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2009年12月26日 (土)

そういったようだ

古い仏典、といっても仏教が中国に入ってからの仏典から引用すると、ある日、釈迦の弟子のひとりが、「私はどうしても執着から逃れられません」と訴えた。そのとき釈尊は「汝、不足執着、不覚執着、非執着」と答えた。訳すれば、「おまえの執着というのは、ほんとうの執着ではナイ。だから、お前は執着に悩むのだ。もっと執着して、執着するのがイヤになるほど執着しないと、執着などというものは、執着とはいわない」つまり、コオロギよ、イヤんなるほど執着すれば、執着するのがイヤになって、執着するのもやめてしまうのが人間だ、ということを釈尊は、説いたのだ。これだけ「執着」という文字を出したら、読むのもイヤんなるだろう。

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