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2009年6月11日 (木)

渡世の義理

『夜明けの奥地』(劇団B級遊撃隊)についての劇評(みたいなもん)が、ちょっと冷たいんじゃないかと、ハラハラしている知り合いや、また、それを読んだ作家、演出家、役者、関係者はオモシロクないんじゃないかという、同じく同業者がいるらしいので、弁明させて頂くが、ああいうものは渡世の義理というものと理解していただかなくてはしょうがナイ。家人には、ああいうことは個人的にいってあげればいいのよ、と注意されたが、私も私の稽古場では、みなさんの面前で演出上の注意を役者にすることと、個々にそうすることの区別くらいはしている。で、コトバが足りなかったかも知れないので(というのも、中日新聞のコラムとの重複を懸念したからなのだが)もう少し、老婆心を出しておく。戯曲を書く場合、モチーフとテーマとストーリーを同じものにするのは、素人かビギナーのよくやる失敗で、そんなことはベテラン作家にはよくワカッテいて然るべきだと考える。また、フォークダンスを例にした苦言は、演出家が、forme(英語ではform)とposeとの違いをまったく理解していないか、もとから無視しているかのどっちかであるように思えた、ということだ。formeとは、たとえば狂言では、それが「歩くこと」であるに対して、能が「止まる(留める)」ことであるという違いから察して頂ければと思う。もちろん、私ごときの感想など、一笑に付しても、ひとはいろいろいうからな、という程度で聞き流すも、当方は関知しない。

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