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2009年10月10日 (土)

善意の意味

近隣の友人宅で受信料放送局の『楽屋』を観る(私は受信料を払っていないので)。私などが語るのはおこがましくて恐縮なのだが、清水さんのこの戯曲に対する好感は、おそらく、女優に向けた〔善意〕で満ちあふれているからに違いない。1977年の作品で、私は例によって不勉強で、清水さんの他の戯曲は数曲しか知らないけれど(映画は脚本を読んではいないが『竜馬暗殺』を観ている。いい映画だったなあ)時代の潮流であったpoliticalな要素のナイ、おそらくはチェーホフをmotivationにする戯曲のお手本(prototype)のようなホンである。私は映像の舞台を観ながら、この女優たちに対する〔善意〕は何なのかということをずっと考えていた。もちろん、私が業種として、その世界の裏も表も知っているように、同業者の清水さんも、女優というものがどんな難物であるかを知り尽くしていたはずである。演ずる女優ABCDはそれぞれ突出し、この舞台にはアンサンブルなど不要なのだということを知らされる。チェーホフというスタンスを置かなければ、オリジナルでは泥仕合になる際どい作品なのだ。生瀬演出は、その〔善意〕よく汲み取って、それぞれの個性がひとり相撲に終わらぬよう、適切な配慮をみせていたように思う。しかし、この〔善意〕は何なのだろう。来年の二月、アベックビーズ公演の女優たちを相手にするとき、おそらく私は再び、この〔善意〕の意味を考えさせられるだろうと予感している。

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