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2009年8月21日 (金)

映画情報『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』

根岸吉太郎監督・田中陽造脚本、原作はタイトルどおり太宰治の『ヴィヨンの妻』(その他の短編)だから、つまり、この映画の成否は小説のあのラストシーンの妻のせりふをどのようにいわせるかにかかっている。太宰を知らない(読んでいない)観客は別にして(試写室で隣の座った女性二人の片方はそうだったし、もう片方は一作読んだとか語り合ってましたから)興味はそこに集約される。1時間54分の上映時間のうち、1時間45分近くは凡庸なのだが、田中陽造のシナリオから血が流れるのはそこからである。放蕩夫(大谷・演じるのは浅野忠信)の妻(佐知・演じるのは松たか子)が終戦直後のパンパンからルージュを買い求める。ここから一気に痛烈な逆転の本塁打が飛び出す。無垢な妻に隠れていた女が現れる。(でも、たぶん、予定通りなんだよなあ)もちろん、それなりの布石は打ってある。大谷が妻のことをひとこと語った前半のせりふが、ここで効いてきてしびれるという寸法になっている。そこで、ああ、してやられたと思うのだ。1時間45分を凡俗に感じるのは、映画が太宰のことを描いているのか、太宰の作品を描いているのか、混乱してしまうからだ。それなら太宰の小説だって、そうじゃないかと、通俗的太宰ファンなら、いうところだが、『ヴィヨンの妻』は、夫の放蕩について描いた小説ではない。タイトルどおり、その妻を描いた作品である。妻、佐知が何事もなかったように、ルージュを地面に置く。このシーンで、たしかにさりげなくタンポポが映り込んでいる。魔性という妻の隠した顔に、唯一気づいていたのは、夫だけであった、ということをワカルようにして、かくして、かの名せりふは最後に吐かれるのだが、さらに田中陽造シナリオはここで塁をうめる。その直前に放蕩夫に桜桃を食べさせるのだ。「子供に食べさせなさいと、居酒屋にもらった桜桃を、父親の私が食べている」と、さらに自責のせりふをいわせる。ところが妻はそれを叱責しない。自らもひとつ食べて「甘い」と微笑む。このプロットは田中陽造でしか書けないだろう。そして、あのせりふである。思わず、涙腺がゆるむ。私なんか引っくり返っても、こんなホンは書けない。

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