異議申し立て
私のことを私が〔了解〕する。これを私の時間的営為とする。私が私と〔関係〕する。これを私の空間的営為とする。どちらも私の〔存在〕を問われることである。そうして、この位置づけは(私という意識は)私の身体に関連づけられる。それが意識的であれそうでナイであれ。(こういう場合「私とは何か」という循環的な問いは、「私とは私の総体である」と答えておけば、それでとくに支障はナイと思える)そうすると、鬱病の〔了解〕は「追憶」が過去に向かわずに現在の私の存在に向かうことであり、〔関係〕は、意識がそのまま身体にめり込んでしまうという状態、外界に広がらない状態を示している。手っとり早くこれをいってのけると、「私は在る」ということがナイ、という矛盾に置かれて、その矛盾に、身体が異議申し立てをしていることが、そのまま身体の病態となって露出しているということになる。・・・ゆんべ、お決まりの身悶えする苦しさの中で、何かに無理やり熱中させて希死感の苦悶から逃れるために『心的現象論・本論』の「うつ」症論を、歯を食いしばって読んだ。その理解が以上だ。とはいえ、この、意識-身体の疎外がなぜ表出するのか、それがなぜ病態となるのか、ワカッタわけではナイ。
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