。途中で止めるということもしない。こういうのは本番では観られないオモシロサがある。とはいえ、私が芝居を初めたころは(始めたという使い方もあるが)、こういうのがオモシロカッタのだ。・・・あるとき、私がまだ役者を演っていたころ、私が、舞台の上で射殺されるという場面にさしかかった。相手の女優の持つ拳銃はリボルバーで、火薬がこめてあるのだが、湿ってしまうんだよナア。ほんとは一発で仕留めるのが、一発めはカチャッという音だけがした。もちろん、私は死ぬワケにはいかない。ので、「どうした、そんなもので私が死ぬとでも思うのか」と、その相手役に詰め寄っていく。二発目、カチャッ。だが、この女優も肝の据わった女性で、慌てず騒がず、後ずさりながらも、なをも詰め寄る私に、三発目、やっと火薬が炸裂した。これは、スタッフをはじめ、他の登場人物もハラハラしたろうが、観客には、まったくチガウ、要するに演出の上でのことだという誤解のもとでの、迫真の緊張があったようだ。演劇には、稽古での偶然のいい出来はダメという、約定のようなものがある。もちろん、私はそんなことは信じていない。本番で偶然が起こるのだから、稽古にだって偶然はある。その偶然が偶然ゆえに再現出来ないということもある。しかし、そのほうが多いというだけのことだ。私にいわせれば、演劇などというナマモノに確率みたいなものを持ち込むほうがどうかしている。

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