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2009年8月 4日 (火)

観客の幻像

梅雨明けとともに『アチャコ』は千秋楽を迎えた。な~んて書き出しだと、おっ、今回は文芸調かと思われるだろうが、まあ、終わったものは終わった。のべ半年の行脚であったが、東京公演の観客による感想ネット書き込みが功を奏して、観客数は、伸びていったようだ。口コミに勝る宣伝ナシとはむかしからいわれているが、いまはネットの書き込みがある。時代は変わったのである。と同時、月曜日(平日)も当日券が売れて、これは、観客というものが、その職業の多岐によって、けして土日に偏るものではナイということを示している。演劇関係者はもとより、土日が休めないっていうひとは多いのである。これなら、平日のマチネなんかも増やしたほうがいいように思う。で、四半世紀ぶりにアンケートとやらに目を通したが、四半世紀前とぜんぜん変わっていなかった。アンケート感想なんて、そんなもんだなあ。唐十郎さんが、「観客論をやるなら度胸論をやれ」と述べたのも遠いむかしだが、いまは、アンケートを読んでいるより前述したネットの書き込みを読んでいるほうがマシなのである。東京の書き込みには、「エロスはあったが、タナトスはあっただろうか」なんてのもあったらしいが、ちゃんとあったことは、ちゃんと観ていればワカルことなのだ。もちろん、あの、イライラするような舞台の時間に、「間がとりすぎで、間延びしている。もっとテキパキ」というのもあれば「ゆるゆるが、たまりませんでした」というのもあった。いまふうの(もう古いのかも知れないが)ゆるゆるだって算盤づくなのはいうまでもナイ。劇中リーディングも23分である。もう終りかなと思いきや、南総里見八犬伝の登場人物の名前の由来が始まる。たぶん、観客はここでも「まだ、八人ぶん、やんの」とヒェーッとなるのだが、そういうのって、オモロイなあ。・・・とはいえ、観客というのはナニか、という観客論がこの現在において今一度問われてもいいとは考えている。要するに、仕手からしてみれば、観手(観客)という幻想をどう捉えなおすか、舞台には何も問題を感じなかったが、名古屋の全ステージを観ていて、脳裏にあったのは、いつもそのことだった。

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