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2009年12月 6日 (日)

劇、それ自体・6

『内臓のはたらきと子どものこころ』(三木茂夫・築地書館)と『ドグラ・マグラ』(夢野久作・講談社文庫)は傾向のまったく違う書で、前者は解剖学、古生物学をもとにして書かれた学問の書、後者は怪奇幻想探偵小説と銘打って世に出たミステリだが、双方に共通の言説が現れる。いわく『胎児の夢』だ。『ドグラ・マグラ』は出版当初(昭和10年)毀誉褒貶、賛否両論というよりも、これを読み通すひとそのものが少数であり、また、読み通したひとも、理解出来ぬというひとが(江戸川乱歩も含めて)多数だった。しかし、この書は、夢野久作が、まだデビューする前から書きはじめられており、夢野久作はこの書を遺すために小説家になったといっても過言ではナイ。その当時、理解されず、売れもしなかったのは、読んでみればなるほどと承服のいくところだが、つまりは「早すぎた」につきる。現在では、日本のミステリ・古今ベスト10には、必ず含まれる。ミステリであるので、詳細をここでは記さないが、中心になるのは前半のクライマックスである『脳髄論~脳は物を考える処に非ず』と、つづいて記される論文『胎児の夢』だ。『内臓の・・・』はこの科学的な裏付けをしていると考えてまちがいはナイ。簡略に解説すると、『脳髄論』では、脳というものは、単なる電話交換機のようなもので、ほんとうに思考をしているのは、人間全体の細胞ひとつひとつであるという、発想だ。細胞ひとつひとつに記憶が埋め込まれているという、要するに遺伝子(分子)生物学の考えを、夢野久作は、すでにここで語っているのだ。同様に、物理学者で波動力学(量子力学)の提唱者であるシュレーディンガーが『生命とは何か』(岩波新書・岡小天、鎮目恭夫・訳)という講演で分子生物学の端緒を論じたのが、昭和18年のことであるから、『ドグラ・マグラ』が民間においても業界においても理解されなかったのは無理はナイ。・・・この三つの書籍、言説から、「劇、それ自体」における心的領域というものに接近していきたい、というのが、私の方法だ。

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