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2009年11月

2009年11月30日 (月)

劇、それ自体・2

「脚本の価値が、演出を離れて存在し得るに反し、演出の価値は、脚本を離れて存在し得ない」(『演劇一般講話』)この岸田國士の卓見は、アタリマエのようにみえて、きわめて戯曲と演劇(書かれた劇と演じられた劇)との自立性と関係性を看破している。ここで、岸田國士は、その例として、ギリシャ劇やシェイクスピア劇を挙げるのだが、如何せん、日本の伝統劇には触れていない。この時代(現在もだが)の日本の伝統劇といえば、能狂言に歌舞伎、文楽などの存在があるのだが、脚本らしいものがあるのは、歌舞伎や文楽などで、それすらも謡い方のためのホン程度にすぎない。能狂言は、口伝であるから、戯曲や脚本にあたるものはナイ。その演目に必要な装束や道具の覚書程度のものがあるだけだ。また、脚本らしきものがあったとしても、段取りのようなものだ。もちろん、落語もそうである。噺は師匠から聞いて覚え、出稽古にいって、修練する。そんな中で、ただ、演劇というジャンルにだけは、(映画のシナリオは括弧に閉じることにして)戯曲と称される脚本がある。これがなにを意味するかは、そう難しいことではナイ。つまり、文学性の問題だということだ。岸田國士は劇作家であったことから、(ひいき目にみているのではなく)戯曲というものの重要性をこの論説では強調している。現代において、いっとき、あるいはときおり、実験劇と称して、戯曲のナイ演劇創作をやってみる連中もいるが、それらは、単純に、及びもつかぬ伝統芸を無意識に継承しているにすぎない。ともかくも、戯曲(脚本)が、演劇というあたかも連環性のあるかのような中から、取り出されて論じられたことは、瞠目すべきことだ。

勝者一炊の夢

チャンピオン内藤は、撃ち合いたかったんだろう。そうして、挑戦者亀田も撃って来ると予想していたに違いない。ところが、ゴングが鳴ってみると、果敢に撃って出たチャンピオンの作戦とは裏腹に、挑戦者の作戦は、ガード、カウンター、あわゆくばストレートで、ポイントを稼いで、12ラウンドを闘うというものだった。この効果はすでに3ラウンドめにして現れた。挑戦者のストレートが、チャンピオンの顔面を直撃したとき、試合は決まったな、と私は早くも勝敗を予想してしまった。チャンピオンにも辛い人生を闘ってきた自信があったが、挑戦者亀田のほうは、数々のマスコミのバッシングを堪えてきたという辛抱がまたあった。ハングリースポーツとはよくいったもんだなあと、決着が出たとき、あらためてそう感じた。チャンピオンの敗戦の弁「予想以上に上手かった」というのは、そのとおりの意味だと思う。孫子の兵法だ。「おのれを知り、相手を知れば、百戦百勝す」。挑戦者の勝利はこのひとことにつきるのではナイか。とはいえ、どんな強者もいつかは負ける。ただ、私はチャンピオンの負け方の潔さに敬服する。

2009年11月29日 (日)

現在地は

壮絶はときとして平然に映る。真逆である。クラモチくんの闘病はそのようなものであった。四十九日での、未亡人の談話を聞いて、そのようなコトバが浮かんだ。ここで、その凄惨ともいえる癌との対峙を記すことは避ける。ただ、「辛い、苦しい」にあたるコトバを一切、未亡人は、彼のベッドから聞いたことはなかったという。なのに、私のことは「北村くんは~云々」と、いろいろ口にしていたようで、「会いたかったんだと思います」と聞いて、病院のマップをプリントアウトまでして、いまの仕事にケリがついたらと、予定していた矢先の急変が、その時間を短縮してしまったことを、ほんとうなら悔やんでも悔やみきれないところだが、そうして充分に悔やんではいるのだが、それでも、私に不要な重荷にならぬよう、彼は死してなお、とどまっていてくれた。私にはそれがよくワカル。そんなことは、神秘的でも心霊的なことでもナイ。ひとのココロは、脳のつくりだす精神や意識をいうのではナイからだ。(余計なことだが、そういう理由で、私は脳死判定基準には反対だ)「現在地は?」というのが、友人に宛てた彼の最後のメールのコトバになった。友人、知己が幾人か、見舞いに来るというので、送信したのだ。この「現在地は?」というコトバは、そのまま我が身の情況を問いかけられているようで、彼の壮絶かつ平静な死を、私は壮絶かつ平静な生として、覚悟を強いるべきだろう。私に出来ることなどたかが知れているが、私の現在地はそういうところにしかナイ。

劇、それ自体・1

『演劇学の教科書』(クリスティアン・ビエ、クリストファー・トリオー、日本語版監修 佐伯隆幸、国書刊行会)は、岸田國士の『演劇一般講話』(岸田國士全集19所収・岩波書店、執筆は大正13~14年)から殆ど一歩も歩を進められていないように感じられる。もちろん、怠惰な私ゆえ、査読精読したワケではなく、気になる部分を拾って読んだだけだが、『演劇一般講話』が(こっちはまともに読んだ)大正当時としては、群を抜いて優れた演劇論であるのに比して(この理由はアトから記す)、『演劇学の教科書』のほうは、そこでただ足踏みしているにすぎないように思える。・・・まず、「演劇」という括りについて、から、考えを述べていきたい。私たちは、ある無前提において「演劇」というコトバをつかっているが、これは「舞台」や「芝居」と殆ど同義語として用いられている。ところで、私や、故人の金杉忠男氏などは、演劇を「演じられた劇としての劇」と「書かれた劇としての戯曲」と明確に分けて論じることが多い。通俗的には、演劇は演劇であるから、演劇でいいのだが、これを論じる場合は、ちょいと事情が異なる。その場合、「演劇」というのは、「演じられた劇」を指す。ここでナニがいわれているのかというと、「演じる」ということと、「劇それ自体」とは違うものであるということだ。これは、では「演じるとは何か」「劇とは何か」という設問をつくることになる。『演劇学の~』においては、「劇」は単純に「ドラマ」と記されている。また、演じることは「演戯」とあって、定義としては「役者が遊ぶこと」と、かなり広義の設定がなされている。私たちは「劇」をドラマであるとも定義しないし、「演戯」という言説も用いないで、論理を進めていこうとおもう。

2009年11月27日 (金)

量子力学と弁証法・続続

親鸞の「面々の御計(おはからい)」というコトバは、「善人なおもて・・・(悪人正機説)」の有名なコトバよりも、重い決意表明のような気がする。ここには、「自分には弟子などいない」「ただ称名念仏のみが頼りで、浄土へいくか、地獄へいくかは人間の計らいに属さない」という親鸞の姿勢がある。問題は、これを不可避(業縁)を本質とするかどうかだ。この論理は吉本さんにとっては、間違いなく〔関係の絶対性〕というものを根幹に置いている。そこで、私はこれを〔関係の偶然性〕というふうにいいなおしたいのだ。これは〔関係の絶対性〕を横すべりさせたものではナイ。〔関係の絶対性〕とは関係の「客観性」のことだ。だから、その反語(対称性)は、それを「主観」に置き換えた〔関係の相対性〕のように思えるのだが、私の場合はそうではナイ。〔関係の絶対性〕の「対称性」は、〔関係の偶然性〕だ。この偶然性は、吉本さんの理路によって否定されているのだが、否定されている偶然性(偶発性)は、パウリ-ユングの同期性(synchronizer)が持つ一種の関係妄想であって、私の持ち出しているのは、量子力学の本質であるところの偶然性だ。コトバを違えていうなら「非決定性」だ。量子力学において、私たちは量子の状態を知ることは出来ても観ることは出来ない。ただし、数学はこの状態を明晰に描いている。つまり、それが「偶然性=非決定性」を本質とすることをだ。ついでにいうなら、量子力学においては、ヘーゲルの観念論弁証法も、フォイエルバッハ-マルクスとつづく唯物弁証法も入り込むことはナイ。この方法論(ドラマツルギー)を以て、私は私なりの世界観を提出しているつもりだ。そこで、親鸞の「面々の御計(はからい)」というのを考えてみれば、それは〔不可避(業縁)」を根底の要因とするよりも、〔偶然(非決定)〕と意味づけたほうが、喉のとおりがよくなる。浄土へいくか地獄へいくか、そんなものは人間が決定することに非ず、むろん確率でもナイ。前世の業縁でもナイ。ナニがそう決定するのかは、弥陀の本願あるのみ。よって、ただ称名念仏あるのみ、という理念だ。ただ、この一点だけが、私とは違うということであって、吉本思想が誤謬や錯誤であるなどとは、毛頭おもっていないことを付け加えて、結語とする。

2009年11月26日 (木)

量子力学と弁証法・続

「人間は、必然の〔契機〕があれば、意志とかかわりなく、千人、百人を殺すほどのことがありうるし、〔契機〕がなければ、たとえ意志しても一人だに殺すことはできない、そういう存在だと云っているのだ」(『最後の親鸞』)という、親鸞の言説の理解は納得がいく。ただ、その〔契機〕というものを〔不可避〕であるとするところが、喉元にひっかかる。これを「業縁」とするならば、まるで、釈迦仏教以前のバラモンの教説と同じような気がする。はたして、偶然の出来事と必然の出来事、意志して選択した出来事というのは、ほんとうに「いずれも大したことではない」のだろうか。というよりも、これらを同等に並べて、さらにそれを超えるところに〔契機(業縁)〕を置くというのを、親鸞の仏教解体の構造として了解していいのだろうか。「人が勝手に選択できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうに観念と生身をあげて行為するところでは、世界はただ〔不可避〕の一本道しか、わたしたちにあかしはしない」(『同』)ここでも、〔不可避〕はやってくるものとして、説かれている。だが、私たちが「観念的に」行為するということは、それほどすてたものではナイ。〔不可避〕も観念的営為も、いずれも、自然哲学の範疇においては、さほど差などナイのではないか。吉本さんが、真の弁証法から、〔不可避〕という〔契機〕を抽出してきたのなら、私は、量子力学を援用する。ニュートン力学の領域での世間に生きるわれわれに、量子力学など見当違いに思われるかも知れないが、それはあくまで方法論である。弁証法もまた方法論なのだから。たしかに世界は〔不可避〕としておとずれる。よかれと思っての行為がいかほど仇になったことか、私自身も身をもって知っている。そこに〔関係の絶対性〕が横たわることも。ただ、私は、だからといって、諦念したことはナイ。この〔不可避〕という〔契機(業縁)〕に対しての「反抗」こそが、私の唯一の前向きであり、その根拠とするところが、弁証法でもあり、かつ量子力学(の概念)だ。前者は観念的であるかも知れぬが、後者は、観念などの入り込むものではナイ。もう少し具体的にいえば、私は量子力学の根幹である「偶然性」に惹かれている。〔不可避〕と〔契機〕の強い結びつきから離脱するためには、この「偶然性」が必要なのだ。-この項つづく

2009年11月25日 (水)

エライもんだと思う

自動車の運転がまるでダメで、18歳のとき、車校に通ったが、すぐ敗北した。運動神経には自信があったので、車庫入れとか、(ホントはなんというのか)ジグザグの運転などはすぐに出来たが、真っ直ぐに走れないのだ。最初、教官と一緒に乗ったとき、途中で止められ降ろされて「おまえは、車の運転は初めてかっ」という実に奇妙な質問(というか、罵倒)をされたので、「えっ」というしかなかった。教習所の近所に飯屋が一件あって、メニューは、めし、豚汁、玉子(しかもウズラ)だけで、中年の男女二人が、「私はもう四カ月通って、まだ路上にも行ってないんだ」「私も半年近くなんですけど、仮免がまだで」と、悲愴に話ながら、豚肉など入っていない豚汁を不味そうに食っていた。のちに、つげ義春さんのマンガを読んで、そうそう、こんなふうだったなあと回想した。その頃から現在まで、とにかく運転の出来るひとは、誰であれ尊敬している。エライもんだ。・・・高校で体力テストがあったときに、他の種目はクリア出来るのだが、懸垂だけが0回で、3級がとれなくて、あわや不合格というとき、近所の高校のグラウンドの隅にある鉄棒にぶら下がって、練習してみた。すると、逆手では何回も出来ることがワカッタ。そこで、これは筋力の問題ではナイのではないかと考え、何かコツのようなものがあるはずだと、逆手と順手の違いをいろいろと思案して、逆手のときには、鉄棒を掴んだときに腕が伸びきっていないことに気づいた。同様に順手でも、掴んだとき、ともかく腕を伸びきらさない、と同時に、ほんの少し、ワカラナイ程度に身体全体を使って反動をつけると、スイスイといけた。これで、テストは12回という記録で、3級をクリア。こっちは我ながらエライもんだと思う。

量子力学と弁証法

吉本さんの『最後の親鸞』について、この論述は吉本さん自らの思想の理想を描いたものとして、畏敬せざるを得ないものではあるが、一点、一ヶ所だけ、どうにも喉の通りがよからぬところがある。気になるので、気が済むように書いてみる。まず、本文を長いけれど、引用する。「(前略)人間は〔不可避〕にうながされて生きるものだ、といっていることになる。もちろん個々人の生涯は、偶然の出来事と必然の出来事と、意志して選択した出来事にぶつかりながら決定されてゆく。しかし、偶然の出来事と、意志によって選択出来た出来事とは、いずれ大したものではない。なぜならば、偶発した出来事とは、客観的なものから押しつけられた恣意の別名にすぎないし、意志して選択した出来事は、主観的なものによって押しつけられた恣意の別名にすぎないからだ。真に弁証法的な〔契機〕は、このいずれからもやってくるはずはなく、ただそうするよりほかにすべがなかったという〔不可避〕的なものからしかやってこない」これは、『歎異鈔』の有名な一節、親鸞が唯円に「わたしのいうことばを信ずるか」と問い、唯円が「おおせのとおり信じます」と答えて、親鸞、「それならば人を千人殺してこい」、唯円「一人でも、私の器量では殺せません」と答え、そこで親鸞は、弥陀の本願は、「何ごとでも心に納得のすることであったら千人でも殺すだろう。けれど、一人でも殺す機縁がないから殺すことをしないのだ。心が善だから殺さないのではない。また逆に殺害などすまいと思っても百人千人を殺すこともありうるはずだ」すなわち、弥陀の本願とは、人の心の善を「よし」と思い、悪を「わるい」と思って救われるのではなく、そのような人間の思量を超えたところで、助けられるのだ。と説くところに対しての、〔契機(業縁)〕に対する吉本さんの考えだ。もちろん、これは吉本思想の〔関係の絶対性〕にも通じるものであることはいうまでもナイ。ところで、私の異論とは、このとおりに衆生が親鸞のコトバを受け取ったとすれば、〔悪人正機〕説において、みずからもって悪をなすという衆生の現れることは当然のように思われる。それに対して親鸞は「面々の御計(おはからい)」と応じるのだが、この親鸞の応弁から察するに、親鸞は仏教的な〔契機(業縁)〕というものをすら、解体すべく道にあったのではないかということだ。-この項つづく

2009年11月23日 (月)

像という記憶

クラモチくんの仏前にお参りして、闘病の日記の断片や、メールのやりとりを拝読させてもらった。「力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして倒れることを拒否する」(作者不詳)というのが、彼の闘病の座右の言だ。私は18歳のときから、彼が大学に入るまでは密度の濃いつきあいをしていたが、大学に入学してからは、生涯の友人の一人となった〔ウ〕さんとのつきあいが多かったようで、昨日は〔ウ〕さんと、生前のクラモチくんのことを思いつくままに話した。共通の認識として、彼は寡黙であったこと、主義思想に関しての言動はなかったこと。があった。話していくたびに、その折々の記憶が像を切り結んだ。それは瞬間の記憶なのだが、脳のアーカイブな部分に、鮮明に、永遠のものでもあるかのようにして、収蔵されているのだった。茶の間で二人(偶然、私はいつも彼が陣取っていた場所に座ってしまったのだが、それも、〔ウ〕さんの像としての記憶であった)話しているさなか、鉢植えの花が、ポトンという音をたてて、落ちた。「いますね」「いるね」と、〔ウ〕さんと私は、そこに彼がいることを感じた。未亡人は親戚の突然の不幸のために、その日はけっきょく、同席することならず、じゃあというんで、来週の四十九日にまた、ということをその場で決めた。「なんだか、これも彼の計らいですね」「お膳立てしてくれましたね」と我々は、すぐに了解した。この世を去ってからも、いろいろ気を使ってくれることに感謝しつつ、茨城を離れた。

2009年11月21日 (土)

茨城へ

クラモチくんの仏前にお参りするため、本日は東京。明日は茨城。彼は五つ年上で、沖仲士をやって、遅くに大学に入学。私、十八歳、彼が二十二歳のときに、某コミューンの特別講習研鑽会で知り合い、その後、交友が続く。人生における、たいていのことは彼から学び、習い、倣った。生き方から、学問でいえば吉本隆明までである。。もっとも、彼は吉本学派の優等生であるが、私は、知れたことだが、単なるエピゴーネンというより劣等生にしか過ぎぬことは恥じ入るばかり。57歳の現在まで、それなりに生きてこられたのは、彼のおかげだが、まさか、彼が早逝するとは思ってもみなかった。あの頑丈だった彼がだ。数年に渡る癌との闘病は、実に真っ当なものだった。生存率100%或いは0%と記された年賀状をもらったのは、2008年のことだ。ほんとうをいうと、私は明日、ナニをしに行くのかまったくワカラナイのだ。弔うでもナシ、祈るでもナイ。強いていえば、未だにこんな渡世でございますと、報告に行く、という感じだ。・・・お供えに、白い胡蝶蘭を送った。

2009年11月20日 (金)

こっちよりあっち

本日(20日)の中日(東京)新聞朝刊一面は、「介護殺人、心中400件」。だいぶ前になるが、中日新聞夕刊の何だったか(もう、イイカゲンなんだから)のけっこう大きなインタビューで、「生き方を考えるより、死に方を考えたほうがいい」と答えたことがある。もちろん、それも一つの生き方であろうから、という注釈は付けておいたけど。いま老人と称されている御仁たちが、通っている医者といえば、圧倒的に歯科医が多い。理由は、肉が食いたいからだそうだ。老いたからといって、煮魚や野菜より、やはりステーキや焼き肉が食いたいのだ。年寄りがその生活歴から、菜食が好みであるというのは、終戦後の食糧事情のせいで、まったくの誤謬だ。いまの母親世代(四十代)の母親の世代は、料理をしようにも、食材がなかったので、いわゆる「母親の味」というのは存在しない、というのが『〔現代家族〕の誕生 幻想系家族論の死』(岩村暢子・勁草書房)の眼から鱗だが、ここでは「ごちそうというとコロッケだった」というアンケートの答えが多いのに驚かされる。杉浦茂(マンガ家)に、コロッケ五円のすけ、というキャラがあるが、私の時代はたしか一個十円だった。あの頃のコロッケは、肉も野菜もちゃんと入ってたもんな。で、と。私の実母は現在79歳である。身体、いろいろ検査の結果、何処にも異常はナイ。私のほうが数値ははるかに悪い。独り暮らしなので、この先どうなるかはワカラナイ。私は介護はしないと一筆書いた。家庭内(家族内)介護はアカンのだ。どっちもキツイ。これは自己責任ではナイ。自己責任にしてはイケナイ。あきらかに、政権担当者の憲法違反だ(第13条)。私個人は、もし、介護の必要を認めなければならない場合は、潔く、自決する。こっちよりあっちのほうがイイ。それが証拠にあっちへ行って帰ってきた者はいない。

2009年11月19日 (木)

どこだって銭は要る

本日(19日)の中日(東京)新聞朝刊一面は、民主党の小沢一郎と水谷建設の銭のやりとりの記事だ。内容、どうでもいいや。政治には金が要る。のはワカル。と、この豪腕と称されている政治家に百歩ゆずっていい。小沢氏だって遊行に使ったワケではあるまい。しかし、銭というモノは、どこにだって要る。何も政治に限ったことではナイ。と、それくらいのことは、文化や芸術表現に無知な政治家や官僚にだって、ワカッテもらいたいのだ。現政府(民主党)は行政執行の無駄銭をなんとか回収して、宝船のように計上した予算の資金繰りに懸命のようだ。仕分け人とかが、毎日働いていて、ほう、政治家も仕事をするんだな、てな印象を受ける。廃止、見直し、と攻防が繰り広げられて、とかく銭のことに関しては、いずこも同じえらく真剣になるのだ。で、なんだかそうなるんじゃないかなと、雲行きや風向きを観ていたら、案の定で、文化庁の助成金やら、留学助成にも、火の粉は降りかかってくるらしい。そんなものをアテにして始めた渡世ではナイが、そんなものでもアテにしないと、やっていけないという、その世知辛さがイヤである。もちろん、いま私は個人で仕事をしているから、助成など受けていないが、貧者の一灯にこそ価値があるのは、釈迦仏教の時代からの真理ではないか。帳面の数字をみての討論ではなく、「正しい仕分け」をしてもらいたい。「国民の生活が大事」に対して「ひとはパンのみに生きるにあらず」といわれぬように、だ。

貧者の一考・続続

「正しく見ること」「正しく考えること」「正しくいうこと」「正しく行動すること」「正しく生活すること」「正しく努力すること」「正しく修行の目的を心に留めること」「正しく瞑想すること」これがいわゆる『八正道』なのだが、「ご利用は計画的に」と金融業者のCMキャッチフレーズを思い出して、計画的に出来なかったから銭借りるんじゃねえか。「ご利用は衝動的だ」(『川柳うきよ大学』小沢昭一・新潮新書)と、焦燥をつのらせるのは、私だけではナイはずだ(私は町金からは銭借りてナイけど)。もちろん、似たようなものは、キリスト教にも『モーゼの十戒』というのがあるが、あれは「戒め」であって「律法」ではナイ。またモーゼのほうは「汝~~するなかれ」だ。「戒め」なら仏教にもあるのだが、それはちょっと横に置いといて、この苛立つ「正しく」とは、何なのか。もちろん、シッタータは、修行者に修行の方法として、これを語っているのだが、これはそのまま、到達点(悟り)でもある。そこで、私たちは、いまいちど、シッタータがなにゆえ出家したのかを振り返ってみることにする。と、要するにそれは厭世だ。そこから彼の苦行と瞑想があり、それらを捨て去ってのち、本質的な苦の源を「執着=欲望」であると喝破し、で、「正しく」なのだ。この両極端を無くして真ん中をとることは、仏教の教説では〔中道〕と称されているが、苦行でもヨーガの瞑想でもナイ、その真ん中、これを簡単にいってのければ、「正しく」というコトバは「ほどほどに」と置き換えると、もっとも「正しい」のではないかと思われる。もし、「正しく」を正義や美徳と考えれば、そのようなものは、サド公爵の『ジュスティーヌ』『悪徳の栄え』の思想において、破砕されてしまう運命をたどるしかナイ。しかし、サド公爵の造型した悪徳のものたちの悪徳も、一発の核と比するまでもなく、主義思想民族信仰宗教経済のからんだ悪からみれば、ほんの享楽にしか過ぎない。「ほどほどにしとけよ」といえばすむことなのだ。そこで、『八正道』の「正しく」を「ほどほどに」で置き換えれば、はあ、なるほどねと、不思議に納得がいくはずだ。ところが、この「ほどほど」が、人間にとって如何に難しいことか、なるほど、修行のひとつもしなきゃイカンかねえ、と、酒や博打や女や、ゲームや仕事にいたるまで、ほどほどの出来ない私たちには、身に沁みてワカルはずだ。-この項、つづく(かどうかワカラナイ。ほどほどにしとこうかな)

2009年11月18日 (水)

ほどほどと技芸者

「役者というのは、やっぱりどこか一本、線が狂ってるんだなあ」と、いろいろと名文句を残して先頃大往生された、森繁さんのそのコトバの中でも、これはイイと思う。が、まあ、新聞にはおおっぴらには書けないから、スポーツ紙に一回出てきただけ。つまり、私のようなものを含め、物書きやら演者やら、ゲージツ家やら、アーチスト(と、最近のポップ歌手は、そう呼ばれている。どこがアートなんだか知らんけど)なんかは、ほどほどではナイ仕事をしてるのだ。私のようなものは、狂気と正気を行ったり来たりしているのだが、中には行ったきりのひともいるワケで、釈迦仏教が女人を俗的には認めてはいるものの、出家修行の領域には寄せつけなかったのは、シッタータの王子時代、その感受性の鋭さ(これについては、仏教学者、研究家で意見は一致しているようだ)から観た女人の狂気というのは、八正道でもどうにもならなかったものと判断したからだろう。ついでだから、書いておく。

2009年11月15日 (日)

おしらせ

微熱が出たり引っ込んだり、典型的なうつ病期の毎日であります、んが、本日からまた出稼ぎで、三日ほど留守をいたします。渡世の義理でございます。

2009年11月14日 (土)

貧者の一考・続

バラモンの教説を棄てたところで、人生の苦しみは消えるワケではナイ。ヨーガの瞑想も、苦行もこの「解」を与えるものではなかった。そこで、シッタータは、「苦」というものは、本質的なものではないかという結論に至る。では、その「苦」はどこから生ずるのか、と、こんどは設問をたてる。(私たちは、べつに仏教をいま学ぼうとしているではナイ。シッタータの方法論を追っていきたいのだ)そのとき、おそらく最初におとずれたのは「愛欲」についての苦しみだったに違いない。シッタータ自身の回想にも、王宮での生活に対する疑問に、これがもっとも強く出てくる。金銭、衣食住に不満のあるワケがなかったから、あるいは、若さゆえの当然の帰結といえそうだ。そこから演繹すると、老いること、死ぬこと、さまざまなものは、「苦しみ」を内包している。さらに、日々の日常的な生活もまた同じだ。「苦」「苦悩」こそが、人生の本質だ。これは生きて存在している限り、ついてまわる。さらに「苦」に対する、自問はつづく。なぜ、それらが「苦」なのだろうか。それが本質であるにしても、だ。ここで、シータータは、「苦」は本質ではあるが、さまざまな日常の営為や、人生の所々において、それが生ずるのは、何かが「苦」と関係を持っているのではないかと、踏み込んでいく。なぜ「愛欲」を「苦」と思うのか。なぜ、死を苦と思うのか。なぜ、人生が苦であるのか。このときに「執着」という答えがやってくる。「苦」という対象は「執着」という状態によって、人間と関係している。では、この「執着」という関係を断ち切れば、「苦」から逃れられるのではないか。すると、修行の方法とは、「執着」を如何にして捨て去るかということにつきる。バラモンも、ヨーガも、苦行も無意味だ。その修行方法では「執着」は断ち切れない。教条でもなく、苦行でもナイ、修行の方法が必要なのだ。ついで、いうなら、シータータが初めて説法をしたのは修行者に対してである。それは、『八正道』と称されるが、すべてに「正しく・・・すること」と〔正しく〕という強調符が付いているだけだ。では、その「正しい」とは、何を意味するのだろうか。-この項つづく

2009年11月13日 (金)

貧者の一考

シッタルタ、シッダッタ、シッダルータ。すべて釈迦の名であるが、これらはみな後世の信者や教徒によって聖化された呼び名で、釈迦というのも、「シャーキャー」という梵語の漢訳語だ。ただ、その生活の背景としては、釈迦族の王子として生まれたことは、仏教学者において一致している。また、釈迦族は、幾つかの大きな勢力の国家のはざまにあって、その一つであるコーサラという国の属国であった部族王家であったということにも異見はナイ。ここでは我が青春の愛読書『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍)からシッタータという呼称を用いる。どの宗教の開祖もそうであったように、その生涯は、神聖化されて、概ね改ざんされている。シッタータも例外ではナイ。しかし、部族といえど王子のことゆえ、古い文献でシッタータ自らが回想しているように、裕福に育ったこともまた、異論はみられない。このとき、彼は出家を決意するのだが、そこには、おそらく、当時のバラモンの影響があったように思われる。バラモンは、「神」というものをもたない。開祖もなく、伝導もしない。ただ、バラモンという階層の者が、最高位にあって、説いたことは、業(カルマ、カルマン)と輪廻だ。つまり、そのひとの人生は、すでに前世からの業による決定であって、諦める他ナイという、教説だ。これに反発した者も当然存在して、彼らは苦行者、沙門、求道者と称された。彼らの主張は、反バラモンであるから、人生は生まれによってではなく、修行によるもので、それが真のバラモンであるというものだ。もう一種、ここにヨーガ行者が在る。彼らは非バラモンではあるが、苦行者とは修行の方法が異なっていて、主に瞑想による心の抑制によって、輪廻からの離脱を計る。彼らをムニ(聖仙)と称したが、つまり釈迦牟尼というのは、シャーキャームニという梵語の漢字訳だ。あまり知られてはいないことだが、シッタータは、まず、このヨーガの高名な行者に師事する。つまり、シッタータの修行は苦行から入ってそれを否定し、瞑想に至ったのではなく、まず、瞑想から入り、それに満足することが出来ないゆえ、ヨーガ修行を棄てて、苦行に入ったのだ。要するに、反バラモンもバラモンも棄てたということが、シッタータの独自の方法だった。-この項つづく

狭霧の夜空に

ひとは、幸せになろう幸せになろうとして、けっきょく不幸にたどりつく。この謎はなかなか解けるものではナイ。イエスには、旧約があった。それにそって、天国への道を説けば良かった。釈迦(シッタルタ或いはシッダッタ)が、どのような伝説に覆われていようとも、ただひとつマチガイなくいえることは、人生というものの本質が「苦しみ」「不幸」であるということを喝破したことだ。幼少から、さまざまな学問と、高名な修行僧に学んで、そのことごとくを退けたのは、最初にあげた、問いかけに対する答えがみつからなかったからだ。原始の釈迦仏教における釈迦仏陀のコトバが、驚くほど単純なのは、釈迦仏陀の説法が独特のものであったからだ。いわゆる「人(にん)をみて法を説け」(この場合の法は真理のこと)というもので、これが「対機説法」とも、「応病与薬」ともいわれる所以だ。メーテル・リンクもまた戯曲『青い鳥』で、幸せを求める物語を書いているが、これを、ふつうに主題として解読されるように、けっきょく幸せというのは、身近にあるものだ、というふうには、私は読んでいない。私の誤読は、「幸せというものは、身近にある(程度のもので)しかナイ」だ。「幸せを求めるというのは、ひとつの病気ですよ」と、不幸の門の番人が、そこまでやって来た者たちにさとすのである。そこで、幸せを求めてやって来た者が問う。「この門はなんのために在るんですか」と。門番は答える。「聞きなさい、この門こそは出口なのです。入り口の門など、何処にもナイのです」そんなバカなと、ひとは、門をくぐる。幸せからの出口の門を。

2009年11月11日 (水)

switch

カラダのほうは、ともかく横になれば、休めるのだが、思考のほうはswitchがナイので、複素数空間のカタマリが、去来する。テレビでトークバラエティを一本、観ただけで、疲れて微熱が出るのだけれど、それを抑えるのに、読書するてな、ほんとにややこしい宿痾なのだ。んでと、『仏陀語録 オリジナル』(島田裕己・三五館)は読了したのだが、この、釈迦仏陀が最初に語ったという、文言の数々、いま少し社会的背景、状況などを(多少は解説さてはいるのだけれど)示して欲しかったうらみが残る。仏陀が、コトバを書き物として残さなかったのは、その文言が、のちの世に誤解を生むことをおそれたタメだとは、考えにくいのだ。それなら語りコトバも同等だと思えるからだ。この語録には、当時の世俗(とくにバラモン教)に対しての、異論が多くあったはずだ。『九マイルは遠すぎる』で有名なミステリ作家のハリー・ケメルマンは、新約聖書に矛盾が多いのは、それがイエスの辻説法の記録だからだと断言している。(ハリー・ケメルマン自身はユダヤ教徒)ケメルマンにしてみれば、イエスのキリスト教も、当時多くあったユダヤ教の一分派でしかなく、その教えは辻説法で語られた。仏陀においても、学舎(まなびや)を持つまでは、そのような辻説法の旅がつづいたと推測される。したがって、この著書の仏陀の文言は、そのあたりのものではないかというのが、感想だ。イエスは若くして磔刑となったが、釈迦は当時としては、かなりの長命であった。おそらく、菩提樹の下から、民衆の中へ、さらに多くの弟子たちとの交わりにおいて、その哲学は熟成していったとみるのが、妥当だろう。

2009年11月10日 (火)

いまんところ

この病気は、いってみれば自己疎外なので、心身を疎外しつつ、その打ち消しに向かう。かんたんにいってみれば、身体(という自然)は治ろう治そうという働きをする。具体的には、あたかも毒を排するかのように、ナニかを出そう出してしまおうという営みをする。したがって、咳も出るし、微熱も出る。ただし、それが長くつづくことはナイ。極端な波があって、あっという間に咳や熱に苦しむと、何もなかったように、元にもどる。ただ、もっとも基本的な身体症状は(これはなかなか説明しにくいのだが、たぶん、乗り物酔いとか二日酔いのしんどさと似ているのではないかと思われる)次第に回復してきている。病理的には、セロトニンとノルアドレナリンの再取り込みをSNRI(薬名トレドミン)で抑制するという薬学的な対症療法が効果をあげているというところだ。いまんところ、いつものことなので、としかいいようがナイ。脳は思考をやめないので、メモばかりがたまる。日常生活的には、昨日は、大根と里芋を煮てみたし、今夜は肉じゃがをつくった。苦しみはあるが、不幸であるという心情には至っていない。ここまでくると、希死念慮は姿を消す。死ぬことが面倒に思えるのと、死んでもしょうがナイという、原生的疎外の打ち消しとはまた違った消極的な生存への意志というものがあるのかも知れない。

2009年11月 7日 (土)

逃眠

眼精疲労と、いつもの宿痾のため、現在、逃避仮眠中。よって、しばし、休業を許したまえ。

サービス(service

 からうじて強気な人よ 西風はうたふ涙腺上のアリアを (石川美南『夜灯集』)

2009年11月 4日 (水)

堕天使のいいぶん(even)

鬼束ちひろが、何を考えているのかは知らん。他人のことはワカランから。ところで、『月光』の歌詞を入手出来たので、こないだの『堕天使の失墜』でスルー(through)した部分を、もうちょっと書いてみる。彼女の詞が身体性からの表出であり、その身体性というのは幻想のものだ、というところだ。彼女の詞(ここでは『月光』)をひとことでいうと、これは「独り言」というしかナイ。独り言の対象は自分自身だ。その場合の自分自身というのは、現実の身体ではなく、幻想の身体(べつに観念的なといってもいいが、観念的というコトバはかなり広範囲に用いられているので、概念として、誤解されるおそれがある)だ。この幻想としての身体(性)は、現実の身体のパラ位置にあるという、対概念ではなく、客観的な視線を棄ててしまった本質直観されたものだ。歌詞の冒頭で「私の神の子供」と(英語で)自身を規定しているのはそのための、前提であるといえる。したがって、そのアトの詞はその視線で観たものと、そこから受けた心情と、で、綴られていくので、スキーマ(schema 枠組み)というものは、除去される(というか、のっけから問題にされていない)。歌詞は彼女の幻想の身体を通過して変容されているので、「腐敗した世界」「この鎖」「不愉快に冷たい壁」「「哀しい音」「効かない薬」などに対応する現実は存在しない。それらはすべて、独り言が産み出した無機的な自然(世界)の産物であり、無意識的に彼女自身のことだから、彼女自身に還元されるからだ。歌詞の末尾が「どこにも居場所なんて無い」というコトバで終わるのは、当然といえば、当然のことだ。なぜなら、対象としている世界(自然)は、変容された彼女自身という世界(自然)なのだから、彼女と世界(自然)との関係は、彼女の世界(自然)に対する特殊な了解の中に消化されていく。そうしてこの特殊な了解というのは、彼女の幻想の身体(性)そのものだ。「貴方なら救い出して」「私を 静寂から」は、その帰結としての〔孤独〕を訴えるものなのだろうが、おそらくタイトルの『月光』は、その象徴とみていい。気がつけば、冴えざえとした月の光の中に立っている(それを観ている)だけの、私、が彼女の立ち位置なのだろう。ただ、映像を観る限り、彼女の素足(裸足)と手の動きは、唯一、彼女の有機的な自然としての身体の拠りどころのように感じる。

最中のあんこ・概論

表題説明:最中(もなか)は和菓子の一種、薄皮の中身に餡が入っている。これを「さいちゅう」と読むと、モノの真ん中、あんこは代名詞:・・・マルクスの自然哲学における〔疎外〕と量子力学の運動をどう関係させて了解するのか。これは、課題でしょう、ワトスンくん。で、概論的に書けば、存在の問題として、ギリシャ哲学まで遡り、プラトンはこの世界(自然)が存在するためには、その設計図があったはずだと、考えた。この世界(自然)は不完全ではあるが、イデア(設計図)は完全で、哲学者はそのイデアへの導きをその旨とする、だ。ところで、弟子のアリストテレスは、この世界の創造物(形相と称している)には、材料というものが必要だ、机には机のティーカップにはティーカップの、それに対応した材料(質量と称している)がなければならず、それは必然的な本質であるはずで、こんにゃくでは机は出来ないという理屈だ。ところで、イデア(設計図)は落書きで、本質的な材料は存在しない、というのが、ハイデガー、サルトルの実存である。かたや、マルクスは、人間というものは、自然という対象にに(精神的にも身体的にも)触れる(何か行為する)と、自然は人間的な価値に変貌させられてしまう(人間化してしまう)、が、同時に人間も自然のほうから逆に、自然という価値(有機的自然)に変換させられてしまうと、いうたんやないかな、ワトスンくん。これがいわば〔疎外〕ちゅうやっちゃな。これをして「私は自然の表現であり、自然は私の表現である」というテーゼをたてたのよ、ワトスンくん。で、表現というのは、論理的帰結でいくと、自然と私のあいだにある〔疎外〕ということになるんやが、では、こないだまで、やってみたように、量子力学とこの〔疎外〕の関係をどう了解したらええのやろと、考えてみるのが順序やろ、おい、寝るなワトスンくん。

2009年11月 1日 (日)

堕天使の失墜

まんず、『滑ってトル散乱するウミガメ』は、補足も含めて、ワカリヤスク手をいれたので、いま一度読んでいただければ幸いである。・・・さて、You cubeで、復帰した鬼束ちひろを観たのだが、(といっても、私は『トリック』の『月光』しか詳しくは知らんのだけど)その前に予備知識として、『Jポップの日本語』(見崎鉄・彩流社)からひろってみると、彼女の歌詞が難解なのは、著者によると、歌詞の意味が難解なのではなく、スキーマ(schema 思考の枠組み)が与えられていないということで、あるらしい。著者は、末尾に「いずれにしても、鬼束はもう少し言葉を磨くべきだろう」と注文をつけるが、私はまったくそういうふうには思わなかった。この女性歌手の自作の歌詞は、おそらく身体性から出てくるものではないか、と思っただけである。その身体性はまったく幻想のものなのだが、コトバに音楽性が殆どナイに関わらず、即興的な原始の音楽性を感じた。たぶん、それは彼女の幻想する身体性から表出されてくるものだ。で、You cubeを観たのだけど、ああ、なるほど、このひとは、最初は、汚れた世界に降り立った天使であるという思いだったのが、それを否定して、そうではなく堕天使であるというところへ、失墜してしまったなという感想である。ただし、その堕落の仕方が中途半端で、一生懸命なもんだから、観ているものとしては、あるやりきれなさだけが、伝わってくる。プロは、一生懸命なんかになっちゃアカン。とだけ、述べておく。

滑ってトル散乱するウミガメ・補足

じゃっかんの補足ということをしておく。三回に分けて掲載したものも、よりワカリヤスク書き直した。・・・アインシュタインの相対性理論においても、誤解されやすいのは、相対するモノを観ている(観測している)者があるかのように、たとえば、光速で走る電車がすれ違うとき、電車の速度はどうなるのかと、あたかも二台の電車を観ている者がいるかのような錯覚をすることだ。相対性理論では、相対するモノ(ここでは電車二台)を扱うだけだから、すれ違う電車を観測している者はいない。・・・三回にわたって述べた、ココロと表現の問題も同じで、ここで、「測定」というのは、〔対象-ココロ〕と〔スペクトル分解を通過する物理量-コトバ〕と〔検知器(受け取る側)〕がとらえたその〔測定値-表現〕であって、測定によって知り得るのは、検知器が測定値(表現)として、対象(ココロ)をいかように検知したか、だ。ここには、-第三者の観測者としての「主観」は入り込めない-。これは量子力学の大前提で、測定は、対象(ココロ)と検知器の純粋な相互作用であって、これに影響を与える観測者はいない。・・・たとえば、スペクトル分析で簡単な用例を示しておくと、虹がある。光彩をスペクトル分析すると、波長の違いで七色に分かれる。これが虹である。私たちは虹という対象を知ることが出来る。・・・私たちは対象(ココロ)が測定されている状態を知り得ることは出来る。ただ、それは、物理量(コトバ)による測定値(表現)では、決定することが出来ないという、量子力学なりの結果だ。その結果は、非決定的で完全な偶然性というものだ。さらに、測定されていないときも量子は、そのように振る舞うことが数学的にも、実験的にも実証されている。事細かにいえば、対象(ココロ)と物理量(コトバ)のはざまには、深遠なる谷があり、それをいいつくす(いいあてる)ために、私たちは表現をするが、そうして、一応の結果を得るが、それは、対象そのモノではナイ。量子力学では、対象(自然)を完璧に記述するが(また、前述したように実験成果もあるが)、物質は根源的な〔偶然性〕であり、決定論的な客観性は持たない。それと同様に、対象(ココロ)というものも、コトバと表現を用いてなお、測定され得ぬ、文目も知れぬ闇の中ということになる。と、そういうことが述べたかったのだ。補足をしておく。

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