無料ブログはココログ

« 阿呆は寝て待て | トップページ | パンツをはかせ過ぎ »

2009年4月14日 (火)

白骨の謎

どうしてもひっかかるので、照明家に電話してみた。収骨所で観た実父のお骨の蛍光発色のことについてである。私は、何かあの収骨室のライトが骨の白色の波長に影響を与えているのではないかと思ったのだ。で、照明家は、そういう照明はあるにはあるが、程度のことで、アトは熱、カルシウムと燐、などに言及してしばらく話をしたが、焼かれた直後で、周囲の鉄板には直接触ってはいけないと注意されていたので、お骨も熱かったはずである。この熱がカルシウムと燐の波長に影響を与えた結果ではないかという結論であった。まあ、それだけのことなんだけど、もう少し思弁的な思考も頭を駆け巡ったことは否めない。安置室から搬送された遺体は〔死〕んでいるのだが、肉体は肉体であってパッと消えたワケではナイ。それも、〔死〕そうして焼かれたお骨も〔死〕の姿である。明日に紅顔、夕に白骨とはいうが、人間の死という概念についてはやはり釈尊がもっとも早く言及しているのではないかと思えた。いわゆる「無常」である。釈迦仏教では、あの世はナイ。「滅」ということになる。従って釈尊の死も入滅と称される。これによって、『般若心経』の論理も際立って来るのだが、では「私」とは何か。釈迦思想は唯物論的弁証法においての実存主義だが、「私」というものを「関係」の中に置いてそこで消滅させてしまう。私はかなり根をつめて考え、「私は世界の表現であり世界は私の表現である」という自身の表現論の命題にやはり帰着した。この「私」の言説が時系列との座標にあるとき、祖先というDNAの脈々とした螺旋構造になって、釈尊のいう共時的関係(無常)から通時的関係(輪廻)へと向かうことになるが、脳が何故〔私〕という現存在を創ったのか、その根拠や理由や必要性は、未だ謎である。

« 阿呆は寝て待て | トップページ | パンツをはかせ過ぎ »

北村想のポピュリズム」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/48641017

この記事へのトラックバック一覧です: 白骨の謎:

« 阿呆は寝て待て | トップページ | パンツをはかせ過ぎ »