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2009年10月24日 (土)

可能性と現実性・8

ここでもう一度『要項』にもどる。『要項』では〔偶然性〕にどういう記述を与えているだろうか。「統一して資本を形成する三つの過程は、それぞれ時間的・空間的には別々の、相互に〔外的な〕過程である。・・・・・それらの統一は個々の資本家に関しては〔偶然〕である」「資本が生産した商品の価格が実現されるかどうか〔偶然〕のこととなる」・・・このまま読むと何のことかワカラナイのは無理もナイことだ。私たちは、これを演劇にとりあえず置換して論ずれば、それで足りるはずだ。「時間的・空間的に相互に外的な」、というのは、コトバをなおせば「日常的に、それぞれ違った生活をしている」といっておけば、それですむ。次に「資本家」というコトバを私たちは「観客」に置き換えているので、ここまでこの欄で述べてきたことをそのままいっているのと変わらない。くだいていえば、さまざまな観客とでも、思っておけばいい。次に観客が、舞台営為から受けた心象をどう対象化するかも、また偶然だといっていることになる。偶然というのは「あるかもしれないし、ないかもしれない」と同義だが、ともかくも、舞台営為と観客は劇場で、出逢っていることだけは確かな事実である。その両者のあいだには〔偶然性〕(否定的にも肯定的にも)が横たわっている。観客は泣くかも知れないし泣かぬかもしれない。これ自体を〔現実性〕であると考えれば、〔可能性〕というのは、前回で述べたように、対立する両者がいかに止揚するか、という、対立する両者によって産み出された〔剰余価値〕とでもいいたくなってくる。『要項』では、もちろん、剰余価値は資本家の手になるが、演劇においては、ほんらいは、舞台営為も、この剰余価値を受け取れるはずなのだ。それが舞台営為側の〔可能性〕となるはずだ。その〔可能性〕に拠ってのみ、舞台営為は表現を多様な疎外からの代償と成す。とりあえずは、ここまでもどってこられたので、無学の恥をさらすのは、この演目においてはここまでとしたい。

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