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2009年11月 1日 (日)

滑ってトル散乱するウミガメ・補足

じゃっかんの補足ということをしておく。三回に分けて掲載したものも、よりワカリヤスク書き直した。・・・アインシュタインの相対性理論においても、誤解されやすいのは、相対するモノを観ている(観測している)者があるかのように、たとえば、光速で走る電車がすれ違うとき、電車の速度はどうなるのかと、あたかも二台の電車を観ている者がいるかのような錯覚をすることだ。相対性理論では、相対するモノ(ここでは電車二台)を扱うだけだから、すれ違う電車を観測している者はいない。・・・三回にわたって述べた、ココロと表現の問題も同じで、ここで、「測定」というのは、〔対象-ココロ〕と〔スペクトル分解を通過する物理量-コトバ〕と〔検知器(受け取る側)〕がとらえたその〔測定値-表現〕であって、測定によって知り得るのは、検知器が測定値(表現)として、対象(ココロ)をいかように検知したか、だ。ここには、-第三者の観測者としての「主観」は入り込めない-。これは量子力学の大前提で、測定は、対象(ココロ)と検知器の純粋な相互作用であって、これに影響を与える観測者はいない。・・・たとえば、スペクトル分析で簡単な用例を示しておくと、虹がある。光彩をスペクトル分析すると、波長の違いで七色に分かれる。これが虹である。私たちは虹という対象を知ることが出来る。・・・私たちは対象(ココロ)が測定されている状態を知り得ることは出来る。ただ、それは、物理量(コトバ)による測定値(表現)では、決定することが出来ないという、量子力学なりの結果だ。その結果は、非決定的で完全な偶然性というものだ。さらに、測定されていないときも量子は、そのように振る舞うことが数学的にも、実験的にも実証されている。事細かにいえば、対象(ココロ)と物理量(コトバ)のはざまには、深遠なる谷があり、それをいいつくす(いいあてる)ために、私たちは表現をするが、そうして、一応の結果を得るが、それは、対象そのモノではナイ。量子力学では、対象(自然)を完璧に記述するが(また、前述したように実験成果もあるが)、物質は根源的な〔偶然性〕であり、決定論的な客観性は持たない。それと同様に、対象(ココロ)というものも、コトバと表現を用いてなお、測定され得ぬ、文目も知れぬ闇の中ということになる。と、そういうことが述べたかったのだ。補足をしておく。

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