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2009年10月 3日 (土)

理にて想う

生まれ来て 何も求めず 死にいたって 何も残さず

理想をいえばそうなる。「おまえの素質と力をもってゐるものは 町と村との一万人のなかになら おそらく五人はあるだろう それらのひとのどの人もまたどのひとも 五年のあひだにそれを大抵無くすのだ(中略)すべての才や力や材といふものは ひとにとどまるものではない ひとさへひとにとどまらぬ」(宮沢賢治『春と修羅』第二集三八四「告別」)・・・私の学んできたものは、たとえば、寿命ぎりぎりまで学んできたものは、いったいそれをどこで使うのだろうか。八〇年なら八〇年の勉学を活かすとき、私はおそらくもうこの世にいない。では八〇年分の勉学は何のためにするのだろうか。その結果は、死に際に試験があって結果が出るものでもナイ。では、八〇年の勉学は無意味、無駄なのだろうか。空疎なものなのだろうか。そうではナイ。その勉学そのものが、結果なのだ。ひとが生まれて生きて死んでいくのは、プロセス(process)ではナイ。それそのものすべてが結果なのだ。証明なのだ。人生というのは時間ではナイ。人生というひとつの現場である。

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