パンツをはかせ過ぎ
『演劇学の教科書』は二段組で600ページをこえるのだが、どうしてフランス人というのは、こういうもったいぶった作文をするのだろうか。(いい換えれば持って回った表現ですね)こんなもの一段の新書でやっつけられるのではないかと思ってしまう。おまけにワカラナイコトバが出てくる。「演戯」などはその最たるもので「演技」というコトバは登場しない。これは戯曲を演じるという意味なのだろうか。日本語訳になっていないのが「ドラマトゥルク」というもので、これは何かの役割らしいのだが、舞台監督でもナイ。偶然、CDで桂文珍さんの『愛宕山』を聞いていて、適訳を思いついた。「太鼓持ち」である。こういうふうに置き換えると、あまり支障なく読める。なるほど、そういう役割の人間が演劇現場に一人いてくれるとありがたい。で、エクリクチュールは書きコトバだったよなと、池田晴彦氏の『構造主義科学論の冒険』を取り出したが最後、またまた関係ナイところ(アインシュタインと量子力学のところだが)を座り込んで読んでしまった。こういうことを一日続けられればいいのだが、あいにく視力が持たない。ミオピン(調節機能改善点眼剤)さしつつ、だましだましで2時間かなあ。とにかく『演劇学の教科書』の悪文については、訳者は国語の教科書を先に読んだほうがいのではないか。などと、自分の頭の悪さはいつもどおり棚上げして、思うのである。