隔靴掻痒
ドキュメンタリー映画『マン オン ワイヤー』が何故つまらないのか、幾つか気がついたことをあげる前に、意図的なのか偶然なのか、綱渡りをするためにフィリップ・プティが選んだビルが、9・11テロの標的となって、いまはなき世界貿易センタービルだということを、ドキュメンタリーの中に一切触れなかったのが、逆にこの映画の凄さとなった、ように思う。この凄さが何処からくるのかは、映画のラストシーン近くにフィリップが語る、綱渡りと人生についての箴言に呼応しているからに違いない。そこに、日本人以上に、アメリカ人は運命の不思議、あるいは、クリスチャン国家らしく、神の深謀遠慮を感じ取ったはずである。同様に、この映画が、綱渡りの成功映画として創られているのではなく、それが成功したがために破綻した愛や友情をさりげなく(恋人、友人、共犯者たちに、ずいぶんと謎めいて)語らせていることは、秀逸なんじゃないかと、素人の私は思う。そういう点からすると、この映画は、モノトーンの多さに比例するくらい陰影の強い、陰鬱な映画なのだ。 それとは逆に、ドキュメンタリーとしてつまらないのは、創り方が下手なだけで、綱渡りが成功しているというのは、観客すべてが知っていることなのだから、その成否をクライマックスにもってくるのは順序がマズい。綱渡りのシーンは、のっけに出してしまわないといけない。それから、綱渡りに至るまでの戦略会議と当日の大作戦をカットバックさせるべきだ。と同時に致命的な欠点は45分にも及ぶ綱渡りが動画ではなく、静止画像だけであるというところだ。それを補う手法は編集技術においてあるのだから、その技巧を工夫すべきであった。それと、再現フィルムはなくても(ないほうが)いい。再現フィルムのあるドキュメンタリーは、降霊術が手品だと予めいってるのと同じだからだ。ついでながら記しておけば、ビルからビルへの綱渡りは、ヘンリー松岡という日本の曲芸師が、昭和の始め、ニューヨークやシカゴにおいて、四十数階(当時はまだエンパイアステートビルは建築中であった)の高層ビルから高層ビルへ、合法的にであるが、綱を渡して披露、当時のアメリカ人の度肝を抜いたらしい。ヘンリー松岡は、逆綱(斜めに張った綱を渡る)の達人でもあった。このあたりは『さすらう』(白水社・芸双書・2)に詳しい。
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