無料ブログはココログ

« 劇、その演技・1 | トップページ | 劇、その演技・2 »

2009年12月26日 (土)

そういったようだ

古い仏典、といっても仏教が中国に入ってからの仏典から引用すると、ある日、釈迦の弟子のひとりが、「私はどうしても執着から逃れられません」と訴えた。そのとき釈尊は「汝、不足執着、不覚執着、非執着」と答えた。訳すれば、「おまえの執着というのは、ほんとうの執着ではナイ。だから、お前は執着に悩むのだ。もっと執着して、執着するのがイヤになるほど執着しないと、執着などというものは、執着とはいわない」つまり、コオロギよ、イヤんなるほど執着すれば、執着するのがイヤになって、執着するのもやめてしまうのが人間だ、ということを釈尊は、説いたのだ。これだけ「執着」という文字を出したら、読むのもイヤんなるだろう。

« 劇、その演技・1 | トップページ | 劇、その演技・2 »

仏教・宗教」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/48385755

この記事へのトラックバック一覧です: そういったようだ:

« 劇、その演技・1 | トップページ | 劇、その演技・2 »