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2010年1月17日 (日)

劇、その演技・22

ここで「衣装」というものについて述べるのは、この論考の逸脱ではなく、真っ当なことだと思われる。ただし、「衣装」についてはいま、私にいえるのはごくわずかなことでしかナイ。ここまでの論考で用いた概念を使っていうならば、演劇の「衣装」は「服飾」とはチガウ。前者は〔可能性〕であり後者は〔現実性〕だからだ。だから、演劇の「衣装」は「身体論」として語られなければならない。かんたんにいうなら、演劇の「衣装」もまた対象化された「演技」の範疇に入るからだ。つまり、演技力としての論理を持たねばならない。これは、『劇、その身体』という項目が用意出来るときにまで、考察をすすめたい。いま、おぼろげにワカルのは、ジェンダー論(を、たぶん、誤読している輩が述べていることなんだろうけど、というのも、私自身、あまりその点については考えたことがナイので、そういうしかナイのだが)女性がスカートをはいていることに敏感なのは、異性である男性ではなく同性である女性ではナイのかということだ。なにをいいだしているのかというと、舞台衣装において(多くは女優の衣装について)、一言居士の多くは女性だからだ。だから、私には、ちまたで(たぶん錯誤のもとに)流布されているような社会的・文化的性差別として、舞台「衣装」について論じることは出来ない。ただ、その「現実性(服飾)」を、どう「可能性(衣装)」に転換、変容すればいいのかという課題があるだけだ。

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