自由課題
今期伊丹の戯曲塾(想流私塾)の卒業発表のテーマを14年めにして初めて、「自由課題」というもっとも難しいものにした。理由は、今期の塾生は意外にも、毎度の課題(というよりお題程度)では、難しいものほど提出されたモノの出来がいいからだ。とはいえ「自由」というのはあまりに難しいから、レクチャーは「題材について」を語ってみた。まず、時事的なモノとして小沢一郎対検察、マスコミはなぜ小沢一郎が嫌いなのか、週刊朝日の今週号のようにマスコミはなぜ、小沢対検察についてホントウのことを書かないのかとか、そういうことは私にはどうでもイイ。勝手にやってりゃいいのだ。私が問題にしたのは、疑惑の金銭の少額さである。たった4億円じゃないか。映画の一本、低予算で撮れるかどうかだ。小沢一郎という政治家は、日本の民主主義がどんなものかを、おそらくはいまの政治家の中ではもっともよく知っているということに関しては、一目置いている。私の感想は以上だ。で、「自由」というものについてのレクチャーをしてみた。たぶん、日本人はこの「自由」というものについては未だに後進国(いまふうにいえば発展途上国、どこが発展してんのか知らないが)だ。なんなら、試しに街頭の庶民でもいいし、議員のセンセイにでもいい、「自由となんですか」と問えばいい。もっともらしいことしかいえないはずだ。キリスト教国においては、自由というのはハッキリしている。神の理性からの人間の理性の自立をいっているからだ。神などもたぬ日本人は、適当にお上とやりくりしてきた民族なんだから、自由なんていわれると困るのだ。現在、塾で師範をしているものが、塾生時代に最も困ったのは、お題が「自由」だったときだと、塾後の私と師範による三人の缶コーヒータイムでもらしていた。自由というものは、そのものが「課題」なのだ。
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