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2009年9月10日 (木)

妥協かファシズムか

民社国連立合意で、とはいえ不協和音があって、それぞれの党が満足しているワケではナイという、これはたぶん、いわゆる「水をさす」マスコミの評論、評価、解説が出ているが、そんなものは、右傾論者や自民落人を「そらみたことか」と喜ばす以外のどんな価値もありはしない。全党一致など一種のファシズムではないか。政治は妥協なのだということを政治家ならずとも、知っておくべきだと思う。何度も断っておくが、私は民主党を支持しているワケではなナイ。沖縄の問題も社民党の注文は真っ当だが、(民主岡田幹事長もそう述べたらしいが)対案の出せない社民というのはダメだと思う。そんなものは子供のダダこねと同じだからだ。いっそ非公式にでも、福島社民党首が、オバマとまではいわないが、クリントンあたりと女性政治家対決でもやりに渡米すればいいのだ。社民はどうして沖縄にこだわりながら、そこまでやる根性がナイのだ。基本的に、銃器を所有する権利が個人に認められている国家と、憲法9条を持つ国家が、どうやってワタリをつけるのか、これは連立政権がどうのこうのというレベルの問題とは違うのではないか。私は日本国憲法は正しいと認識しているし、自民党の敗退と頽廃は、単純に国民を舐めてかかったからだと思っている。要するに「驕る平家は久しからず」であり、「権力は腐敗する」である。国民を舐めず、アメリカに舐められず、ということだ。弁護がましくいうが、鳩山代表の「友愛」は小馬鹿にされたり揶揄されたりしているが、日本国憲法の根本理念(前文に書かれてある)の理想は、それに近いのではないだろうか。お笑い番組とニュースバラエティしか創れないテレビマスコミに、もっともらしいことをいう資格など、いまのところ、まったくナイ。小泉政策の構造改革とは、けっきょく富国強兵と大差なかったと、そういう反省を促す意味だけでも、308議席の責任は重いはずだ。小泉チルドレンの次は小沢ガールズだとはしゃいでいるマスコミは、どのみち、やがてファシズムの片棒をかつぐことになるのではないかと、そんな思いが杞憂であることを願うのみだ。

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