何もしない
今日は午後から強迫観念の波状攻撃というヤツだ。ビデオを観るためにつけたテレビのチャンネルがちょうど『笑っていいとも』で、その芸人に、「たいへんだね、わざわざひとを笑わせて」などと、皮肉をいったのがマズかった。じゃあ、お前は何のために演劇なんぞをやってきた。お前のやってきた演劇は何だった、と、自責が始まった。宮沢賢治を騙って、食ってきたくせに。この徒労妄想、無力妄想。さすがに表現者は、一度や二度はそんな妄想にとりつかれているようで、中井英夫さんが、あの日本ミステリのビッグ3に数えられる作品に『虚無への供物』というタイトルをつけたのは、飾りじゃナイだろう。鮎川信夫さんが「生まれてきたのはインシデンタルなギフトのようなものだから、そのお返しに書くのである」と述べたのも、表現という営為の空虚に対してだ。私はいま精神がうまく作動していないので、しばらく自責の中で、もだえてしまった。自慢の表現論も、世界は私の表現ではなくなり、私も孤絶している、というふうに、まるで世間が仮想空間のように思えて、もう生きちゃいられない、何も出来ない、と観念した。この自責はしばしつづいたが、そうだ、「何にもしないのがイチバンなのだ」「何にもしないと退屈なので遊び始めたのだ」「それが演劇だったのだ」という論理に展開出来るまで、断腸の思いだった。そう、何にもしない。何にもしなくていいのである。「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きてさえいればいいのよ」(『ヴィヨンの妻』・太宰治)
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