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2009年12月23日 (水)

やめたほうがイイ

「執着するのが、人間じゃないですか」と、その塾生はいう。(前回からの一応、つづきネ)たしかにそうであることにマチガイはナイ。性(生殖)に執着しなければ、種の保存と繁栄は求められない。執着というのは、進化の過程での生き残りをかけた闘争のあかしだ。ただ、それはヒトのココロの問題で、もうひとつヒトには、思考する脳というものが発達した。釈迦の説いた摂理は、ひじょうに論理的だ。それは、智慧といわれるが、よくココロを汲み取って、脳でそれをコントロールしようという試みだ。ココロのままだけでは智慧にはならない。脳の思考だけでも知識にしかならない。相互の運動がものをいうのだ。近年、テレビのバラエティなどで話題にされる卑近な例をあげると、きょうびは携帯メールの発展で、本来なら音声として消え去っていくものが、メール(文字)として機械の中に残される。これが多くのトラブルを生むらしい。恋人や亭主、つきあってる彼、彼女のメールを盗み読むという行為だ。そこで、浮気発覚てなことになって、さて、別れる切れるの修羅場となる。読んでも読まなくても、事実としてあるものは、事実としてあるのだから、読めば苦しくなるだけなのに、読む。ひどいのになると、携帯検査のようなものまでやってるカップルもある。読んで事ナシと、ほんとうは安心したいのだろうけど、すでに読むという行為自体が、苦しい証拠だ。こんなのは、放っておけばイイ。もし、事があって、元の鞘におさまるか、別のトコロへ行くか、そんなことは、二人の関係性の問題と、個人の決定性の問題だからだ。信じる信じないということではナイ。苦しさを避けようと思えば、放っておくのがイチバンだ。なんだって偶然のgiftじゃないか。歴史上のこの世界に生まれ落ちたのもインシデンタルな贈与だ。明日、交通事故で死んだり、癌で余命申告を受けたりするのは何れの身にも同等にやってくる。それも贈与だ。チェスタートンはいってる。「シンデレラは12時まではシンデレラだった」女中シンデレラは12時まで、王子さまの相手をする贈与を魔女から受けたのだ。だから、12時過ぎのことをとやかくいってもしょうがナイ。しょうがナイものに執着したって、苦しいだけだと、おそらく釈迦の考えはそうだ。私とはなんなのか、考えてもしょうがナイものは、考えたら苦しくなるだけだぞ、と、釈迦は「私なんてのはナイよ」と説いたのだ。そういうことが私たち衆愚に理解出来るまで(そのような境地にいたるまで)には、かなりの経験値が必要だということは、承知だけれど。

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