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2009年12月

2009年12月31日 (木)

劇、その演技・6

「心的表出」というのは文字通り、心的な表出であり、これを身体的に受け持つところは内臓系統(植物系統)をその根本とするが、そのままでは表現出来ないので、像(image)や、また表象以前のものとして、脳がそれを変換して感知する。それらが表現される場合は、表象から形態へさらに転換されることになる。このVektorは内側(内界)から外(外界)に向いているが、ふつう「ココロの表現」と称されるものは、このことだと考えてイイ。「形象表出」というのは、脳における論理、演算、思考、記憶、などの作業過程をもって形態として表現されるもので、これは、「カタチの表現」と称される。この表現のVektorは外から入って脳をめぐり、外に出力(output)する。この二つの表出は、それぞれ固有ではあるが、Vektorの合成として表現される。ただ、そのエネルギーの強弱に差があるだけだ。歌舞伎でいうなら、「腹芸」と称された九世団十郎は前者のエネルギーが強く、五代目菊五郎は後者のエネルギーが強かったといえば足りる。ココロかカタチかなどという優劣の論議は意味をなさない。カタチもココロも継承されていくものだが、(それゆえ世襲されていく)ココロを伝えるのは不可能なので、カタチとしてそれは遺される。このカタチ(形象)からココロ(心象)を発掘するのを、芸の伝統という。・・・演技者(役者)においては、その演技を求めるとき、この何れに重きを置いて、それを訊ねてもカマワナイ。簡単にいえば、演技はココロからでもカタチからでも入っていけるものだ。とはいえ、その何れから演技を成さんとしても、それを入出力するのは演技者(役者)自身の心身だから、必ず、演技者(役者)の心身は、ついてまわる(というか、つきまとう)。表現がすなわち疎外であり、その克服であるというのは、この心身がついてまわる(つきまとわれる)本質をいっている。実存といおうが、神の被造物としての本質といおうが、そんなことはどちらでもカマワナイ。ここでいう本質は、生命体(生物)としての根底として、ニンゲンがもっている不可避の現象だ。 

仏性、猫の如し

『正法眼蔵(shoubow-genzow)』に触れる。巷でいわれるようにここでは「悟り」や「修行」というよりも、その主軸になっているのは「仏性」というものだ。この在り方から道元の論理は演繹されていく。ところで、この「仏性」というものを、人間に求めると(『正法眼蔵』もそうなのだが)話は難しくなる。といって、人間に求めなければ意味をなさない。のだが、私は、坊主でも宗教者でもナイので、猫の話をする。30年ばかり前に飼った猫は二度子供を産んだが、初産のときは、ペットの飼い方に書いてあるようなことはまるで眉唾だということがよくワカッタ。『飼い方』には、そっとしておかなければいけない、てなことが書かれてあるが、そっとしておくと、我が猫は心細さに、二階(そこが我が猫の眠る場所)から降りてきて、私に向けて鳴くのだ。そこで、二階で観ていてやると、安心して大人しくしている。我が猫は多産で、七匹産んだが、七匹めは死産だった。残り六匹の子猫たちは、遺伝子の違いなのだろうが、それぞれまるで性格が違っていて、猫などというものは同じようなものだと思い込んでいた私は蒙を啓かれた気がした。まだ乳離れもすんでいない頃だ。イチバンめの子猫はイチバン大きく、動作も緩慢というよりなにやら落ち着いた性格だった。とはいえまだ手のひらに乗るサイズだ。あるとき、6ばんめのもっとも非力な子猫が、段差が15㎝ばかりある隣の部屋に落ちた。必死で登ろうとしているのだが、非力ゆえ、どうにもならない。これを、イチバンめの子猫が観て(観なければワカラナイから観たのだろう)様子を確かめると(確かめねばワカラナイから確かめたに違いない)片手をさしのべて、これをすくい上げようとしはじめた。このとき、イチバンめの子猫にはその情況と、これを「助けねば」という反射があったはずだ。この助けねばという営為がその子猫のどこに宿ったものなのか、子猫のココロにか、意識にか、さすれば、猫にもココロ有り、助けるという慈悲有り。これを観て、私は仏性というものを深く感じた。もし、本能などというもので事をかたづけるならば、残り四匹の子猫は知らんふりだったのだから、それは理屈が通らない。仏性というのはかくの如し。付け足していうならば、私がそういう場面に遭遇せしことも、仏のはからいであったとすると、あの子猫は菩薩の化身ということになる。(後日談)その後、私はことあるごとに、手はさしのべるのだが、むこうからその手につかまってきても、ありゃ、爪がある、と、むこうが勝手にその手を引っ込める。それから先のことは知ったこっちゃナイ。

2009年12月30日 (水)

劇、その演技・5

演技者にまずやってくるのは、戯曲の登場人物(character)との差異だが、この差異はナニをうったえているのだろうか。それは、素材に対する注文(order)のようなものだ。と、そういうと、まるでアリストテレスの質量(材料)と存在のことを述べているかのようになるのだが、アリストテレスにせよ、まったくハズレたことを哲学していたワケではナイ。かつまた、私のいわんとしていることは、それほど大仰なことでもナイ。たとえば、仏像を創るとして、ブロンズと木材と石像とでは、あきらかに素材の違いがまず視覚される。演技者(役者)が実体として舞台に立った場合に、視覚として識知されるのは、単純にそのようなことだといいたいのだ。これを唯物弁証法では「素材は表現に優先する」と定義している。「人間は本質に先立つ実存である」とサルトルは実存主義の流行をつくったが、これこそ、単純なアリストテレス批判であって、人間の存在というものが、「ガ、ある」ではなく「デ、ある」というものだ。しかし、演劇はこういった哲学とは違った時空のものだ。哲学を援用することは出来るが、そのまま用いることは不可能だ。それが表現であるかぎり、そうして、演技者(役者)自身の身体(外観)が実体として舞台に立つという条件がつきまとうかぎり、演技者(役者)は、そのcharacterを、戯曲から得た情報と戯曲の表現とを加味しつつ、そっちに近づけながら、自身に引き寄せるというVektorの合成を、演ずることの作業としていかねばならない。この作業こそが「演技」と称されるものだ。ここで、歌舞伎の世界などでは、長年の論議となっている、カタチかココロか、という視点を端緒にして、「演技」の存在を〔心象表出〕と〔形象表出〕という二つのVektorに分割してみる。

2009年12月29日 (火)

てやんでぃ

中日(東京)新聞、12月29日朝刊、「男おひとりさま 上野千鶴子教授が指南」を読んで、心底この女はアホだと思った。アホでなければ、東大大学院教授なんてのは勤まらないだろうなとも思った。私なんぞは、このアホに影響されて、あるいは、教唆(そそのかされること)を受けて、または、言説を真に受けて、ほくそ笑んでいる世間のアホな女に同情するしかナイ。上野は「おひとりさま」と口にするが、オマンコfriendは複数いるはずだ。あるいは単数かも知れないが、いる(いた)のでアル。で、こういう女に限って、「私って、料理も得意なの」なんてことをおヌカシあそばすのだ。この記事では、「男おひとりさま道 10ヶ条」が示されていて、その第1条が「衣食住の自立は基本のキ」だ。いったい、どれだけの男(女性も含む)がこの世知辛い世間で、衣食住を充たしていられるのか。今年も、ホームレスへの越冬活動が始まった。上野は、どういう視線で世間を俯瞰しているのだ。第2条が「体調管理は自分の責任」だ。てめえは、涙とともにコップ酒なんぞ呑んだことはあるまい。涙とともにパンをかじったこともあるまい。第4条「過去の栄光を誇らない」、経歴やスキルを自慢すると、女性はその男性から遠ざかるらしい。私は私自身、そういうことをしたことはナイが、勝手に世間のほうから持ち上げられることはある。私はそんなことはどうでもいいのだが、毀誉褒貶は受け入れるしかナイ。第7条「女性の友人に下心をもたない」、neutralでいられる女性の友人というのは、私にも複数、存在する。とはいえ、あきらかに下心を持って近づく場合も、相手の女性によってはあり得る。経験上、卑劣だと思うのは、そういう男性の生理(心理なんてものはナイ)を感知して、様子をうかがいながら、近寄ったり引いたり、権謀術策を弄する女性が存在することだ。こっちもバカではナイので、またやってやがるな、このアマ、と過去には多く舌打ちしてきた。第9条「資産と収入の管理は確実に」って、どういう「おひとりさま」の男性なんだよ、てめえが、想定しているのは。要するに、この上野というババアは、「おひとりさま」でも生きられる男性に「おひとりさま」でも生きられる方法というのを指南しているにすぎない。それは、なにもいっていないのと同じだ。もう、お前の時代ではナイ。引っ込んでろ。・・・と、師走、晦日が近いのにaggressiveになっている、ので、あった。 

劇、その演技・4

自らを役に投ずるにせよ、役を自らに引き寄せるにせよ、演ずるという構造には変化はナイ。いずれにせよ演技者(役者)はimageした役で、舞台に立たねばならないからだ。このimageを観念的な具象と呼んでさしつかえない。観念的な具象というのは、それがまだ実体になっていないからだ。だが、舞台に立つのは、実体でしかあり得ない。どういうことかというと、ここで、順序づけていうならば、演技者には、観念的な具象を実体に、あたかも引っくり返すごとき作業が待っているということだ。〔演技〕という問題が生じてくるのは、この場面だ。なぜなら、観念的な具象を実体に転じさせる(変容させる)のは容易なことではナイからというのがその理由だ。構造だけでいうならば、演技者(役者)は舞台に立ったとき、実体としての〔役〕としてそこに在るので、観念的な具象は引っくり返されている。そこで、演技者(役者)自身の観念は、舞台に立っている自身を観る視線のようなものになって、ある客観をかたちづくる。これが、演じる構造そのものなのだが、こんな形式どおりには、ことはうまく運ばない。観念的な具象と、舞台に立った実体との差異に、必ず演技者(役者)は苛まれる。と、すれば、その差異を埋めていく技術こそが、「演技」と称されるものであることはいうまでもナイ。では、演技という技術は、いったい演ずることのなにを、どうすることなのか。演ずることをさらに解析するやり方で、この問題に、私たちは踏み込むことにする。

2009年12月28日 (月)

劇、その演技・3

単純に「演ずる」ということならば、誰しも日常的にやっている。思い当たらなければ、てめえが(失礼、自分が)恋愛などというものをしたときのことを思い浮かべればイイ。男はいい男を演じようとし、女はいい女を演じようとする。(おぼえがあるだろ)これはしょうがない。種の保存にかかわるからだ。孔雀だって、そのためにあの豪華な羽根がくっついているのだ。この構造は比較的簡単なもので、ただ、「イイ男(女)」というイメージ(表象というふうにいう場合が多い)を観念的(思い浮かべるということだ)につくって、そういうふうになった気になって、コトバなり行動なりを発現しているだけのことだ。演劇の場合、もう少し複雑になってくる。なぜなら、演劇の場合は、そこに戯曲という脚本が存在し、舞台という〔場〕が存在するからだ。もちろん、戯曲のナイ即興劇もあるだろうし、舞台というのは先にある場合も、アトから(つまり演じられたその場が)舞台となる場合もある。だからといって、構造はそのようなみかけに左右はされない。いずれにしても、人間に在る脳と身体、そうしてココロというもので、演じるという行為はなされるからだ。順を追っていけば、役者(演技者)はまず戯曲(台本・脚本)を手にして読む。読むというのは、視覚から脳への伝達だが、ここで書かれている文章(文字コトバ)は、ある像をもたらすことになる。これは脳とココロの仕事だ。表象というのは、この像にもう少し輪郭を与えたものだと解釈しておけばイイ。この像-表象は役者(演技者)の身体とは最初は関係しない。つまり、役者(演技者)は、いかようなimageでそのcharacterを描いても自由だ。おそらくは、思い浮かぶかぎりの、もっともすぐれたカタチでの描き方をするはずだ。観念はそういう点でどこまでも自由だからだ。次に、そのimageの変容を余儀なくされる時間がやってくる。戯曲(脚本)に描かれ、自らがimageしたそのcharacterに、自分のココロと、その外部(外界)の身体が、どれほど耐え得るか(応じられるか)という「反省」だ。この「反省」は自らを識知する程度にみあっている。極端なことをいえば、30歳前後の演技者が60歳~80歳の老齢の役どころを演じるのはまだ可能だが、三歳の子供や、赤ん坊の役となると、(観客との特別な了解関係がなければ、というのは、「これはお芝居ですから」というお断りがなければという意味だが)これは難しい。では30歳前後の役どころであれば、即座にその役に耐え得る(応じられる)のかというと、そうではナイ。戯曲の中の人物と、自分(演技者自身)とでは、かなり異なったところがある。なぜなら、戯曲は劇作家がかってにimageしたcharacterで書かれているからだ。これにどうオトシマエをつけるのか、ともかくは、演技者が描いた人物と、戯曲に書かれた人物との差異、相違を識知するところから演劇における演ずる行為は始まる。(そういう識知ナシの(というか、その能力がナイ)演技者はここでは勘定に入れていない)。そこで、演技者のやることは、二つに分かれる。戯曲の人物に自分を近づけていくか、逆に自分に戯曲の人物を近づけていくかだ。だが、これらも依然として、ともかくは演技者の観念の中の営為でしかナイ。 

2009年12月27日 (日)

劇、その演技・2

「演技とは、個々の具体的な生きた事実からはいり、自分以外の生きた人物になりかわること」(『久保栄演技論 講義』)。良心的に読めば、ここでは、人生経験と、それを活かした演劇における役への投入が述べられている。しかし、役を演ずることは、ハイデガーのいうところの「存在企投」(projectと英訳される。投射という意味で、現存在(人間)が、ある場所に自らを設定することにより、所有する視点と考えて大きく間違いはナイ)とは似ていて非なるものだ。久保のこの定義は、アリストテレスの考えた、質量(材料)と存在の在り方から一歩も踏み出してはいない。つまり、何らかの存在(役)を創るには、それなりの材料が世界に存在しなければならないという考え方だ。この考え方は意外に多く、いまでも、プロデュースという名のもとに、適材適役で行使されている。つまり、ある役者(演技者)に苦労をかけて役になってもらうより、その役に適していると思われる役者(演技者)を連れてきたほうが手っとり早いということだ。もちろん小劇場演劇ではそういう具合にはいかないので、それとは逆に、あて書きという、その役者(演技者)にみあった役を考えてホンが書かれるということになる。余談に飛ぶが、以前、ある喫茶店をテーマにして、数人の劇作家がオムニバスを書くにあたり、私も20分程度の一話を書いたが、それには、主役の歌が大きなかなめとなっていて、で、現実に、主役である女優がオンチであるということが発覚し、演出家が大慌てで私に連絡してきたことがある。これはなおしようがナイので、仕方なく演出家がホンを書き直して、まったく別の中途半端な芝居になってしまった。こういう観点からみれば、なるほど、適材適所が楽でイイ。劇団というシステムは、おおむね、それにアンサンブルのとりやすさを付け足したところがけっこう多いのだ。だが、これはすぐにアキられる。劇団の終焉は、そのものにアキてしまうか、女性(傾城)の問題か、経済の問題か、それ以外にはナイ。・・・私たちは演技を演ずる技術ということにした。そこで、「演ずる」という行為の構造に立ち入ってみたい。

2009年12月26日 (土)

そういったようだ

古い仏典、といっても仏教が中国に入ってからの仏典から引用すると、ある日、釈迦の弟子のひとりが、「私はどうしても執着から逃れられません」と訴えた。そのとき釈尊は「汝、不足執着、不覚執着、非執着」と答えた。訳すれば、「おまえの執着というのは、ほんとうの執着ではナイ。だから、お前は執着に悩むのだ。もっと執着して、執着するのがイヤになるほど執着しないと、執着などというものは、執着とはいわない」つまり、コオロギよ、イヤんなるほど執着すれば、執着するのがイヤになって、執着するのもやめてしまうのが人間だ、ということを釈尊は、説いたのだ。これだけ「執着」という文字を出したら、読むのもイヤんなるだろう。

劇、その演技・1

力学的(ニュートンの)にいうと「速さ」と「速度」は違う。前者はspeedのことだが、後者には向きが加わる。つまりVektorというものだ。舞台の上の演技者の動きはすべてこの「速度」として考えなければならない。つまり、動いているときはともかく、じっとしているときも演技者にはそのカラダと音声には向きがあるので、その演技は「速度」と考えてイイ。この速度には時間が加わる。どれだけの時間、じっとしているのか、どれくらいの速度でせりふをいうのか、ということだ。これは「演技」の問題や「演出」の問題と深くかかわってくる。ついでにいうならば、「演じる」ことと、「演技」とは違う。前者は動詞だし、後者は名詞だ。よく「演技する」というコトバを耳にするが、これは「お茶する」というコトバづかいと同じで、本来なら「お茶を飲む」というべきところを変えたいいまわしだから、その伝でいくと、「演技をする」くらいがぎりぎりのところだ。「演技とはなにか」と問われた場合、それは「演ずることの技術」だと答えるのが、最も単純明解な答だ。自己表現がどうだの、他人の皮をかぶって自分を・・どうだのという、ややこしい答は必要ではナイ。そこで次に、では「演ずるとはなにか」「その技術とはなにか」という問いが必然的にやってくる。

2009年12月25日 (金)

劇、その演技・03

私たちはなんのために演劇なんぞをやっているのか。こういう素朴で実は根源的な問いに対しても、率直な答を聞いたことはナイ。芸術か運動か、そんなことは私にはどうでもイイことのように思われる。私がその問いにいま出せる答は「生き残るため」というひとことだ。これは「生きるため」というのとは違う。役者は役を生きるだの、役によって自己を表現するだのというコトバを耳にするが、それもまた固有の志向であって、それぞれがかってに(妨げにならぬ程度に)思うぶんには、どうでもイイ。私たちは舞台でカラダとココロを動かして、一汗かいて気分よくして、そのアトに、美味い酒とそれにみあった肴で笑うことが出来れば、それでイイのだ。演劇というものは、それ以上でもそれ以下でもナイ。おそらく原始の芝居というのは、そういう境地に入ることが、神と同じ位層に自らを置くことと同意だったのだろう。神人(シンジン)として、最初の芝居びとは存在したはずだ。それが神人(ジニン)という変容をとげたのは、その営みに経済というものが導入されたからだ。この「快楽(Eros)」としての営為と、「経済(economy)」としての営為の二重のparallelな導線は、いまも変わらずに、演劇というものについてまわる。前者は表現として、後者は生活手段として。だから、演劇(狂言)の発生が知りたければ、古文書などにあたるよりも、いまの演劇人たる人々、私たちの生き方から推し量って充分その答が得られる。鎌倉室町から六〇〇年、このスタイルに大きな変化はナイ。演劇というのは、なにかしら〔生き残って〕きたのだ。私たちはこの生き残ってきたものに、自らの生存をゆだねているといってもイイ。それはいま、この時代、この世間(うきよ)で「生き残る」、本能的な選択ともいえる。

2009年12月23日 (水)

劇、その演技・02

私の演劇の初体験は、身体(カラダ)からやってきた。あの経験はいまでも忘れることが出来ない鮮烈なものだ。18歳のとき、名古屋の中京大学でニセ学生をしていた私は、友人の所属する演劇部(とはいえ、当時は、学校とは独立の「劇団」として門戸を外部にも開いていた)に居すわることになった。で、演劇部だったので、芝居をすることになった。キッカケというものは、それだけのものだ。べつに志すところがあったワケではナイ。演劇のことなど何一つ知らない若輩だったが、ともかく役者をやることになって、それが当時の演出でもあったのだろうが、私は、客席からジーンズひとつの半裸(上半身は裸)で舞台に向って登場するのである。このときのせりふは記憶していない。ただ、私はみえもしないのに、私の背中を観た。私の声を私の耳がとらえた。それは18年間、知り得なかった、新しい驚きだった。私は私のカラダを私がちゃんと観ていることを感じた。その快感はずいぶんと激しいものだった。もちろんそれは、私の意識が演じている私を捕捉していただけにすぎないのだが、そのような意識が芽生えるものであるということを、演劇を通して体験したのだ。その快感(ココロ)は何処から来るものなのか、そんなことには興味はナイが、これはオモシロイものを発見した、私とは、こんなふうだったのか。と、堪能して、やがてそれはヤミツキになった。

やめたほうがイイ

「執着するのが、人間じゃないですか」と、その塾生はいう。(前回からの一応、つづきネ)たしかにそうであることにマチガイはナイ。性(生殖)に執着しなければ、種の保存と繁栄は求められない。執着というのは、進化の過程での生き残りをかけた闘争のあかしだ。ただ、それはヒトのココロの問題で、もうひとつヒトには、思考する脳というものが発達した。釈迦の説いた摂理は、ひじょうに論理的だ。それは、智慧といわれるが、よくココロを汲み取って、脳でそれをコントロールしようという試みだ。ココロのままだけでは智慧にはならない。脳の思考だけでも知識にしかならない。相互の運動がものをいうのだ。近年、テレビのバラエティなどで話題にされる卑近な例をあげると、きょうびは携帯メールの発展で、本来なら音声として消え去っていくものが、メール(文字)として機械の中に残される。これが多くのトラブルを生むらしい。恋人や亭主、つきあってる彼、彼女のメールを盗み読むという行為だ。そこで、浮気発覚てなことになって、さて、別れる切れるの修羅場となる。読んでも読まなくても、事実としてあるものは、事実としてあるのだから、読めば苦しくなるだけなのに、読む。ひどいのになると、携帯検査のようなものまでやってるカップルもある。読んで事ナシと、ほんとうは安心したいのだろうけど、すでに読むという行為自体が、苦しい証拠だ。こんなのは、放っておけばイイ。もし、事があって、元の鞘におさまるか、別のトコロへ行くか、そんなことは、二人の関係性の問題と、個人の決定性の問題だからだ。信じる信じないということではナイ。苦しさを避けようと思えば、放っておくのがイチバンだ。なんだって偶然のgiftじゃないか。歴史上のこの世界に生まれ落ちたのもインシデンタルな贈与だ。明日、交通事故で死んだり、癌で余命申告を受けたりするのは何れの身にも同等にやってくる。それも贈与だ。チェスタートンはいってる。「シンデレラは12時まではシンデレラだった」女中シンデレラは12時まで、王子さまの相手をする贈与を魔女から受けたのだ。だから、12時過ぎのことをとやかくいってもしょうがナイ。しょうがナイものに執着したって、苦しいだけだと、おそらく釈迦の考えはそうだ。私とはなんなのか、考えてもしょうがナイものは、考えたら苦しくなるだけだぞ、と、釈迦は「私なんてのはナイよ」と説いたのだ。そういうことが私たち衆愚に理解出来るまで(そのような境地にいたるまで)には、かなりの経験値が必要だということは、承知だけれど。

2009年12月22日 (火)

そんなたいそなもんやナイ

昨日は、今年の最後の塾ということで、近所の韓国料理屋で忘年会。ふだんは塾生とは飲まないが、この日は特別。料理もけっこう美味かったな。で、宴も終盤、だいぶ酒を入れて勇気をつけて、と、前置きして、私のとなりに塾生が座ると、「仏教について聞きたい」という。ナニか仏教の本でも読んだのかと問い直すと、『正法眼蔵』(曹洞宗開祖、道元の著作、全九五巻からなる大著)をって、いきなりそういうのを読んじゃダメ、んで、何が聞きたいかとさらに問うと、仏陀は執着を棄てよとと説いたが、愛への執着をなくして、何の私か、執着あればこその人間ではないか、そうでナイ私なら私とは何か、と、まあそうなのだ。えーっと、簡単にいってしまえば、釈迦仏陀は、愛への執着を棄てよなどとはいわなんだ。なにごとにも執着すると苦しい、愛というものもまた同じで、執着すると苦しいよ、と、いうただけだ。したがって、執着しない愛なら苦しくはナイ。とはいえ、執着を棄てるということに拘泥すると、執着を棄てるということに執着することになって、また苦しい。だから釈迦は、なるべく執着せんように生きたほうが楽だよ、と、いったにすぎない。釈迦は、この世界の真理を求めて、苦行もしたし、瞑想もした。そこで、どっちも極端はアカンと、そういう答に至った。何故なら、瞑想も苦行も、そのどっちからも真理の答(悟り)なんぞ出てこなかったからだ。そこで真理を悟るために執着している自分に気づいて、こういうところからは悟りなんぞというもの得られナイと、悟ったのだ。ただし、コオロギよ。釈迦はそう悟るまで、艱難辛苦を舐めたワケだ。さらに、自らもまた執着に囚われるものとしての、釈迦の修行はそこから始まったというのが、ほんとのところだろう。 

2009年12月21日 (月)

劇、その演技・0

私自身のことをまず書いてみるが、イントロとしては、それが読者にも入っていきやすいだろうという考えからで、書くことといえば経験論になる。この業界では経験論が多く語られるが(たいていは、飲み会宴会の席で)それら自体はたぶん、姑息なものでしかナイ。聞いているほうは脳で聞いているので、血肉化しない。ありがたいお話です、貴重な経験談です、でオワリになるのがオチだ。秀行名誉棋聖の「ひとの真似をして碁を打つな」というのは、勝負のときで、勉強、学習、研究においては、囲碁や将棋、落語や芝居もまた人真似から始まる。絵画ですら、模写というのがある。しかし、いくらルーブルに通ってモンナ・リーサを模写したところで、ダ・ヴィンチに追いつけるワケがナイ。経験論、経験談というのはその程度のものだ。・・・私もかつては役者で舞台に立っていた。役者を中断したのは、台本書きと演出と役者では荷が重く、何かを棄てねばならなかったからだ。そこで役者を棄てたのは、ちょうどその時期に発病したうつ病と関係するのだが、カラダがきつかったせいだ。とちゅう、一度復帰してみたが、せりふがまったく覚えられなくなっているのに気づき、かつむかしのように舞台で芝居をすることのオモシロサがなくなっていることにも気づいて、もう、やめた。もうやめたが、再来年、またやるっつうのは、まあ、そろそろ人生にも先行きがみえたから、もう一度、名残に舞台に立ってみるかという、虫のよさでしかナイ。・・・それでも、40年近い演劇人生の中で、芝居を始めた当初、役者をやって遊んでいたときが最も楽しい時間だった。役者と乞食は三日やったらほんとうにヤメラレナイ。(とはいえ乞食の経験はナイ)役者を河原もの、河原乞食というのは、その住処が河原にしか与えられなかった鎌倉室町の政治的対応によるのだが、その演ずる場所は、やはり土の上か砂の上で、板(舞台)に上がるというのは、役者の夢だった。この風狂の人生を、ひとはなぜ選ぶのか、いまもなお羨望と蔑視の視線にさらされながら、「ひとびとに夢を与える」などという大嘘を平気で口にしながら、なぜ、彼らは芝居に依存してまで生きていこうとしているのか、ほんとうは、演劇(芝居)というものは、ここから語られなければイケナイはずなのだ。

2009年12月19日 (土)

劇、それ自体・・補

この論説は、私自身が納得したいがために書かれたものであるから、かなりわかりづらい点が多かったかも知れない。とはいえ、このブログエッセーの通常恒読者、約100~150名に対しても、できるだけ理解してもらうように努めたつもりだ。私たちは業界、ファンを問わず、演劇における「劇」ということの本質を無前提にして、それについて話したり書いたりしているのだが、それは換言すれば「劇」というのはナニかに対しての答をもっていないということになる。ずいぶんと以前から、私は私なりにこのことが気がかりであり、表現するがわとしての責任のようなものを感じていた。ぼやぼやしていたり、怠慢なせいで、ともかくいま、やっと、ひとつの答を取り出せた。ここでは、主に三冊の書籍を取り上げたが、この書籍の両隣には数十冊の書籍があり、何十回の現場があると思ってもらったほうがイイ。さらにいうならば、紆余曲折の思案、思考があったことはいうまでもナイ。もちろん、この論説は、私と一対一対応するものであって、異論や異見があってかまわないし、なにも私の関知するところではナイ。この論説の問いは、25年以上前に、「演技とはなにか」という、ささやか(で重大)な問いかけから始まった。何度も書くが、それに答えてくれる書物も思想もなく、それじゃあ、自分で考えるしかしょうがナイと思ったのだ。囲碁の名誉棋聖、藤沢秀行(故人)は、多くの碁打ちに影響を与えたが、そのコトバはふたことめには「他人の碁のまねをするな」だった。そうして、この無頼の碁打ちは、そのとおりの囲碁を碁盤に残した。それに倣うワケではナイが、私は私なりの「劇」についての答をともかくもみつけることが出来たことについて、やや安堵している。戯曲というものが、説話(物語)文学と日記文学との融和であるという『言語にとって美とはなにか』(吉本隆明)の視点はきわめて美しいものだが、それでは、その出所は奈辺にあるのか、という問いは残った。それを、素潜りで捜すような作業だったが、水底から、拾ってこられるものは拾えたと思っている。ほんとうは、クラモチくんが生きているうちに、こういうことはやり遂げて、彼に読んでもらいたかったのだが、みんな私の怠惰と弱さが悪い。そのときの情緒や気分や心情や趣味や趣向や人生観の違いやら、ただそれだけの批評や毀誉褒貶の弁がうずまく中で、あるいは、当世流行のismを振り回したり、便乗したりしただけの擬制的論述がまかり通っている情況で、なおかつ、こっちは素潜りで、深く静かに遊泳していく。このアト、読むのが面倒かも知れないが、このエッセーは『劇、その演技』へとつづく予定だ。

2009年12月17日 (木)

劇、それ自体・11

生命現象そのものには目的がナイ。そもそもそれが発生した理由が明らかでナイ。さらにいうなら生命がこの宇宙に発生する確率は、ナイ。確率がナイというのは、確率論的に扱える範囲からは逸脱しているということだ。量子の動きですら、確率論はとらえるのに、生命の発生をとらえるのは、確率の洛外なのだ。シュレーディンガーが、そういうことに注目したのも、物理学者としては当然の理路であったろう。計算によっても違うが、単純な計算では、生命というものが発生するのは、いまのような宇宙が一兆個あって、そのうちの一つくらいというものもあるほどだ。しかし、ともかく発生したのは、事実なのだ。理由や目的のナイ〔生命現象〕は、進化という道程をへて、その記憶=記録を遺伝子に刻印した。あたかも「胎児の夢」のごとくに、私たちはそれを細胞単位で受け継いでいる。それは私たちの内臓(カラダ)の中に眠る。脳は演算と思考をするが、心的な領域とは考えにくい部分だ。なぜなら、発達が進化的にみると新しいからだ。(ちなみにこの演算だけを取り出したのがコンピュータだと思えばいい)今年、人類の始祖とされていたルーシーよりさらに100万年を遡る、人類の祖先の化石が発掘された。ラミダス猿人、ちょうど、人類と猿の中間地点らしい。そのあたりから脳は発達、進化を開始するが、心的領域は、もっと古く、進化の過程によって内臓に遺伝子によって記録(記憶)されたものだ。ただ、唯物弁証法的にいえば、この脳とココロは、「対立物の相互浸透」という運動によって、機能していると思ってまちがいナイ。「劇」は、この進化の過程の記録(記憶)、遺伝子に刻み込まれたものだ。そういってしまうとなんだってそうじゃないか、それならなにもいってナイのに等しいのではナイか、と半畳入りそうなので、「劇」が、どういう特殊な記録(記憶)なのかを、出来る限りいってみる。そうすると、〔劇、それ自体〕とは、「ある〔物語〕として心的領域に刻まれた生命現象の記憶(記録)であり、それ自体は物質としてのエネルギーではナイので質量はもたないが、波動としてのエネルギーをもつ、人類史そのものである」ということになる。この〔物語〕というのは、コトバとしてその表出を表現出来るところから、逆視したものだ。それは単なるromanticismだろうという反論については、そのとおりだと、まず応えておいて、romanというものが派生してきたのは、生命現象という、インシデンタルなギフトを、そのように転回してとらえた、人間の心的な特殊性を主張すれば足りる。つまり、劇という心的領域のromanを取り出すために、戯曲や演劇というものが存在するのだ。このromanは、魚類が陸に上がって両生類となる苦難も含まれている。鰓から肺へ。なぜ、魚類は陸に上がったのか。それは「そこに陸地があったからだ」という答が妥当だ。地球がまったくの水の天体であれば、そんなことは起こりえない。しかし、何分の一かは陸となった。陸となったために、陸に上がらねばならない苦闘が、進化の歴史の中に存在したと思わねばならない。進化は謎につつまれているが、劇それ自体も多くの謎を秘めて、心的領域に眠っている。あたかも『紅孔雀』の宝のように。 

2009年12月16日 (水)

お報せ

主筆、眼精疲労のため、パソコンに向かうもままならず、よって、開店休業。悪しからず。モウシワケナイ。

2009年12月15日 (火)

映画評『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』

原作は三部作だそうで(一部ごとの完結だけど)、累計2100万部(世界第二位)の売り上げだそうだ。ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(こっちはショーン・コネリーで映画化されている)と比較される、今世紀最大のミステリーという触れ込みだ。もちろん、エーコの『薔薇の名前』には及ばない。よく出来ていると思うが、私の『ぶらい、舞子』(小峰書店)のほうがオモシロイのはいうまでもナイ。で、2時間半の長尺なのだが、またかよ、と食傷ぎみな聖書ネタが出て来る。旧約聖書だ。西洋のミステリ大作になると、すぐコレだからな。であるのに、聖書の素人の私でもワカル謎のヒントを探偵役の二人がナカナカ気づかない。ナチ・エピゴーネンが悪役で、これも、いつものステロタイプだなあとため息しつつ、真犯人など誰でもよくなってきてしまう。途中までは、かなりオモシロイんだけど、半ばから、私はparallelにべつのミステリなことを推理していた。そういう芸当は芝居みたいなものを長年やっていれば可能なのだ。ミステリ映画としての雰囲気が、こちらの論理癖を刺激して、こっちのパズルが完成したころに、映画も終わって、『薔薇の名前』を観たときは俄然、原作が読みたくなったが(映画のほうが先で原作は出版されていなかったので、後読みになった)、こっちは、とりたてて、そういうことはなかった。繰り返しいっとくけど、私のミステリ、『ぶらい、舞子』のほうがオモシロイと思う。(半分は宣伝、半分はマジに)

2009年12月13日 (日)

劇、それ自体・10

『脳髄論』(『ドグラ・マグラ』)にもどる。ここでは「脳は物を考える処に非ず」という命題が提出され、それに主要登場人物のひとりがインタビューに答える形式で、物語が進む。このアトにすぐ、『胎児の夢』という論文に入る。夢野久作が、どちらを先に思いついたのかは、ワカッテいないが、おそらくは全編を通して貫かれる〔胎児の夢〕が『ドグラ・マグラ』のテーマであることからして、そっちが先だと思われる。『脳髄論』は、その進化の過程(胎児は生物-生命体進化の夢を胎内で観ている)から、演繹された脳のはたらきを、従来の見識に対するコペルニクス的転換で論じたものだ。いまの世間も脳ブームで、それに関する書籍はのきなみ出版されて、ベストセラーになっている。先鞭をつけたのは、養老孟司さんであるが、彼が解剖学の専門であることは特記すべきことだ。夢野久作の転換は、文字通り、本来、脳というのは神経の交換機関でしかないのに、これがさも物を考えているかのように錯覚して文明が発展したため、世の中が無茶苦茶になった、というシロモノで、おそらく発表当時はキワモノ、トンデモものでしかなかったに違いない。とはいえ、現在も脳死をヒトの死と判定する基準からして、脳=ヒトという偏見は変わっていない。しかし、解剖学的、古生物学的にみれば、脳の発達など、うんとわずかな時間でしかナイ。であるのに、胎児が進化の夢を観るということはどういうことか。夢野久作のモチーフは、胎内の胎児の成長が、生物がヒトへと進化していく過程を経ていくというところに注目したことだ。これは、『内臓のはたらきと・・・』においても、ココロの発生を内臓に求める部分で、重要に論じられていて、肝腎かなめは魚類が、陸地に上がって両生類となる新生代、これが胎児の32日めから38日めに相当する。ここがなぜ肝腎なのか、というと、ここで、進化は鰓(えら)呼吸から肺呼吸へと、一大変化を、しかも相当難儀で苦しい変化を遂げたというところだ。ちなみに、直立二足歩行については『内臓の・・・』では、幼児の爪先立ちに注目していて、それこそが、二足歩行への名残だと指摘している。そうして、これらをつなぎ、つむいできたのが、シュレーディンガーの提唱から始まった分子生物学による遺伝子というモノなのだ。〔劇〕が、その一連の生命現象に含まれないワケがナイ。

2009年12月11日 (金)

第三大臼歯

抜き残していた、親不知が痛みだして、これを抜歯する前後の一週間で、体重が4㎏も減少した。一週間に4㎏のダイエットはカラダにきつい。やっとふつうに食事ができるようになってきたので、体力は復調しはじめている。『劇、それ自体』も、継続を再開した。明日は観劇の予定。体力がしっかりもどるまで、休み休みの掲載になると思われるが、別に、脳が休んでいるワケではナイ。たしかにカラダが弱ると、ココロも弱る。それを実感した一週間だ。

劇、それ自体・9

さらに横道にそれるようだが、書きおきたい。釈迦が、悟りというものに至ったとき、「苦」というものを十二に分けた。「十二因縁」と称されるものだ。これは「無明」から始まる。他の十一項目は概念がハッキリしている。が、この「無明」というものは、概念的なシロモノではナイ。ところが、あらゆる苦の根源となっている。では「無明」とはなんなのか。これは私の推測にすぎないが(仏教学者でも研究者でもナイので)、釈迦は、〔生命〕というものは、ひとつの現象であって、それ自体には、何の目的も意味もナイ、すなわち「明らかで無い」ということに気づいたのではないだろうか。その生命をナニかの目的や意味があるように錯覚するところから苦しみが始まると、順序立てればそういうことになる。しかし、目的も意味もなにもナイだけであれば、それはただの虚無としか呼べないものになってしまう。たとえ、虚無であっても、そこに生きる道筋をつけねばならない。如何にすれば、目的も意味もナイ存在である生命体の現象という人間の人生に、価値を付与できるか。これが、釈迦の最初の自問だったような気がする。それゆえ、原始仏教における釈尊の教義はひじょうに淡々としたものだ。生命現象の目的を(それがもしあるならば)考えてみたいというのは、量子力学への要請でもあった。シュレーディンガーが、量子力学が生命体とどう関連するのか、量子力学の方向をひとつ打ち出したのも合点がいく。そこでは、熱力学の第二法則から生命体についての論議もあるが、本論とは、あまりに逸脱するので、ともかく本筋に論旨をもどそう。要するに私がいいたいのは、〔劇〕というものは、生命現象と深く関わっているということだ。

2009年12月 8日 (火)

劇、それ自体・8

やや横道にそれるかも知れないが、ふれておくと、『人類の進化と未来』(今西錦司・第三文明社)における今西進化学説では、直立二足歩行を始めたオーストラロピテカス以降、人類の歯は退化し、現在の第三大臼歯(親不知)はその名残とされている。この歯の退化によって、顎の筋肉が弱まり、大脳の発達が始まった。これを今西学説では「大脳化」と呼んでいる。ここでは、大脳の発達が重視されているが、歯の退行という現象は、食生活の転換を示しているようにも考えられる。食生活の転換というのは、咀嚼(かみ砕く)、嚥下(飲み込む)、吸収、排泄の変容を意味する。つまり、内臓の進化だ。これを大脳化と同様に、「内臓化」と称してもいいように思える。「内臓化」というのは、すなわちカラダの変容だ。ここに臭覚や聴覚、触覚、視覚、などに肩をならべるようにして、味覚というものが登場する。これは食せるものとそうでナイものを分別する感覚ではなく、されにすぐれて、美味い不味いという感覚をもたらすことになる。「味のある芝居」「味つけのよい演出」など、味覚は、料理以外の表現に対しても用いられるが、その根本は、人類が獲得した味覚からきている。味覚は、心身にはたらいて、表現の表出をうながしたとするのが妥当だろう。三木茂夫さんの著書においても、子どもがなんでも、まず口に入れるのは、ひとつの人類史の証拠としてあげられているが、それは心的領域が、内臓系統に包括され証左でもある。つまり、端的にいってしまえば、心的なものの形成は、生命進化の領域に在ることを述べているに他ならない。それは、〔劇〕もまた、生命進化とともに創設されたたということだ。

2009年12月 7日 (月)

劇、それ自体・7

「劇、それ自体」を心的領域に求めるということは、逆にいえば、〔劇〕という心的なものを表出-表現するため(そのものをとりだすため)に、戯曲という書かれた劇や演劇という演じられた劇があるともいえる。どちらも言語としての劇としての共通点は持ちながら、その身体性の表象(image)が異なる。展開すれば、前者は書かれた文字であり、読まれる文字であるが、その表象としての身体は、まったくの作者の想像=創作であることも、またある固有の身体を最初に特定しての(つまり、演じる者があらかじめ決まっている)身体である可能性をはらんでいる。いずれにせよ、ここには、言語(コトバ)と身体(カラダ)があり、その根底には心性(ココロ)があるとみなしていい。〔劇〕の心的表出が、コトバから初まったものなのか、カラダから初まったものなのか、と問い直せば、おそらくは人類がまだ言語(コトバ)を獲得していない時代に、原始的な劇の心的表出が、身体(カラダ)と原始的な音声に生じたと位置づけねばならない。なぜならば、ここで音声とは、唸りや叫びと同意であり、身体表現とは揺さぶりや蹈鞴(たたら-足を踏むこと)と同意で、ちょうど生後まもない赤ん坊が、意味のナイ動きや声を発するのをみるようなものだと思われるからだ。この赤ん坊の動きから察するに、その動きは、母親の胎内にいたときの連環として、あるいは羊水からまったく新しい環境へ産み出された断裂として、あたかもその疎外とその打ち消しに向けた、もがくような訴えのようにみえる。これは、芸術表現としての前衛舞踏、暗黒舞踏、コンテンポラリーダンスの優れた創作の中にもみいだされるものだ。それらはみな、「胎児の夢」のつづきを物語っているような気がする。

2009年12月 6日 (日)

劇、それ自体・6

『内臓のはたらきと子どものこころ』(三木茂夫・築地書館)と『ドグラ・マグラ』(夢野久作・講談社文庫)は傾向のまったく違う書で、前者は解剖学、古生物学をもとにして書かれた学問の書、後者は怪奇幻想探偵小説と銘打って世に出たミステリだが、双方に共通の言説が現れる。いわく『胎児の夢』だ。『ドグラ・マグラ』は出版当初(昭和10年)毀誉褒貶、賛否両論というよりも、これを読み通すひとそのものが少数であり、また、読み通したひとも、理解出来ぬというひとが(江戸川乱歩も含めて)多数だった。しかし、この書は、夢野久作が、まだデビューする前から書きはじめられており、夢野久作はこの書を遺すために小説家になったといっても過言ではナイ。その当時、理解されず、売れもしなかったのは、読んでみればなるほどと承服のいくところだが、つまりは「早すぎた」につきる。現在では、日本のミステリ・古今ベスト10には、必ず含まれる。ミステリであるので、詳細をここでは記さないが、中心になるのは前半のクライマックスである『脳髄論~脳は物を考える処に非ず』と、つづいて記される論文『胎児の夢』だ。『内臓の・・・』はこの科学的な裏付けをしていると考えてまちがいはナイ。簡略に解説すると、『脳髄論』では、脳というものは、単なる電話交換機のようなもので、ほんとうに思考をしているのは、人間全体の細胞ひとつひとつであるという、発想だ。細胞ひとつひとつに記憶が埋め込まれているという、要するに遺伝子(分子)生物学の考えを、夢野久作は、すでにここで語っているのだ。同様に、物理学者で波動力学(量子力学)の提唱者であるシュレーディンガーが『生命とは何か』(岩波新書・岡小天、鎮目恭夫・訳)という講演で分子生物学の端緒を論じたのが、昭和18年のことであるから、『ドグラ・マグラ』が民間においても業界においても理解されなかったのは無理はナイ。・・・この三つの書籍、言説から、「劇、それ自体」における心的領域というものに接近していきたい、というのが、私の方法だ。

2009年12月 4日 (金)

劇、それ自体・5

「書かれた劇(戯曲)」と「演じられた劇(演劇)」については、章をあらためて論じる。ただ、ひとこと誤解のナイようにいっておきたいのは、「演じられた劇」を〔現実性〕というのは、現在性(real time)のことでもないし、演者が現実(日常)の人間であるということも示していない。まして、それが叙事敵(realism)であるか幻想的(illusion)であるか、という論議とはまったく関係がナイ。・・・故人の哲学者、池田晶子は、さまざまなエッセーや論説を残しているが、終生の課題は「私とは何か」であることをさまざまなコトバで、かなり執拗に述べている。それに対する答えが彼女にあったのか、永遠の問題提起なのかは、よくワカラナイ。それは私が、そういうアポリアに強くひかれなかったのか、単なる私の怠惰なのか、あるいは問うても知れぬことに対しての諦念なのか、そのあたりの事情による。とはいえ、私は「表現」というものを考える場合、「私は世界(自然)の表現であり、世界(自然)は私の表現である)」という命題だけは提出した。(この場合の世界というのは、societypublicのことではなく、時間と空間のことだ)これは循環の論理のようでもあり、いささか狡猾な理屈でもあることは、承知している。しかし、〔私〕というものが〔世界(自然)の私化〕であり、〔世界(自然)というものが私の自然化(世界化)〕であり、この二つをつなぐ(あるいは紡ぐ)ものが「表現」というものである、ということから帰結として述べられているのがその主張であるということはコトバのとおりだ。(かなり悪文かな)・・・自然(世界)というものが私を表現する操作であるにしても、私が自然(世界)を表現によって操作するにしても、その表現は、当然のことながら、疎外という形態にある。つまり表現というのは「疎外」と「その打ち消し」を同時に持つという矛盾の中にある。この矛盾は解決はしないが、ひとは、それを克服しようとする。したがって、表現というのは、疎外でありながら、それを克服しようとする営みであるといってもいい。こういう渦中にあって、「私とは何か」と問うのは、私にはあまり問題になることではナイ。だが、「劇、それ自体」とは何かという問いかけも、似たようなものだと思う。興味のナイもの、に、とっては、数多ある演劇論と同じに並べられる駄弁にしかすぎない。・・・〔劇〕というそのものに近寄ることがむつかしいのは、〔劇〕そのものが、固有の状態や作用ではナイからだ。それらは戯曲や演劇と称されるものだ。では、その本質が状態や作用という唯物的、物質的なものでナイとするならば、〔劇〕は、ココロの表出の作用素ではなく、心的なものそれ自体と考えたほうが妥当だとおもわれる。

2009年12月 3日 (木)

劇、それ自体・4

「戯曲は~文字によって声、形又は動作を暗示する文学の一形式である~たとえそこに戯曲の生命があるとしても、文字が文字である以上の力を戯曲の中に求めることは不可能である」『・・講話』、まず、「書かれた劇」としての戯曲がなんであるのか、「演じられた劇」としての演劇がなんであるのか、を、もっとも簡潔に述べてみる。すると前者は「読める(読ませる)劇」であり、後者は「みせる(観させる)劇」だ。。もう少し突っ込んでいってみると、前者は可能性としての〔劇〕であり、後者は現実性としての〔劇〕だ。そうして、両者を架橋するものは、偶然性としての写像だ。ここでは、いまのところ観客は括弧にくくっているが、持ち出すとすれば、固有の偶然性(個人)が、一定の了解をもって、戯曲もしくは演劇と関係するものを観客(読者)と呼べばいいことになる。simple is vest.なんだかんだごちゃごちゃと、記号がどうだのシニフィアン(意味するもの)がどうだのとソシュールの言語学概念をもっともらしく提出しなくとも(『演劇学・・』)簡潔に論述すれば、芝居というものはそれだけのものだ。ただ、それだけのものに、論理的に介入していくためには、まず最初に〔劇〕というものが何でアルのかという、基根が必要だと思うだけだ。・・・付記しておけば、「書かれた劇(戯曲)」と「演じられた劇(演劇)」の架橋を偶然性の写像とするのは、戯曲というものが、ある特定の演者(たち)に向けて書かれるとは限らないからだ。私たちは現在でも、チェーホフやシェイクスピアの戯曲を演ずることが出来るが、それはまったくの偶然にすぎない、ということだ。私の戯曲もまた、どこかの誰かたちが舞台化することは多いのだが、私はその演者がどんな個人なのかもまったく知らないでいるケースが数多で、ある特定の劇団に書き下ろした戯曲もまた、のちに別の劇団によって演じられる。それ自体がひとつの偶然性に他ならないし、写像の仕方も千差万別で、戯曲作者の私の立ち入る余地のナイものがほとんどだ。これは戯曲をとらえる位相の問題だが、その関係は偶然性にあずけるしかナイ。

2009年12月 2日 (水)

劇、それ自体・3

〔劇〕とはなんだろう。演劇論が盛んだった頃は、ちょうど私が芝居を始めた時期とも重なっていたので、自立して劇団とやらを始め、戯曲などを書いて演出に手を染め出していた私は、多分にもれず演劇の論理(理論)が欲しかった。「演劇とはナニか」「演技とはナニか」「演出とはナニか」「戯曲とはナニか」という、本質論と情況論だ。で、その手の書籍を通読、乱読したが、まるで禅の修行で悟りを求めた一休禅師のごとく(そんなに立派でもなかったナ)満足な答えはナイ。演劇関連の書籍を多く出版し、私の処女戯曲集も出版してくれた、現在は評論家の編集氏に、事の次第を相談したが、「そんなものは、あなたが創らなきゃダメだよ」といわれた。それが28歳のときだ。それからも私の怠慢はつづくワケだが、さて、「演劇とはナニか」という設問をたてるとき、当然、「劇とはナニか」について答えられなければならない。岸田國士は、演劇をこう定義している。「俳優又はそれに代るべきものを以て、或る仕組まれた物語を、言葉、身振り、又は科(シグサ)によって実在化する一種の芸術である」。また、「劇」の本質を~「争闘」の中に見出し「争闘のない処に戯曲はない」という真理に到達した。~と述べている。再度いうように、この観点は、当時(大正13~14年)においては画期的な見識だ。ここで、彼は「争闘」というコトバでナニを述べているのかというと、劇作家においては戯曲表現に至る〔疎外〕を、演者にとっては演じることへの〔疎外〕を示している。つまり、「表現=疎外」という論理のとば口に立っているのだ。『演劇学の・・・』において、単に叙事的演劇と、ドラマとしての劇という分け方の検討を記述しているのとは、ずいぶんと差があるといわねばならない。この、『表現=疎外』については、後に論述していくつもりだが、(ともあれ、たいていのことは金杉忠男さん(故人)の『グッバイ原っぱ』(春秋社)で、問題提起されている)さておき、〔劇、それ自体〕を問題にする場合、「戯曲」と「演劇」はそれぞれを個別に、また架橋するものとして扱わねばならない。つまり、ふつう流布されているように、また『演劇学の・・・』で扱われているように、それは、リニア(linear)あるいはシリーズ(series)なものではなく、パラレル(parallel)なものだという前提を私たちは受け継いでいるのだから。これは、ことばをちがえていえば、「戯曲」も「演劇」も、〔劇〕が表現さたときのの固有性、または作用であって、対象であるところの〔劇〕の本質とは違うということだ。私たちが知りたいのは、ある表現をされたときの、固有性や作用の状態ではなく、そういう結果を生じる対象そのもの(劇、それ自体)の〔ほんとうの姿〕なのだ。ここで、では、「書かれないときの」「演じられないときの」、〔劇〕とはいったいどんなものなのかという、設問をたてるのは、愚挙にすぎるだろうか。たとえそうであっても、対象(劇、それ自体)の本質を知るためには避けては通れない路なのではないか。

波の記憶

トンデモ科学と思われるかも知れないが、そうではナイという確信を頼りに書いてみる。「クラモチくんが、いる」とこの欄に前述したことについてだ。それは「神秘的でも心霊的でもナイ」と書いた。では、どういうことなのか、簡略に解説する。私たちは「波長があう」というふうに、何か理由の知れない親しさを感じる他者への評価を論ずるときが数多ある。ここでは、その波というものを物理学的に(つまりmetaphor比喩としてではなく)扱ってみる。波には波長と振動数があるのは、ガッコで習ったとおりだ。エネルギーと私たちがふつうに称しているのは波の振動数をいう。(エネルギーを中国から伝来のコトバで「気」というが、病気とは、エネルギーの病んでいる(乱れている)状態と考えればいい)エネルギーの強さはこの振動数に比例して表される。アインシュタインの相対性理論により、エネルギーは質量にも比例する。これはポテンシャルエネルギー(位置のエネルギー)で、たとえばダムの水量などを思い浮かべるとワカリやすい。満水の状態のダムのほうが、渇水のときよりもエネルギーが高いと感じられるはずだ。ところで、光の量子(フォトン)や電子には質量は存在しない。身近なことをいえば、私たちの持つ熱(体温)、五感もまた質量を持たないエネルギーだ。『般若心経』をひもとけば、「色即是空」の「色」は物質「五蘊」であるが「五蘊皆空」で、質量を持たない「空」だ(『般若心経』を物理学的に観れば、エネルギーの変遷に置き換えればいいことになる)。ただし、エネルギーは、光量子にも電子にも存在する。これを量子の性質である〔波〕としてあつかった場合、たとえば私とクラモチくんとが過ごした時間と空間は、両者相互のエネルギー(波の振動)の交換の場であったと考えて不思議ではナイ。たしかに、クラモチくんは亡くなって、実体はナイが、私には、その記憶がある。つまり、彼のエネルギーとしての〔波〕の記憶を、私は自身の外界(身体)と内界(精神)という「心的領域」で重ね合わせることが出来る。環界(自然界)において彼の存在はナイが(心霊や魂のことはワカランから論じてもはじまらない)、私の「心的領域」では、その記憶は、質量のないエネルギーとして、変換出来るのだ。これを「クラモチくんが、いる」というふうに表現した。これはまた、彼の友人や未亡人の奥さまにおいても同等のことだと思われる。「脳はココロのある場所ではナイ」と記したのは、そういう理由からだ。これは、べつのカタチで、連載中の『劇、それ自体』でも展開するつもりだ。・・・(この項を書くにあたっては、『内臓が生み出す心』(西原克成・NHKブックス)に、啓示、触発された)

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