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2009年12月 2日 (水)

劇、それ自体・3

〔劇〕とはなんだろう。演劇論が盛んだった頃は、ちょうど私が芝居を始めた時期とも重なっていたので、自立して劇団とやらを始め、戯曲などを書いて演出に手を染め出していた私は、多分にもれず演劇の論理(理論)が欲しかった。「演劇とはナニか」「演技とはナニか」「演出とはナニか」「戯曲とはナニか」という、本質論と情況論だ。で、その手の書籍を通読、乱読したが、まるで禅の修行で悟りを求めた一休禅師のごとく(そんなに立派でもなかったナ)満足な答えはナイ。演劇関連の書籍を多く出版し、私の処女戯曲集も出版してくれた、現在は評論家の編集氏に、事の次第を相談したが、「そんなものは、あなたが創らなきゃダメだよ」といわれた。それが28歳のときだ。それからも私の怠慢はつづくワケだが、さて、「演劇とはナニか」という設問をたてるとき、当然、「劇とはナニか」について答えられなければならない。岸田國士は、演劇をこう定義している。「俳優又はそれに代るべきものを以て、或る仕組まれた物語を、言葉、身振り、又は科(シグサ)によって実在化する一種の芸術である」。また、「劇」の本質を~「争闘」の中に見出し「争闘のない処に戯曲はない」という真理に到達した。~と述べている。再度いうように、この観点は、当時(大正13~14年)においては画期的な見識だ。ここで、彼は「争闘」というコトバでナニを述べているのかというと、劇作家においては戯曲表現に至る〔疎外〕を、演者にとっては演じることへの〔疎外〕を示している。つまり、「表現=疎外」という論理のとば口に立っているのだ。『演劇学の・・・』において、単に叙事的演劇と、ドラマとしての劇という分け方の検討を記述しているのとは、ずいぶんと差があるといわねばならない。この、『表現=疎外』については、後に論述していくつもりだが、(ともあれ、たいていのことは金杉忠男さん(故人)の『グッバイ原っぱ』(春秋社)で、問題提起されている)さておき、〔劇、それ自体〕を問題にする場合、「戯曲」と「演劇」はそれぞれを個別に、また架橋するものとして扱わねばならない。つまり、ふつう流布されているように、また『演劇学の・・・』で扱われているように、それは、リニア(linear)あるいはシリーズ(series)なものではなく、パラレル(parallel)なものだという前提を私たちは受け継いでいるのだから。これは、ことばをちがえていえば、「戯曲」も「演劇」も、〔劇〕が表現さたときのの固有性、または作用であって、対象であるところの〔劇〕の本質とは違うということだ。私たちが知りたいのは、ある表現をされたときの、固有性や作用の状態ではなく、そういう結果を生じる対象そのもの(劇、それ自体)の〔ほんとうの姿〕なのだ。ここで、では、「書かれないときの」「演じられないときの」、〔劇〕とはいったいどんなものなのかという、設問をたてるのは、愚挙にすぎるだろうか。たとえそうであっても、対象(劇、それ自体)の本質を知るためには避けては通れない路なのではないか。

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