演技論メモ・虚実と花実
坂田藤十郎は舞台の虚(作り事・虚構)より実(現実からの観察)を重視して写実主義に徹したらしい。ところで、それによく似たバリエーションで芹沢あやめは、花(舞踏)と実(み、写実的科白劇)で舞台の所作を分けた、と『役者論語』の編者(守屋毅)は述べる。で虚実は対立概念であるが、花実は兼備であって、これを運動と観ている。つまり弁証法における〔矛盾〕をいっているのであるが、この編者はどうも毛沢東の影響も受けているようである。すると虚実は敵対矛盾であり、花実は非敵対矛盾という、毛沢東主義弁証法ということになる。私は毛沢東には与しないので、彼の矛盾の分け方には異論を持っているが、それは虚実も花実も同様に〔矛盾〕という弁証法の運動概念であるということだけである。藤十郎は間男の芸をものにするために実際に町の人妻に恋をして、間男寸前で、これでけっこうですとあっさりトンズラしたらしいが、そうしてそれは有名な芸談になっているが、私の演技論においてはしかることはどうでもいいことのように思える。それは色事は芸の肥やしというのがどうでもいいことであるのと同じである。虚構は虚構であるし、現実は現実である。私は単純にそう考えているだけだ。現実に生活をしている者が舞台の上で現実から解放されるなどということもまた有り得ない。これは矛盾というより疎外の問題である。
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