新盆初盆せんこのけぶり
父親の初盆ということもあって、帰郷。奥さまの仕事の関係で、夕方の新幹線に乗り、前日に実家に。最寄りの駅からのタクシーで、車窓に、高校生の頃、通学路にあって、毎日帰宅時に立ち寄った小さな書店が開いているのを確認。いつも確認しているのだが、その夜は、当時、ひとりで書店をやっていた着物姿に白いエプロンのおばさんをみかけたので、ああ、まだ当時と同じ姿格好で、店をやってらっしゃる、と感慨無量になってきて、胸熱くなる。そういえば、高校の選択科目では美術をとっていたから、そのときに描いた、わりと大きな号の油絵、これが少女の裸像なのだが、そんなモデルはいないから、その書店で買った写真集(当時話題になったのだが、タイトルを忘却)を観て描いたもの、それを、その書店のおばさんが貰ってくれたんだと、記憶が胸を締めつけて、帰宅時にでも立ち寄ろうかと思ったが、思い出などというものは、必ず、現実の前に壊れてしまうから、それが怖くて素通り。「追憶はこわれやすい朝のようなものだから、虹のようにココロにしまっておくがいい」と、団塊の世代なら、ご存知の、故谷川雁センセをもじって、ただ、おばさんの変わらぬ後ろ姿をだけ観る。こんなプロットが、短編小説にでも書けたなら、チェーホフや太宰なみなんだけどなあ。意余りて力及ばず。しかし、私も文豪になったらしく、ポプラ文庫(ポプラ社)の新刊『文豪てのひら怪談』では、その太宰や彼の嫌った志賀直哉などとともに、掌編小説の中に私の作品も収められている。書店でみたら、買ってけよ。
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