恐れ多くも畏くも
空が青いのは何故か、という問いを発してみる。科学が答えられるのは、波長の説明までであって、何故その波長をひとが「青い」と識知出来るのかについては答えられない。おそらく永遠に。同じ波長を「赤い」と識知する個体もまた在るやも知れぬ。花が美しいというということはどういうことだろう。美しい花があるということだ。というのは、自同律である。ただしこれも、その花を美しくないと思う個体があれば成立しないという独我論となる。三十余年演劇をやってきて、私は創作と論理とを二足とも履きたいと思った。両方とも独学だが、独学であるということについての注意だけは怠らなかった。独学はやはり風通しの良いものではナイ。だから出来るだけ創作も学問も風通しの良いことを心がけた。最近の舞台『アチャコ』の批評において、博覧強記などと書かれた所以は、私の知識の量(そんなもの知れている)というよりも、学問への姿勢における風通しの良さをそう受け取られたのだと判じている。二足の草鞋のうち、創作のほうは幼童期から少年時代においてその基盤が造られたようで、この時代に貸本屋のマンガから学校の図書館の文学やら立川文庫までをことごとく読んでいる。『真田十勇士』から『三国志』『水滸伝』の類である。童話ならイソップ、アンデルセン、グリム、日本の文芸童話もこの時代だ。また少年少女学習百科全書という天文学から化学に歴史など、およそ百科というに相応しい十数巻の書物はフィクション以上に好きであった。これらの数多の読書と、友達の少なかったせいもあってのひとり遊びが私の創作の源だといっていい。暇さへあれば歩きまた自転車を漕ぎながら、頭の中で勝手気儘な物語を空想するのが趣味であった。しかしながら、学問というと、これは演劇を始めてしばらく、何やら理論武装せねばならないという七十年代の飛沫を受けての旅立ちだったため、演劇論を捜すのに一苦労し、そんなものはまったくナイということを了解して、つまり自分でこれを造形するしか方法はナイと知って、悪戦苦闘せねばならなかった。既成の演劇書など屁の突っ張りにもならず、納得のいく、溜飲の下がる理論に出くわすことはなかったからである。そこで方法論として、三浦つとむさんから唯物弁証法を学び、それをきっかけにして、世の中には演劇を知るのに必要な、哲学やら思想やら、数学やら量子力学まで、さまざまな学問があることを知って欣喜雀躍、問答無用、あっちもこっちも命懸けといった調子で辿り着いたのが、「表現論」である。空が青いという、青い空があるという、花が美しいという、美しい花があるという。ただ、これだけの謎を解くために学問を重ねてきたといっていい。空が青いためには青い空とともにそれを青いという私が存在しなければならない。また私というものもまたこの世界の中の個体の一つであるからには、私は私を空や花と同じように捕捉出来なければならない。従って、世界は私に向って表現してくるものであるし、私自身がその世界の表現である。そのためには世界の表現を表現として〔表現〕出来る私の存在が必要になる。よって「私は世界の表現であり、世界は私の表現である」という帰結に至る。ここにおける帰納と演繹が、私の論理の出発点となる。これにより、カントの独我論に陥ることもなく、フッサール現象学の本質直感における主観と客観の妥当傾向に走ることもなく、ヘーゲルとマルクスを比較しながら学んだおかげで、絶対精神を追い求めることもなく、物質優位の論理に与することもなかった。ニーチェやハイデガーにおいては、演劇の指針とこれを享受することが可能であることを知り、そんでもってなんやかんやで、小説はやっぱり性にあわんのやないかなあと思い始めて、その矢先、周囲は死の棘の蔓延るを意識して、もうアト一作(一曲)最後に書くべき戯曲が書ければいい、それに着手すべきであると、さまざまな望みを絶って、そうしようとココロに決めたのだった。もうほんまにナンデモカンデモ鬱陶しいさかいになあ。アト、それだけ書ければ文句はナイわい。そういう思いの募る今日この頃でござんす。長文読了感謝。
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