どこだって銭は要る
本日(19日)の中日(東京)新聞朝刊一面は、民主党の小沢一郎と水谷建設の銭のやりとりの記事だ。内容、どうでもいいや。政治には金が要る。のはワカル。と、この豪腕と称されている政治家に百歩ゆずっていい。小沢氏だって遊行に使ったワケではあるまい。しかし、銭というモノは、どこにだって要る。何も政治に限ったことではナイ。と、それくらいのことは、文化や芸術表現に無知な政治家や官僚にだって、ワカッテもらいたいのだ。現政府(民主党)は行政執行の無駄銭をなんとか回収して、宝船のように計上した予算の資金繰りに懸命のようだ。仕分け人とかが、毎日働いていて、ほう、政治家も仕事をするんだな、てな印象を受ける。廃止、見直し、と攻防が繰り広げられて、とかく銭のことに関しては、いずこも同じえらく真剣になるのだ。で、なんだかそうなるんじゃないかなと、雲行きや風向きを観ていたら、案の定で、文化庁の助成金やら、留学助成にも、火の粉は降りかかってくるらしい。そんなものをアテにして始めた渡世ではナイが、そんなものでもアテにしないと、やっていけないという、その世知辛さがイヤである。もちろん、いま私は個人で仕事をしているから、助成など受けていないが、貧者の一灯にこそ価値があるのは、釈迦仏教の時代からの真理ではないか。帳面の数字をみての討論ではなく、「正しい仕分け」をしてもらいたい。「国民の生活が大事」に対して「ひとはパンのみに生きるにあらず」といわれぬように、だ。
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