報告
第六代目の劇王は鹿目の防衛ということになった。しかしこれは薄氷の防衛であるように私には思えた。(と、本人にも話してあるが)ゲスト審査員の票も二分した。信号機に見立てた方形の箱の上での演技、箱の色をそれぞれ変えていく視覚的演出はなんとか二十分の時間を持たせたが、箱の上のドラマは何かあったのだろうか。また視覚障害者がこの芝居を観た場合、どうなるのだろうか。(実際、ナビの時代には視覚障害者が客で来ている)てなことを思いつつ、いっそミュージカルにでもすれば良かったのにと、進言しておいた。『落ち武者を斬る』では、毎度の落ち武者がもう、落ち武者ではなくて落ち武者部落の住民になっているような気がした。刈馬作品にあびせられた「何がやりたかったの」という岩松審査員の斬り方はイチバン効いたんじゃないかな。たぶん、私的な心情が劇の中核だったんだろうけど、それが説話的なところに昇華していってないから、なんのことかワカラナイのは誰しも同じだろう。久川作品については、崔審査員が神道の祝詞まで持ち出してきたが、批評が高尚過ぎて、そんなに難しいことをいわなくても、「もっと調べるべきは調べなきゃ」でよかったと思う。赤井作品については「どうして猫や犬じゃなくて狸だったのかが判然としない」という安住審査員の批評であったが、そんなことはどうでもよろしい。赤井はもう劇作家の看板降ろしなさい。瀬辺作品については一尾審査員の「あのモチーフは善し悪しだからねえ」という、要するに扱いが難しいテーマをお手頃でやっちゃうところへの批判は正当だと頷く。渡山作品は壺の中の女が無個性過ぎて(達者だともいえるが)あのありきたりの(という安住審査員評なのだが)台詞も、演技ひとつでどうにでもなるんじゃないかと、奇抜な台詞を聞かせるのではなく、ふつうの日常会話を面白く聞かせるのも芸のうちでっせと、私見を付け加えておく。
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