無料ブログはココログ

« イチャイチャする | トップページ | 映画情報『96時間』『サブウェイ123』 »

2009年7月13日 (月)

東の魔女から

『西の魔女が死んだ』のDVDを奥さまと二人で観る。見終わって(監督を岩井俊二と勘違いしていたこともあるのだが)「この映画はどうもダメだな」と感想を述べると、「どこが」と当然の質問。「不登校のヒロインが自然ゆたかな田舎の家で、祖母と一緒に、祖父(祖母の夫)の思い出の場所で野イチゴを摘んでジャムをつくるという、素人の書く絵本に常套的に出てくる、森のクマさんがジャムをつくりましたと、同じプロトタイプなプロットにはついていけない」といっておく(ほんとは木村裕一もステロタイプだし、この映画をもたせているのは、サチ・パーカー演ずるところのお祖母さんだけじゃないのか)と、奥さまは「でも私はジャム好きだし」みたいなことをいう。ここで、プッツンしてはいけない、おそらく、庶民大衆かつ婦女子はそういうふうにあのシーンを渡り越えているだろうからだ。私がそう素直にスルー出来ないのは、たいていが同業者であるという理由からだけであって、感性の問題とは一切関係ナイ。もう少しいうと、映画、演劇、シナリオ、戯曲、小説、その他書き物に対してだけは、私は大衆から離脱してしまっているのということだけで、ものの観方の優劣をいっているのではナイ。演劇関係の仕事を35年もやっていれば、大衆から離脱してしまうのはまったく自然なプロセスである。ただ、そうであるということの自覚は、片時も忘却したり棄却したりしたことはないし、そうしないように努力はしている。同様に最近はブログという便利なものが、表現の一種として出現したので、(かつまた、そこから生まれた小説がもてはやされるような時世でもあるので)誰しも「書く」という営為に移行することが安易に出来るようになった。上沼恵美子の毒舌や、西原理恵子の悲惨喜劇マンガに拍手して、私もひとつそういうのをという、お女郎方も多かろうが、それがたいていは単なるイチャモンにしかならないのは、むろん書き手の「芸」がナイから以外のナニモノでもナイ。ただ、芸があろうがなかろうが、いったん「書いた」(世に出した)ものは、毀誉褒貶、羨望、蔑視、批判の対象になることは、覚悟しておいたほうがいい。この覚悟のとり方がプロとの差のようなもので、素人のブログのうら悲しさはそこに起因しているとみてまずマチガイない。

« イチャイチャする | トップページ | 映画情報『96時間』『サブウェイ123』 »

北村想のポピュリズム」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/48461271

この記事へのトラックバック一覧です: 東の魔女から:

« イチャイチャする | トップページ | 映画情報『96時間』『サブウェイ123』 »