インチキ
山陰に列車が入る。日本海は狭霧のごとく水平線が消えて暗くさみしい。往路復路ともに感じたことだが、この山陰はこのまま東北に地続きなのじゃないだろうか。背骨のような山脈を越えて、太平洋側につながるということがナイ。なにより、ひとの気配がしない。家屋も道路も静まり返って、その沈黙はなにかしら溜め込んだ不安につながる。おそらく冬はなおさらだろう。・・・宿泊のホテルはミスト・サウナがあるというだけで選んだので、温泉街から遠い。その温泉街にも昼間、散策を試みたが、殆どの店舗は閉まっていて、昼食をとろうとした食堂も、営業時間が夕方の6時~深夜2時となっている。ここはひなびた温泉街、というよりも旧態依然とした、いわゆる風俗的温泉街なのだ。ヌードスタジオが2軒、ソープが一軒、射的場が一軒、覗くとスマートボールまである。ホテルの食事は軒並みダメで、毎日同じ刺身が出てくるのだが、これが生あたたかい。献立のバランスが無茶苦茶で、美味い不味いという以前に、料理が下手なのだ。ミスト・サウナには、5分入って5分休憩を三回繰り返す。それからカラダを洗って露天風呂につかる。他にはなにもすることはナイ。三日目、日本一危険な観光地、三徳山三仏寺に行ってみる。役の小角が開いたという修験道の仏閣が、断崖絶壁にそびえていて、そこまでをアスレチックな登山で参拝する。道なき道で、九十度の勾配を岩や木の根につかまりながら、往復で二時間程度。もともと修験道は山岳信仰と、密教(天台宗)が融合した宗派だが、往路三分の一で息がきれて、引き返そうかと思ったくらいだ。それでも、三分の二を過ぎると、カラダのほうが慣れてきて、さすがにカラダというのは順応というのがよく出来ている。けっきょく一時間四十五分ばかりかけて、往復した。毎年一人くらいの転落死者が出るだけあって、かなり険しい道のりだったが、けっこう体力があるもんだと自分でも感心した。翌日からの筋肉痛も筋肉のある証のようで悪い気がしない。実をいうと、下山して、入り口の案内書に辿り着いたときの受け付けの作務衣の応対に、aggressiveが爆発して、蹴りを入れてやろうかという事態になったのだが、家人が必死で止めてくれたので、入り口の戸を蹴飛ばすだけで終わった。家人には説明したが、せっかく二時間かけての努力が、寺の者の横柄な態度で、すべてインチキに思えてくるのが腹立たしかったのだ。まあ、この寺はインチキではある。阿弥陀如来、大日如来、釈迦如来の三仏を本尊にしているなんてのは、欲張り過ぎである。にしても、ここにいる坊主や作務衣の者は、蒔かず刈り取らず、過去の遺産で適当な法螺ふいて暮らしているのだから、インチキには変わりない。
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