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2010年1月22日 (金)

カツマvsリカ、たんたんたる感想

『勝間和代 香山リカ 激論350分』(朝日新聞出版)で、香山は「まるで日経vs東スポ」だと自嘲ぎみに対談前の心境を述べている。(ところで、カツマ1968年生まれ、リカ1960年生まれ、と、カツマのほうがけっこう年下であるというのをはじめて知った。同じくらいかと思っていたのだけど、そうかなるほどねえという気もした)。さて、日経対東スポのようにこの対戦をたとえてみるならば、「資本主義の夢よもう一度」対「資本主義の夢よさようなら」という図式になり、雰囲気としては「孔子儒教」対「老荘道教」てなふうかな。結果的に対談後にカツマは「これからももっとお話したい」と相変わらずの優等生で、リカは「もう話す機会はナイと思う」とカツマ主義には見切りをつけている。おそらく、リカのほうは、いつもの診療室で患者と交わされる問診と同じような、うんざりする気分に滅入ったのだと思われる。不遜ないいかただが、カツマが離婚歴二回(バツ2)であり、リカが未婚であるというのは、読んでいて、まったく同じことのように感じた。どっちも男性というものに対して、何かおおきな錯誤があるとしか思えなかったからだ。私は経済学の専門家でも、通でもなんでもナイが、カツマには、もちっと経済学史を学んでもらいたいと思ったし、リカには、先端流行の精神医学を口走る(この本の中には出て来なかったけど)のもいいが、自然哲学にも目を通してもらいたいと思った。私は両者の著作をなにもキチンと読んでいないので、まったく無責任にしかいえないのだが(今後も読もうとは思わないが)、カツマの「一人一人が、自分が幸せになるためにちょっとずつ行動して、それがまわりの人によりよい生活をもたらして、お互いの生活を幸せにし合うこと」という結論を信じられるほどのノーテンキでもナイし、「努力もできず、向上できなくても、人は生まれただけで、生きる価値や権利がある」というリカの甘すぎる、あるいは世間をなめたような姿勢にも首肯出来ない。こんな程度のものなら、細木数子の占いを信じて日々の糧に生きている人々のほうが、よほど善良なる庶民大衆であり、生活者だという気がする。その細木大センセーも、かつては屋台の店を引き、七輪で客に出す秋刀魚を焼いていたのだ(と、噂には聞くが)。デフレが懸念されているとマスコミは騒ぐが、マーケットでは野菜もその他の食材も高騰のままだ。これが、低賃金に追い打ちをかけているのかと思うと、定賃金労働者ではナイ私までもが、暗澹たる気分になる。世界経済では、中国がGDP(国内総生産)で日本を抜いたとかどうとかやかましくいわれているが、では、中国と北朝鮮とでは国民固有の心情にいかほどのチガイがあるのか、その政府の思想的指導力にどれだけ差があるのか。かたや著作権を度外視した製品が多く出回り、かたや偽札までつくる。一方、世界でもっとも貧しい国であるハイチでは、天災とその後の暴動で生活が壊滅している。この伝でいけば、政治家とカネがどうだかと、正義の(らしい)不毛なとしか受け取れないような国会をやっている日本は、まだ、私のようなものが生きていけるぶん、カツマやリカのお世話にはならなくてすみそうだ。

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