バトル
『GIジョー』を劇場でひとり観る。ふんだんに銭を使ったSFバトルアクション。話は三流なのだが、そりゃあまあ、この映画のみせたいところではナイだろう。肝腎のバトルアクションの撮り方が下手で、観ていてイライラする。ほんとうに下手。観客はここを観たいんだろ、と憤慨はなはだし。木曜の夜の回だからか、席はガラガラ。映画のバトルアクションをこき下ろしたんだからというワケではナイが、横浜未来人シアターの私の作品『モダン太陽傳』にも苦言(というより自戒なんだ、劇団の諸君はあんまり、しょげないように)を呈した。中日(東京)新聞、『エンタ目』8月20日朝刊。初日祝いの飲み会にも出席しているのだが、私は作品の感想は、酒席では避けるようにしている。次の日すぐなおるものならいうが、そうでもナイ部分だったからだ。問題は、剣戟(チャンバラ)シーンにある。私たちの世代は、チャンバラ映画のチャンバラシーンには、高揚したものだ。ところが、本作ではその高揚感がナイ。これを問題に考えた結果を『エンタ目』に書いた。曰く、generation gapというもの。チャンバラは斬り合いで、斬り合いというのは勝負で、勝負というのは命のやりとりなのだから、そうみえなくてはいけない。舞台におけるこの希薄さというのは、戯曲への書き込みの不足であることは、観ていて充分納得出来た。もっと若い人に向けた表現があったはずだと悔やんでいる。こっちは自分の視線の高さにいるものだから、そういうところに気づかなかった。多分に、昨今のバトル剣戟に毒されていたのは、私のほうであった。反省、自省、自己批判。
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