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2009年7月

2009年7月31日 (金)

初日通信

『アチャコ』初日でした。牛丼食って、途中から(視力の都合で)1時間ばかり観ました。10分ほどして、ネフローゼで闘病中の小屋主、二村さんも同席(彼はあらためて観るそうです)笑ってましたなあ。ワカンナイんですよ、この戯曲、芝居に描かれたものは、generation gapで覆われ、隠されていますから。エログロなんてのを書くのに別に勇気なんか要らんのです。観客を殆ど放置して、書きたいものだけ書く。これに勇気が要るんですな。しかし、誰も褒めないんで褒めておきますが、座長の土居は「ど」がつくほどの(名前にも、どい、と「ど」がついておりますが)下手な役者でねえ、大根役者じゃナイんです。劇団時代には、私は、こやつに、もう何もせんでいいから、ただ立ってろなんて演出してました。いわば電信柱役者。それが座長だという意地ですかね、まあ、よく立ってます。始まるまで楽屋にいましたが、スタッフの夕食のことで、トラブッてましたね。制作担当は雇われでしょうけど、座長にスタッフの弁当のことまで気を使わせてはいけません。小劇場演劇の制作なんてのは、パシリも仕事なんですから。・・・終わって初日宴会。とはいっても、客席にビニルシート敷いて、差し入れのビールを呑む。二村さん、エビスビールの差し入れとは、張り込みましたね。こちとら夜は呑まなくなったので、サイダー飲んでると、JJCの小関が、寄ってきて、「作中、歌われていた歌は、自殺したアイドルの岡田○○子の書き残した詩じゃないですか」と、そのとおり、あれをアレンジして歌詞にしたんです。それに気づいたのは、小関が初めてですね。訊けば、そのアイドルのご学友だったとか。そういう仕込みはワリとしてあるんですね。客出しのときに、私と同輩くらいの年齢の品の良さそうなご婦人から握手を求められました。みると、中学生くらいの娘さんとご一緒でした。「私は演劇を観ないんですけど、とてもよくワカッタ」と、いいですなあ、こういう観客。娘さんも上品な顔で、いやあ、エロにはまいったでしょうけど。二村さんは、さすがに、ラストシーンのせりふは、何処からの引用だね、とご質問。答えておきました。私は、こういうことを中日のエンタ目には書きたいんですけど、湯川れい子さんが、マイケル・ジャクソンを書く、崔監督が『スタートレック』を書く、それで、『アチャコ』なんてウルトラ・マイナーなもの、書いたって新聞読者には、何のことだかワカラナイでしょうからねえ。観客の方々も、出口調査(観察)では、きつねにつままれた、てな顔が多かったですな。日曜日の夜は、予約が9人だそうです。ゆったり観られますよ。

2009年7月30日 (木)

アチャコ開演

本日から大須の共同スタジオで『アチャコ』が始まる。東京では、アチャコ事務所からクレームの電話が入るだの、けっこうヤバイこともあったが、何が〔アチャコ〕なのか、観ればワカル納得出来るようにはなっている。それが、花菱アチャコという偉大な漫才師へのオマージュであることもワカルはずだ。とはいえ、内容はそのアチャコとは何の関係もナイ。30年前、私が演劇を始めた頃にやってたような演劇をやってみせているのである。従って、若い観客にはヒジョーッッに珍しい演劇に観られるはずである。演出の小林がいみじくもいったように、笑おうとしている口が開いたままふさがらないので、笑うことも出来ないのではないか。昨日ゲネプロを観た奥さまは、笑いたいのだけど、踏ん張って我慢したという。というのも、ここで笑ったら、恥ずかしい思いをするのではないかという、エログロナンセンス劇だからで、しかし、どうしても一ヶ所、我慢出来ずに吹き出したということだ。私は終始、アハアハしていた。そうしなかったのは、20分にも及ぶ、小説のリーディングシーンだけで、そこでは、私のオリジナルアダルト小説が朗読される。・・・どうも最近は演劇というのはカッコイイものだと捉えられているようだ。受信料放送局でときどき放映される東京演劇なんかを隣家で観ると、ヤッてるほうはカッコイイ気分でやってんだよな。あのな、演劇なんてのはそんなにカッコイイもんじゃないぜ。それは演劇の出自というか芸能史を紐解けば一目瞭然なのだ。ストリップとおんなじよ。心して、行きたまえ大須まで。

2009年7月29日 (水)

およびでない

斎藤美奈子さんの書評(『文芸誤報』朝日新聞出版)なんかを読んでいると、いやもういるわいるわ、作家なんてハンバーガー用の食肉ミミズくらいいるのね。で、おでの書いたものなんか、やっぱり古いんだよなあ。知り合いの編集者に送ったりしたけど(だって、読みたいらしいから)いやもう時代錯誤なんで、編集者も棄てるに棄てられずで、困ってんだろうなあ。とはいえ、いまふうの、要するに斎藤さんが書評するような体の小説は、おでには無理だな。ここは、何年か経って、読者が飽きた頃を狙うしかねえな。おでは、やっぱ、懐かしの少年小説と、戯曲書いてるしかねえな。とはいえ、目がねえ。最長不倒距離2時間で字が読めなくなってくるからなあ。困ったもんだ。・・・で、もうすぐ、『アチャコ』の名古屋公演、東京ではスズナリで楽塾の『めんどなさいばん』始まります。どっちも1時間30分から40分くらい。なんしろ、それ以上は、目がねえ。こっちの視力限界に合わせているもんだから、たいていそういう時間になる。雨は降ったり止んだり。現在、殆どキイボードの字が読めません。画面の字も同じ。これで、ピント調節目薬(医師処方)使ってんだけど、ブルーベリーってほんとに効くのかね。以前、マカの高価なの三カ月服用したけど、インポテンシャル、治りませんでしたよ。・・・今日の昼飯は、素麺にしとくかな。

2009年7月28日 (火)

夏休みなんだ

まだ梅雨も明けていないのに、そうか、夏休みなんだなあ。うちの小さな庭でも蝉が脱皮して、したばかりの蝉が植木にとまっていて、脱け殻が落ちていて、雨が降ったり止んだりで、南のほうじゃ豪雨で、またマスコミが異常気象とかいって(そんな安定した気象だった時代ってのは、地球上にありません)、やっぱり夏になると暑さでイカレるのがいて、こないだ都議選で全滅した新党の母体の宗教団体が、何だか神道になっていて、いま明治天皇と昭和天皇は高天ヶ原にいらっしゃるとかで、北のテポドンが皇居を狙っていて、いいたい放題の何でもありなら、私だって天使で地上勤務してるんだっていっちゃうかな。いま午後10時半あたりなんだけど、このあたりが、どうも心身ともにキツイんだよな。ゆんべは、寝酒をやめてから初めて、眠りがおかしい夜で、1時間おきに目が覚めて、何なんだろうな。一昨日だったか『ベンジャミン・バトン』てのを奥さまご所望で借りてきて、30分くらいつきあったけどリタイア。おでね、映画とか演劇で「人生」語られるのキライなの。今日は『幸せの1ページ(原題・ニモ アイランド)』ジョディ・フォスター主演の、洒落たアドベンチャー。無人島で、最後はめでたしの三人暮らし。いいよなあ、ああいうの。いってみれば、毎日が夏休みだもんなあ。そういうタイトルのマンガ、あったか。ありゃ日曜日だったか。

2009年7月26日 (日)

無目的

フジテレビの『26時間・生』をヘキサゴン運びなので、ちょこちょこ観ていて、こういう何の目的もナイのがテレビの真骨頂で、紳助の司会も絶妙で、ダウンタウンとからんだときなどは、浜田なんたらの幼稚さなどにはさすがに一歩も引かない芸に感心した。他局の『愛は地球を救う・24時間』には、逸話だかジョークだか、誰が考えたのか、こういう話がある。番組を茶の間で両親と一緒に観ていた子供が両親にこう質問する。「愛が地球を救うのに、どうして募金活動をしているの」・・・私が量子力学に興味を持ったのは、いっとう最初に、素粒子というものが無目的に存在したという事実を何かの物理学の本で読んだときで、その書物では、もう一歩踏み込んで、「素粒子は人間を創造するために存在しているのではありません」とあった。これは当時の私にはヒジョーに面白かった。深沢七郎さんの謂いによると、釈迦はおそらく菩提樹の下で、流れ星でも観て、ああ、人間なんてあんなもんだ。何の目的もなく生まれて滅するのだ、とそう悟ったんじゃないか。・・・たしかに不思議なもので、ただ、12時間三輪車でコースを走り抜く、という行為だけで、人間というものは感動するのだから、蛇足のエピソードや感動悲話なんかは不要だったと思うが、(モーニング娘。も要らんと思ったけど)無目的のタイセツさというものをテレビに教えてもらった。それともう一つ、「ファミリー」である。紳助のお題目が「ヘキサゴン・ファミリー」なのだが、なるほど、ファミリーというものが、固定された対幻想の延長にあるよりも、ある一定の時間、規定の場所に集合して、また解散していくというのは、たしかに家族というものの一つの未来形かも知れない。これはもっと力がついたら、小説か戯曲に出来ればいいなと、ふと思った。

2009年7月25日 (土)

弔メール

鈴木完一郎さまの御冥福をお祈りいたします。

死因は慢性腎不全ということだったけど、たぶん、糖尿病からきてるんだろうな。かなりの肥満になってたからなあ。新劇(白水社)に初めて掲載された私の戯曲『銀の骨鞄』を青年座で演出、上演は、名古屋の共同スタジオで、私の『挽歌RAブルース』と二本立てでした。もう、かなり昔の話で、あのとき、初めて名古屋の新劇人(というふうな人たち)が、共同スタジオに観客としてやってきましたねえ。あの頃は、青年座演出家若手ナンバー1のホープだったです。二人で彼の奥さんがやってる居酒屋で飲んで、『赤色エレジー』なんてデュエットしましたわ。

いろいろとみなさん、お亡くなりになります。夏はね、生きていくのにはキツイんだそうです。

2009年7月24日 (金)

137億年の孤独

いやあ、ほんとにまいってしまった。悪戦苦闘の日々である。何の話かというと、現在執筆中のヤングアダルト小説に行き詰まって、打開するのに、寝ても覚めてもで、筆が進まない。昨日は、それでも、引っ張るだけ引っ張ってやるかと適当に話を長くしたら、パソコンの手順にミスがあったようで、全部、アッという間にどっかいっちゃった。とはいえ、惜しくも何ともナイ。けっきょくはどうでもいい内容だったからだろう。で、今朝の喫茶店で、モーニングのアイスコーヒーを飲みながら、やっとプロットを幾つか思いついた。ああ、これでなんとかなりそう。・・・斎藤美奈子さんが読みたくなって、新刊を購入したが(『文芸誤報』)、いまひとついつものキレがナイのである。溜飲が下がらないのだ。最近は、批評と誹謗中傷との違いがワカラナイ輩も業界に大勢いて、もちろん、私は誹謗中傷でも筆禍でも歓迎するところなのだが、というのも、全共闘時代にそういうモノをやたら読んで育っているから、論者のボクシング(と、いまは亡き女性文学者も仰っていたが)はオモシロイんだけど、そうそう、そういえば、そのボクサーだった平岡清明さんが逝去である。吉元さんより先に逝っちゃったんである。ああ、もう世の中つまんねえ。毎度家人にアホみたいなことでいびられながら、ま、必殺仕事人の渡辺小五郎もこんなふうだからなと、こちとらは役者絵ではなく、Newtonの『新宇宙図』なんか観て、宇宙はひろいなあって、賢治の気持ちも少しはワカルようになってきた。

2009年7月22日 (水)

疲れましたネエ

七月のあたまから、まるで行脚のように外出が多くなって、横浜で舞台を観て、翌日は新宿で舞台を観て、翌日は伊丹で塾という、ふつうなら二、三日はスタンスを開けるところをいっぺんに凝縮してやったワケだから、疲労困憊。で、舞台はというと、若いひとの舞台は若いひとの舞台で、未熟だが、演劇に向ける姿勢がいいのが嬉しかった。あれくらいのホンならばいくらでも書きますから、つづけてちょうだいね。という心境だ。帰ってきて、劇作家協会の東海支部会。ここでも、都合上、短編戯曲を批評しなければならず、思うことはいっておいたが、さっそく、礼状のメールが入っていたのには、こちらが恐縮した。短編戯曲という話なら塾で、『せりふの時代』今夏号の短編戯曲特集を槍玉にあげて、片っ端からメッタ斬っていったので、ちょっとストレス解消になったかな。もちろん私の戯曲が如何に優れているかも吹聴したのである。我が塾は、戯曲の書き方を教える塾ではなく、常に私が「こう考える」ということを述べる私塾である。この日のレクチャーは「演劇の起源」というおまけつきで、今西錦司進化学から演劇の起源をさぐるという、私なりの「考え」である。終わって、いつもなら飲み会だが、今期は私が夜の酒をやめたので、お茶会。安くついていいや。次は『アチャコ』と楽塾『めんどなさいばん』。いろいろやってんだけど、ぜんぜん銭になんねえ。まあ、どこかで帳尻は合うんだろうなと、天から紙幣でも降ってこねえかと空を仰ぎみる。

2009年7月18日 (土)

休みつつですが

エアコンを入れずに扇風機で仕事。起床は7~8時でモーニング。午前中に書き仕事は終えて、昼飯。缶ビール(第三のビール)一缶。寝酒はずっとやめているが、昼間の熱さにバテて夜、就寝前にだけ入れるクーラーで、たいてい疲れているのですぐ眠ってしまう。それで、寝床の読書も最近はナシ。ということで、このコーナーのエッセィも滞りがち。今日から横浜。開港150年記念事業で、横浜未来演劇人シアターの『モダン太陽傳』(書き下ろし)を観て、日曜は新宿で21世紀フォックスを観て、月曜が塾で伊丹。ちょっと忙しい近々。月末から月初めは『アチャコ』で、8月がスズナリで『楽塾』の『めんどなさいばん』(書き下ろし)だけど、まだチラシとか送ってこねえんだけど。まあ、夏は、ことに今頃のうだるような季節は休み休みというところ。まだ、鬱病が尾を引いて、しっかりしないでいる。きついネ。

2009年7月14日 (火)

慈雨を待ちながら

夕方あたりに一雨降ってくれれば、何も彼も良くなる、というような幻想にひたって、嘔吐しそうな街ん中を歩いている。2012年12月に世界が終わるとかいうから、ほんとに終わるのならそのときまで生きていたいなと思う。世界の破滅、世のオワリというのをこの目でみたいのである。有終の美である。それにもし、そうなら、老後のことなんか考えなくていいからな。そうでなくても考えてなんかいないんだけど。けっきょく、雨は降らない。2012年も期待外れに終わるんだろうな。脳死はひとの死に決まったそうで、ということは、脳だけ生きていれば、そのひとは生きてるということなのか。バカは半分死んでるということなのかな。私なんかのようなキチガイは、殆ど死んでるんだな。私は臓器提供なんかしませんよ。持って生まれた宿命というものがあるから人生なんじゃないのか。銭のあるヤツなんか、あちこちからいい臓器を集めてアンチ・エイジングなんてやっちゃうのかね。

映画情報『96時間』『サブウェイ123』

『96時間』(製作・脚本リュック・ベッソン、監督ピエール・モレル)のほうは、主役のリーアム・ニーソンのせりふがそのままコピーで使われていいて、これが優れているので、そのまま書き写す。「お前が何者なのかは知らない。何が目的なのかもわからない。身代金を望んでいるなら言っておくが、金はない。だが、俺は闇のキャリアで身につけた特殊な能力がある。お前らが恐れる能力だ。娘を返すなら、見逃してやる。だが返さないならお前を捜し、お前を追い詰めそしてお前を殺す」で、そのまんまそうなる映画。好きだわ私、こういうの。1時間33分。ひとを殺すには非情さと愛情が要るのだ。私には非情さはあると思うけど、愛情がナイのでダメ。『サブウエイ123』(トニー・スコット監督)は1974年の『サブウェイパニック』のリメイクなんだけど、やっぱり古いなあ。デンゼル・ワシントンとジョン・トラボルタでいけそうな気配もあるんだけど、どっちもキャラがいまいち。『交渉人真下正義』のほうがよほどオモシロイ。

2009年7月13日 (月)

東の魔女から

『西の魔女が死んだ』のDVDを奥さまと二人で観る。見終わって(監督を岩井俊二と勘違いしていたこともあるのだが)「この映画はどうもダメだな」と感想を述べると、「どこが」と当然の質問。「不登校のヒロインが自然ゆたかな田舎の家で、祖母と一緒に、祖父(祖母の夫)の思い出の場所で野イチゴを摘んでジャムをつくるという、素人の書く絵本に常套的に出てくる、森のクマさんがジャムをつくりましたと、同じプロトタイプなプロットにはついていけない」といっておく(ほんとは木村裕一もステロタイプだし、この映画をもたせているのは、サチ・パーカー演ずるところのお祖母さんだけじゃないのか)と、奥さまは「でも私はジャム好きだし」みたいなことをいう。ここで、プッツンしてはいけない、おそらく、庶民大衆かつ婦女子はそういうふうにあのシーンを渡り越えているだろうからだ。私がそう素直にスルー出来ないのは、たいていが同業者であるという理由からだけであって、感性の問題とは一切関係ナイ。もう少しいうと、映画、演劇、シナリオ、戯曲、小説、その他書き物に対してだけは、私は大衆から離脱してしまっているのということだけで、ものの観方の優劣をいっているのではナイ。演劇関係の仕事を35年もやっていれば、大衆から離脱してしまうのはまったく自然なプロセスである。ただ、そうであるということの自覚は、片時も忘却したり棄却したりしたことはないし、そうしないように努力はしている。同様に最近はブログという便利なものが、表現の一種として出現したので、(かつまた、そこから生まれた小説がもてはやされるような時世でもあるので)誰しも「書く」という営為に移行することが安易に出来るようになった。上沼恵美子の毒舌や、西原理恵子の悲惨喜劇マンガに拍手して、私もひとつそういうのをという、お女郎方も多かろうが、それがたいていは単なるイチャモンにしかならないのは、むろん書き手の「芸」がナイから以外のナニモノでもナイ。ただ、芸があろうがなかろうが、いったん「書いた」(世に出した)ものは、毀誉褒貶、羨望、蔑視、批判の対象になることは、覚悟しておいたほうがいい。この覚悟のとり方がプロとの差のようなもので、素人のブログのうら悲しさはそこに起因しているとみてまずマチガイない。

2009年7月10日 (金)

イチャイチャする

いちばん先に社員食堂に行ったのに、横入りされて、けっきょく食事にありつけぬまま、食堂は閉じられてしまった。そこで、またaggressiveが爆発して、食堂の者に当たり散らした。という夢をみた。感情を抑制するクスリというのは、本来はてんかん治療のクスリなのだが、さすがに少々抵抗がある。昨日は朝夕服用したが、夢の中でこれである。そのせいもあるのか、朝っぱらから奥さまの機嫌を損ねるナニかをしたらしい。そういうことが疎くてワカラナイ質だから思い当たることをメールして謝っておいた。・・・劇団ジャブジャブサーキットの芝居を観た感想を奥さまに訊くと、いつも「今度もイチャイチャしてたねって、観たひとと話するのよ」という答えが返って来るのだが、これが何のことだか私にはさっぱりワカラナクて、「そりゃあ、どういうこと」とさらに問うと、「ラブラブの芝居よ」としか答えが返って来ない。ますますワカラン。そこで、このあいだ伊丹公演があったので、思い切って塾の講師をやってくれている女性劇作家に同じ質問をしてみたら、やっぱり「イチャイチャしていますね」と、同意なのだ。で、具体的にもう少し説明をと迫ったら、「要するに、女性に対して男性が、女性がいって欲しいと思うようなせりふをいうんですよ」ということで、つまり、その逆もあるということなのだろう。その心づもりで『せりふの時代』夏号、短編戯曲特集のはせ氏の戯曲『空の匂い』を読んだが、おそらく登場人物はすべて女性(女生徒と女教師なのだが)であるに関わらず、ああなるほどと納得出来た。これが「いちゃつく」ということだなと(戯曲の善し悪しとは関係ナイことだが)理解出来た。太宰治は好きだが、太宰のような本は書けないで、どうしても書くものが安吾みたいになるのは、女性を心理ではなく生理や病態でしか捉えられない私の拙さに因があるらしい。

2009年7月 8日 (水)

疾駆

本日のクリニックで、現在のaggressive病態(感情の起伏の激しさ)は、抗鬱剤の長期連用による副作用におけるものらしいので、ということで、それを制御するために新しくバレリンというクスリを追加処方。処方箋をみると(二枚もあるんだな)何だか精神病薬の見本市のようなありさまである。以前の主治医に、芸術に携わる者はあまり抗精神薬(安定剤など)を多用しないほうがいいという診断を受けたことがあるが、aggressiveのアトにやってくる焦燥感と落ち込みは、今期の鬱病病態の特異なもので、とりあえずは、明日から服用することにする。・・・こういうときに、嬉しい報せが三つあった。そのうち二つは関西から。もうひとつは、さっき電話で隣人からである。詳細は書けぬが、どれも「未だ信頼されている」と思うに足ることで、素直に喜んでおくことにした。必要とされる、というのは生きる糧である。・・・『西遊妖猿伝』(講談社版)大唐篇全10巻読了。かつて読んだことのあるものだが、通して読むと、こんなに短い話だったかと、いやそれがオモシロさのせいなのだろうから、あらためて諸星大二郎さんには、畏敬の念を強くする。・・・昨夜から、エアコンの除湿を就寝前に起動させる。今年はけっこう遅い。扇風機でけっこう粘ってたんだな、今夏は。

ただひたすらのaggressive

『せりふの時代』夏号、(特集・短編戯曲の饗宴)が送られてきたので、これは塾のテキストに最適だと考え、塾生全員に購入するように、事務局からコマンドしてもらった。何が最適かというと、別役さんなどは別格として、他のプロ作家の多く(あくまで多くで、全部ではナイ)が、塾生の課題作品と、クオリティにそれほどの差がナイということである。現状日本の戯曲のレベルなどはこんなもんだということを塾生が知れば、自分たちもアト一息というところで、希望と目標がもてるだろう。ついでながら、川村毅の劇評(せりふの広場)はいつもながら、唯一読むにたえる文章で、感心する。・・・流山児のブログは毎日拝読している。最近の大学生を嘆いている様子だが、そりゃあ、おまいさん、教授(准教授)の程度が悪いからだ。師匠が悪いところからいい弟子が育ったという歴史はナイ。なぜ、教授(准教授)の出来が悪いのか、ともかく個室と研究費をあてがわれて、黙って本読んでれば賃金がもらえるし、この空前の新書ブームに便乗して新書なんかを書けば論文扱いになるし、印税は入るし、知名度は上がるし、その座を追われたくなきゃ、学生の自治だのなんだの、知ったことかになるに決まっている。飼い馴らされているのは、教授(准教授)のほうである。学生のほうはバイトと恋と就カツに忙しいんでしょ。中には一発当てようと、純文学小説なんぞをネットやケータイに書くために、村上春樹を読んでる者もいるだろうけど。

2009年7月 5日 (日)

インチキ

山陰に列車が入る。日本海は狭霧のごとく水平線が消えて暗くさみしい。往路復路ともに感じたことだが、この山陰はこのまま東北に地続きなのじゃないだろうか。背骨のような山脈を越えて、太平洋側につながるということがナイ。なにより、ひとの気配がしない。家屋も道路も静まり返って、その沈黙はなにかしら溜め込んだ不安につながる。おそらく冬はなおさらだろう。・・・宿泊のホテルはミスト・サウナがあるというだけで選んだので、温泉街から遠い。その温泉街にも昼間、散策を試みたが、殆どの店舗は閉まっていて、昼食をとろうとした食堂も、営業時間が夕方の6時~深夜2時となっている。ここはひなびた温泉街、というよりも旧態依然とした、いわゆる風俗的温泉街なのだ。ヌードスタジオが2軒、ソープが一軒、射的場が一軒、覗くとスマートボールまである。ホテルの食事は軒並みダメで、毎日同じ刺身が出てくるのだが、これが生あたたかい。献立のバランスが無茶苦茶で、美味い不味いという以前に、料理が下手なのだ。ミスト・サウナには、5分入って5分休憩を三回繰り返す。それからカラダを洗って露天風呂につかる。他にはなにもすることはナイ。三日目、日本一危険な観光地、三徳山三仏寺に行ってみる。役の小角が開いたという修験道の仏閣が、断崖絶壁にそびえていて、そこまでをアスレチックな登山で参拝する。道なき道で、九十度の勾配を岩や木の根につかまりながら、往復で二時間程度。もともと修験道は山岳信仰と、密教(天台宗)が融合した宗派だが、往路三分の一で息がきれて、引き返そうかと思ったくらいだ。それでも、三分の二を過ぎると、カラダのほうが慣れてきて、さすがにカラダというのは順応というのがよく出来ている。けっきょく一時間四十五分ばかりかけて、往復した。毎年一人くらいの転落死者が出るだけあって、かなり険しい道のりだったが、けっこう体力があるもんだと自分でも感心した。翌日からの筋肉痛も筋肉のある証のようで悪い気がしない。実をいうと、下山して、入り口の案内書に辿り着いたときの受け付けの作務衣の応対に、aggressiveが爆発して、蹴りを入れてやろうかという事態になったのだが、家人が必死で止めてくれたので、入り口の戸を蹴飛ばすだけで終わった。家人には説明したが、せっかく二時間かけての努力が、寺の者の横柄な態度で、すべてインチキに思えてくるのが腹立たしかったのだ。まあ、この寺はインチキではある。阿弥陀如来、大日如来、釈迦如来の三仏を本尊にしているなんてのは、欲張り過ぎである。にしても、ここにいる坊主や作務衣の者は、蒔かず刈り取らず、過去の遺産で適当な法螺ふいて暮らしているのだから、インチキには変わりない。

誕生日

7月5日2009年。57歳になる。ここまで生きて、今日思うこと。「正しきは報われぬ」もちろん私自身を正しきひとなどというつもりはナイ。

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