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2010年1月20日 (水)

眠れ、壊れたもの

塾のレクチャーで、題材を語ったが、ともかく、それが難しいのは、originalityを求めるからであって、originalityなんてのは、宇宙開闢のときにすでに出尽くしているとでも覚ったほうがイイ。・・・たとえば、自分の好きなコトバをみつける。聖書にはけっこういいコトバがあって、高校時代、私が好きだったのは、「明日のことを思いわずらうな、一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(マタイ・6-34)だ。このすぐ前にはあの有名な「みよや野の花、空の鳥」がある。世間に出てからは、もっぱら「蛇のようにさとく、鳩のように素直であれ」(マタイ・10-16)を座右にしてきた。もちろん、大嫌いなところもあって、『ヨハネ黙示録』はいまでも聖書には不要だと考えている。劇団を中心の活動のさなかにあったときは、「勝ち負けは兵家の常」というコトバを戒めにしてきた。これは「闘っていると勝ったり負けたりする」という意味に使うコトバではナイ。「勝ったり負けたりするのは闘っている証しだ」というふうに用いるのが正しい。私は「傷つく」というコトバがあまりにNarcisseなうえにsentimentalで好きではナイが、自分自身が壊れているromanticistであるゆえに、こんな世の中、世間にあって、マトモに闘ってみようものなら、壊れていくのがアタリマエのことで、遺伝的な病変はともかくとして、この不条理と、疎外と、擬制に、余りあるほどの反抗と闘争を試みたものの、心身が壊れていくのは、我が身に感じて慈悲の念を持っているつもりだ。とはいえ、真っ当な生活者としての生活に精進努力しているひとびとを畏敬もしている。そのひとびとにもまた、倒壊する心身があると同情するからだ。ただ、私は壊れることをおそれはすれど、厭わないという偏屈なので、適度に修復しながら生きていくしかナイ。思うに、パソコンが壊れたときほどには、自身が壊れたことについて、ひとは慌て騒ぎはしないものだ。

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