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2009年10月31日 (土)

滑ってトル散乱するウミガメ・続

いま対象(ココロ)である固有値には電子の±と同じに、「私だけが、あなたのこと好きです」と「あなたのこと好きなひとはたくさんいます」という作用素(固有値の種類)しかナイ。もし、一回だけこれを測定するならば、測定値(表現)はどちらか一つしかナイ。つまり、測定(再度述べるが、測定とは対象がどういうものであるのか知ることである)の値は、得られるように思える。しかし、これは、さまざまな固有値(この場合は二つの物理量)の中から、どちらか一つが〔たまたま〕観測されたというのと同じだ。つまり、この測定結果は、量子力学的にいうと、対象の状態が正確であることを意味しない。換言すれば「私だけが、あなたのこと好きです」がたとえ検出されたとしても、対象の状態がそうであったとはいえないのだ。そこで、測定の頻度を増やしていくことにする。すると、検知器ででの測定値(表現)は、両方が分散して観測されることになる。つまり、私たちは対象が、二つの状態であることを知ることは出来るが、それを決定することは出来ないという、矛盾をかかえることになる。ある対象を同じ物理量で測定しているのに、測定値は毎度違って分布されるということは、どういうことを示しているのだろうか。・・・「物理量(コトバ)と対象(ココロ)の状態の関係とはなんだろうか」「対象(ココロ)が物理量(コトバ)によって測定値(表現)と同等であるということがいえるのだろうか」「測定値(表現)は観測(受け取る側)が作り出しているのではナイのだろうか」「と、すれば、対象(ココロ)の存在自体も観測(受け取る側)が作り出しているのではナイだろうか」・・・この辺は、量子力学が受け持った疑問符を、私たちの日常における場に置き直したものだ。私が、アホなりに、ずっと疑問であったのは、量子力学の場合には「測定されないときの量子について」、つまり、対象からスペクトル分析に向かう途上での量子とは何か、ということであった。これをいま、ココロとコトバ(表現)にいいなおすと、ココロから表出され、コトバとして表現された心的なものが、その途上では、ひじょうに不確定性なものではないかという、疑問になる。私たちは、ココロを知らしめようとして、コトバで表現するベクトルを持っているが、思うに、このベクトルの方向は、ほんとうは逆向きなのではナイのだろうか。つまり、私たちはコトバ(表現)によって、ココロをさがしているのだ。いうなれば、ココロとコトバの深い隔たりに対しての希求の営為こそが表現というものだ。-この項つづく-

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