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2009年12月21日 (月)

劇、その演技・0

私自身のことをまず書いてみるが、イントロとしては、それが読者にも入っていきやすいだろうという考えからで、書くことといえば経験論になる。この業界では経験論が多く語られるが(たいていは、飲み会宴会の席で)それら自体はたぶん、姑息なものでしかナイ。聞いているほうは脳で聞いているので、血肉化しない。ありがたいお話です、貴重な経験談です、でオワリになるのがオチだ。秀行名誉棋聖の「ひとの真似をして碁を打つな」というのは、勝負のときで、勉強、学習、研究においては、囲碁や将棋、落語や芝居もまた人真似から始まる。絵画ですら、模写というのがある。しかし、いくらルーブルに通ってモンナ・リーサを模写したところで、ダ・ヴィンチに追いつけるワケがナイ。経験論、経験談というのはその程度のものだ。・・・私もかつては役者で舞台に立っていた。役者を中断したのは、台本書きと演出と役者では荷が重く、何かを棄てねばならなかったからだ。そこで役者を棄てたのは、ちょうどその時期に発病したうつ病と関係するのだが、カラダがきつかったせいだ。とちゅう、一度復帰してみたが、せりふがまったく覚えられなくなっているのに気づき、かつむかしのように舞台で芝居をすることのオモシロサがなくなっていることにも気づいて、もう、やめた。もうやめたが、再来年、またやるっつうのは、まあ、そろそろ人生にも先行きがみえたから、もう一度、名残に舞台に立ってみるかという、虫のよさでしかナイ。・・・それでも、40年近い演劇人生の中で、芝居を始めた当初、役者をやって遊んでいたときが最も楽しい時間だった。役者と乞食は三日やったらほんとうにヤメラレナイ。(とはいえ乞食の経験はナイ)役者を河原もの、河原乞食というのは、その住処が河原にしか与えられなかった鎌倉室町の政治的対応によるのだが、その演ずる場所は、やはり土の上か砂の上で、板(舞台)に上がるというのは、役者の夢だった。この風狂の人生を、ひとはなぜ選ぶのか、いまもなお羨望と蔑視の視線にさらされながら、「ひとびとに夢を与える」などという大嘘を平気で口にしながら、なぜ、彼らは芝居に依存してまで生きていこうとしているのか、ほんとうは、演劇(芝居)というものは、ここから語られなければイケナイはずなのだ。

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