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2009年11月29日 (日)

劇、それ自体・1

『演劇学の教科書』(クリスティアン・ビエ、クリストファー・トリオー、日本語版監修 佐伯隆幸、国書刊行会)は、岸田國士の『演劇一般講話』(岸田國士全集19所収・岩波書店、執筆は大正13~14年)から殆ど一歩も歩を進められていないように感じられる。もちろん、怠惰な私ゆえ、査読精読したワケではなく、気になる部分を拾って読んだだけだが、『演劇一般講話』が(こっちはまともに読んだ)大正当時としては、群を抜いて優れた演劇論であるのに比して(この理由はアトから記す)、『演劇学の教科書』のほうは、そこでただ足踏みしているにすぎないように思える。・・・まず、「演劇」という括りについて、から、考えを述べていきたい。私たちは、ある無前提において「演劇」というコトバをつかっているが、これは「舞台」や「芝居」と殆ど同義語として用いられている。ところで、私や、故人の金杉忠男氏などは、演劇を「演じられた劇としての劇」と「書かれた劇としての戯曲」と明確に分けて論じることが多い。通俗的には、演劇は演劇であるから、演劇でいいのだが、これを論じる場合は、ちょいと事情が異なる。その場合、「演劇」というのは、「演じられた劇」を指す。ここでナニがいわれているのかというと、「演じる」ということと、「劇それ自体」とは違うものであるということだ。これは、では「演じるとは何か」「劇とは何か」という設問をつくることになる。『演劇学の~』においては、「劇」は単純に「ドラマ」と記されている。また、演じることは「演戯」とあって、定義としては「役者が遊ぶこと」と、かなり広義の設定がなされている。私たちは「劇」をドラマであるとも定義しないし、「演戯」という言説も用いないで、論理を進めていこうとおもう。

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