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2009年2月

2009年2月28日 (土)

ものはいいようもういいよう

新聞によると、ガンの大調査が行われたということだ。判明したことは、飲酒はしてもしなくてもガンになるし、ならないひとはならない。喫煙も同じく吸っても吸わなくてもガンにはなるし、ならないひともいる。かつて成人がガンになる確率は4人に一人ということだったが、個人にとっては、ガンになるかならないかの何れかであるのはアタリマエのことであり、ガンになるかならないかは確率が5割であることが正しい。長生きするだけガンに罹患する率は高くなる。これはガンになる前に死ぬかどうかということで、長く生きればそれだけリスクも高くなるのはアタリマエのことである。ガンの宣告について、私は以前、町医者から咳の原因は肺ガンかも知れないので、CTスキャンを大病院でやれといわれた。結果、何も異常はなく、いわゆるストレス性の咳としか考えられないということであったが、あの時もし異常があったら、宣告するかしないかもヘチマもなく、という立場に立たされることになる。何度もいうが医者と呼べるのは100人のうち一人くらいで、その一人を100人集めて、中の一人がまともな医者と呼べる。他にも面白い調査では、ガン患者の余命であるが、これを調査した結果、担当した医者の善し悪しでしかナイことが判明した。これは世間に向けては公表されていない。アタリハズレなのである。まあ、人生、何事もそうであるが、何処かで帳尻は合うと信じていなければ生きてはいけない。

2009年2月27日 (金)

映画情報『チェンジリング』

現在上映中、さらに興行ランクベスト1の映画である。クリント・イーストウッド監督でアンジェリーナ・ジョリー主演とくれば、観に行かないほうがどうかしている。2時間20分も何のその。ふつう年取ると監督はダメになるんだけど、イーストウッドだけは例外中の例外。もはや彼の映画はアメリカの良心とさへいえる。自由と正義の国、アメリカンドリーム、そんなのウソだよと、声高にでなく、粛々と平然と訴えるんだから、まいっちゃうです。にしても、アンジェリーナ・ジョリーの演技はどうだ。奇をてらわず、ふつうの働く女性が地獄のどん底で抗う姿勢を演じて、これまたごく自然に観客をアトラクトする。『おくりびと』で浮かれている場合ではナイのだ。あれは、御本家アカデミー賞の余裕、懐の深さというやつですぞ。『硫黄島からの手紙』で、夜に日章旗が出ているのは変だ(この件に関しては以前にも書いた)なんてのたまっている映画評論家がいるこの国の映画事情はまだまだですよ。 

2009年2月25日 (水)

映画情報『ジェネラル・ルージュの凱旋』

映画、演劇、みな作り話なんだから、どうせ創るならこれくらいは創らねばというふうな、一応原作がいまをときめく売れっ子作家(シリーズ累計700万部だそうです)海堂尊。その傑作中の傑作とあって、2時間ちょいを心地よい緊張感が貫く。やっぱ原作がいいんだろうな。おでは読んでねえけど、例によって。主役が竹内結子、これがまあ、ハマってる。探偵役は阿部寛、これは出来てアタリマエ。堺雅人があの風貌、キャラから離れていい演技してみせてる。それは高嶋政伸もまた然り。いつもと違うねというのが、新鮮でいい。役者だもんなあ、演技しなくっちゃ。海外ドラマの『ER』に影響とはいい過ぎだが、その向こうを張ってというドラマ創りである。殺人もあり、その犯人の隠し方も上手い。観た帰りに原作の本を書店で捜してみようかという気になる。ここが『K-20』と違うところかなあ。・・・で、こちとらは仕事がナイというストレスで血圧が上がること、まあ。穀潰しだなあなんていってたら、奥さまに「自分で稼いだ金で飲み食いして何処が穀潰しなのよ」と一喝された。季節のせいもあってか、ここんとこ、自信喪失でかなり萎縮してることは、ワカッテるのではあるが、本日も吐き気がつづく。また寝るのが朝方になるかなぁ。

2009年2月24日 (火)

不条理なりんごたち

夕餉の買い物をすまして、マーケットの外の喫煙所の柱にもたれ、煙草をくゆらすと、まるで背中に建物の冷たさと重さを背負っているように感じられた。・・・と、いうふうな文章はダメだと思う。陳腐である。ここは、晩飯の買い物をすまして、マーケットの外に設えられた粗末な喫煙所の柱にもたれながら煙草をくゆらした。背中が冷たく重かった。とすべきだ。というか、そこまでしか私の文章力はナイ。こういうことをいままで書いたすべての短編について、いわゆるナオシを入れるカタチでやっている。それからワードに変換してCDにファイルする。べつに発表するアテも出版出来る保証もナイ。そう思うと、なにやら自分がカミュの『ペスト』の登場人物である医師の一団で、ペストに対して不条理な闘いをしているようにさえ思えてくる。不条理というのも科学哲学教宗派の一派にかかれば、単にストレスというふうになってしまうことは間違いない。ご近所に旧オウムの連中の修行場が出来たので、大慌てで引っ越した帝京大の科学哲学経済学の准教授を心底笑う。何が「確率」だ。なにが「ゲーム理論」だ。あほらしい。マーケットは100年に一度の大不況にあって打ちひしがれている様子はなく、なおも抗う活気がある。これがあるうちはまだ大丈夫なんじゃないかと肌で感じる。・・・演劇はスポーツでも教育でもナイ。文化であるのかどうかなど与り知らぬところだが、それは慰みであり、玩具であり、遊びである。春から中日新聞本紙で始める『エンタ目』の書き出しはそうすることに決めている。| 

2009年2月23日 (月)

祭のアトの祭

かの20年来の映画も終わってしまえば泡沫の、だな。てところで、同じROBOTさん、本場のアカデミー賞をアニメ『つみきのいえ』で受賞。おめでとうございます。私がこの欄で褒めちぎった『おくりびと』も受賞。ヒョーロンカのセンセは、日本文化を扱ったことがめずらしくうつったのではとかなんとか、いうてはったけど、納棺師なんてのは映画観るまでその存在を知らなかったし、おで。でも山形では尊敬される職業なんだってね。生きるも死ぬもヒトは尊厳である。感動である。ベタなストーリーもかえって観てるほうに負担がなくて良かったんだなあ。『ヤッターマン』といい、最近教えられることが多いわ。・・・本日は朝4時まで呑んでたのがたたってか、昼間からぶっ倒れて蒲団の中。今日は休肝日じゃナイけど、呑むと吐いてしまいそう。昨日もそれを無理やり呑んだのが×だったか。アルコールにも紛らわすことが出来なくなって、さあ、いよいよ土壇場の心境です。(土壇場とは、江戸時代の罪人が斬首の刑にあった刑場をいいます)短編小説の残りをやっつけるくらいかな。故村上女史の父上から原稿の礼状来る。ひとつ、仕事終わる。

2009年2月20日 (金)

慰める

『必殺仕事人2009』第六話、いい出来でしたねえ。しかも、もう1クール(六月まで)やることが決定したという。ああ、寿命が伸びた。六月いっぱいまでは死ねないな。哀れな同心の美人妻、初枝、み覚えのある女優だなとラスト・ロールをみていたら、なんだ田中美里ちゃんじゃあ~りませんか。良かったねえ、いい仕事があって。仕事人への依頼の理由がまたいいんだなあ。人情なんて時代劇にしか残ってナイご時世だもんねえ。決めの台詞もまことにオーソドクスでけっこうざんした。中村主水が出番の少ないワリには存在感、ちゃあんとあるんですねえ。おではね、こういうツクリモノを馬鹿にするもんたあ、つきあいたかねえな。こちとらどうせ役に立たない仕事をしてんでえ。せいぜい出来ることは、今日死のうと思ってるひとがおでの芝居を観て、死ぬのは明日にすっかと思ってくれる、その妄想で40年近くやってきたんでえ。慰みものは承知の上よ。芸術どうのも理屈がどうだもアトからつけりゃあいいだけのこと。インテリの玩具じゃねえんだから。ちったあ溜飲下がったことだから、またコツコツ天使の仕事やりましょね、と。

2009年2月19日 (木)

こいつにきめた

タイトルに意味はなくもないのだが、いま、関西で行われている精華演劇祭は、故人中島陸郎さんを偲んでというモチーフであるが、中島さんがコピーライターをしてらしたとき、エースコックのワンタンメンのあの有名な「ぶたぶたこぶた、おなかがすいた、ぶーっ」に続くのが「ぶたぶたこぶた、こついにきめた、ぶーっ」なのである。内閣の支持率がまた急落したそうである。さらに例の給付金の案件、正確には08年度第二次予算関連法案を衆院再可決で成立させる与党方針については6割以上が反対している。エースコックのぶたはいいけど、国会の豚はアカン。こういうことをやられると、国民の大多数が反対して支持していない国民皆兵、徴兵制度なんかでもけっこうごり押しで決めることが出来るんじゃないかと、思ってしまったりする。てなふうに、自分のこと、つまり燃え尽きて消し炭のようになった我が身の心身の疲弊を恨むより、よりアホなことをくさしていたほうが気がまぎれるのである。生ゴミが寝たきりになっている。とはいえ『心的現象論本論』は〔身体論〕を終えてやっと〔関係論〕すすめるところまできた。遅々たるかな微々たるかな。樽ものは負わず、重たいから。

ワカリにくいんだかやすいんだか

そうだよな、やっぱり補正予算なんだよな。で、2008年度の。だから3月までなもんで、3分の2の議席で多数決で衆院で議決するつもりと。が、ライオンが吠えてるもんだから、またまたややこしくなってきていると。いや、吠えたおかげで、政治オンチのおでにもやっとわかっただよ。民主党だって、いつなんどき呉越同舟になっちゃうか危機感あるんだ。しかし、大衆はあれだぜ、2兆円やるから11年度から消費税10%にしますじゃ、シラケるよな。そういうの朝三暮四とかいうんじゃないのかい。大衆は猿か。にしても、今頃なんでライオンが吠えるんだろうな。議員はもう引退とかいってたのに。小泉劇場とかいうらしいけど、ドラマツルギーがまったくわかりゃあしねえ。いや、簡単なのかな。案外、大山鳴動ねずみ一匹かもな。・・・それにしても、こないだ伊丹から帰りの新幹線で京都でちょうど雪だったな。いつ国境の長いトンネルを抜けたのか知らなかったけど、古都は雪だった。少しセンチメンタルで良かったな。おでも雪のように散ってしまいたかったな。

2009年2月18日 (水)

要するに興味ナイんだな

補正予算でなくて、年度予算でしたね。しかし、泡沫の政府が来年度の予算を必死で通そうとしているというのは、こっちのほうが中川大臣よりも醜態なんじゃないのか。16%支持率でなくて14%でしたか。ジャンキー、ドラッカーのあいだでは、中川大臣があれだけヘロヘロになるのにどんな風邪薬を飲んだのか話題と噂がしきりに飛び交っていることでしょう。抗ヒスタミンとかいってたけど、じゃあ、眠かったのかな。抗ヒスタミンの副作用で。しかしレロレロにはなんないでしょう。すると腰のクスリか。でもそりゃあ鎮痛剤でロキソニン程度でしょう。まんず、今度、薬剤師(そういえば、今日はクリニックだな)に聞いておこう。内閣発足当時すぐに辞めたのが中山で今度が中川。山と川、討ち入りだなこりゃ。で、麻生にも辞めてもらおうという機運らしく、もう、なんなのここはお国を何百里だぞ。国じゃナイじゃん。それとも国家上層部挙げての喜劇じゃん。名古屋市長選挙は与党派候補者が、公認ではなくて、推薦にしたそうな。ポンチ絵マンガはここにまで色を落としているのだ。もう、解散。で、総選挙じゃなくて、それもなし。政治オシマイ。経済調整委員会だけつくっておけばよろしい。

往生際

ご無沙汰でございます。『ヤッターマン』ショック(いいショックなんだけどね)からこっち、腑抜けになっていて、とはいえ、『高校けんかえれじい』はあとは、故村上敦子の仏前に届けるだけということで、ま、私なりにこじんまりと。敗軍の将は兵を語らずとはいうけど、敗軍の兵もまた将を語らない。なんか三連敗しそうでって何の話かワカンナイだろうけど、ブログ(エッセーだけど)に書けないこともあるからね。でもって、気晴らしに世間に目を向ければ、まだ総選挙やんないんだねえ。支持率16%の政府が、補正予算なんてつくったってしょうがねえんじゃナイかなと思うんだけど。負けるから選挙しない。ということはいま負けてるってことなんだよな。こういうのを往生際が悪いという。で、ナニ、また大臣が辞任。まあ、総理も含めて大臣なんてのはいてもいなくてもこの国の立ち行きにはあんまり影響ナイような(あっても悪影響かな)気がスルけどね、おでには。うだうだしてるうちに、おいおい、あのキチガイ元総理が吠えてんの。いまの世の中の暗雲混迷の総責任はライオン頭のおめえだろうが。そういうのすぐ忘れるんだもんなあ。自衛隊よ、クーデターのチャンスはいまだぞ。

2009年2月13日 (金)

無知蒙昧

べつにマゾというのではナイけれど、読書の傾向はどうしても自身の無知を気づかせてくれる書籍になり、疲弊を癒してくれるというのはコミックが受け持つということになる。相変わらずパラレルに読書をしているが、読むのも書くのも遅々たるもので、そうたくさんは出来ない相場だ。米原万里さんの『打ちのめされるようなすごい本』は打ちのめされながら読んでいるし、斎藤美奈子さんの『読者は踊る』も書評なのだが、よくもまあそんなに多く上手く読んで書けるものだなと、蒙を啓かれっぱなしだ。呉智英センセの『健全なる精神』は買ったことを忘れていて二冊買ってしまった。で、これもいま読了間近。ただ呉智英センセはあくまで評論家で思想家ではナイ(本人はどう思ってるのか知らんけど)ところはサルトル級で、吉本隆明さんを貶すにしても、吉本さんの方法論が読み込めていないなと、不満は残る。吉本さんにしても駄本はあるのだから、駄本をコケにしたってツマラナイと思うのだが。その吉本さんの『心的現象論本論』も蟻の歩みで読んではいるが、『序説』を読むのに10年かかったにしては理解が早くなったのは、多少はおでもペテンの具合がよくったかとは思うんだけど。他に数冊、何のためにというでもなく、定年退職開店休業で読んでいたら、今日、国書刊行会発行の『久生十蘭全集』の1、2巻が届いた。三一書房のは全巻譲ったので、これを唯一生きていられたらの楽しみ癒しに本棚に仕舞った。小説の才がナイゆえに、億劫になっていたが、今日から手持ちのものをプリントアウトして、朱を入れている。送るべきところに送って整理すべくという魂胆である。それが済んだら小説も開店休業。昨日までは何をする気力もなかったが、ようやくなんとか暇つぶしする揚力が生じてきて、低空飛行くらいならやれそうな気配だ。ともかく早いとこ久生十蘭に辿り着きたいものである。

映画情報『ヤッターマン』

三池崇史監督作品。いわずと知れた『ヤッターマン』。これ三池監督はマンガ(アニメ)を実写でやったのではなくて、実写でマンガを創っちゃった。実に楽しかったでやす。負けたなあとショック。『K-20』はどうして伸び悩んだのかなあ、と家でもらしたら、奥さまが「あの映画は面白かったけど〔毒〕がなかったのよ」と正鵠を射たお答え。参りました。『ヤッターマン』は毒気でいっぱい。三池監督が「おめえらこういうのが観たかったんだろ」といわんばかりのドラマツルギーであります。面白かったのではなく「楽しかった」ですわ。単純明解、ストーリーも台詞も。マンガでしか通じないだろうと思ってたのに、ちゃんと実写(といっても、かつてのディズニー『メリーポピンズ』のようにCGとの合成なんですが)で活きてるの。いやあ、これがおでにはイチバンしょっくよ。帰りの電車、何台か見送ってしまいましたわ。昨日休肝日にしておいて良かった。もう、呑むしかないね。おでもまだまだ未熟。なのに定年退職開店休業、嗚呼、出るはため息。でも、楽しかったなあ、この映画。

2009年2月10日 (火)

ため息

朝、クスリを飲み忘れたのか(一日一回の血圧のクスリ)夕方近くに散髪に行こうかという段になって、ふらついて気分が悪い。血圧を計ってみると170-140である。こりゃあイカンとクスリを飲んで、30分ばかり待つことにした。そのあいだにコレ書いているのである。ゆんべは『アチャコ』の歌稽古を覗きにいって、帰りに行きつけらしい店でちょいと1時間ばかり一杯ということになった。けっきょく2時間ほど飲み食いしたのだが、7人で呑んで一人当たり1650円だから、やっぱり打ち上げの飲み放題3500円は高かったなあととケチなことを思った。飲み放題いといってもこっちは宴会では呑めないので、ビールを少々に烏龍茶である。じゃあ喰うかと思ったが、揚げ物が多くて、胃にもたれそうでいけない。ゆんべは、アゴの干物や姫ほっけに酢モツ、キャベツの大盛りと、呑むのに手頃。とはいえやはり外ではせいぜい日本酒を五勺である。昼間働いてないのでまあいいか。しかし、としみじみ考える。私は泰然自若という痴呆でもなく明鏡止水という阿呆でもナイ心境の定年退職開店休業なのだが、もう35年やってきたんだからいいとして、他の劇作家のみなさんはこれからも書き続けなきゃならないんだなあ。たいへんだよ。何だか哀れな気がしてため息がでた。因果だねえ。と、さてまた血圧計ってみよっと。

2009年2月 9日 (月)

報告 

第六代目の劇王は鹿目の防衛ということになった。しかしこれは薄氷の防衛であるように私には思えた。(と、本人にも話してあるが)ゲスト審査員の票も二分した。信号機に見立てた方形の箱の上での演技、箱の色をそれぞれ変えていく視覚的演出はなんとか二十分の時間を持たせたが、箱の上のドラマは何かあったのだろうか。また視覚障害者がこの芝居を観た場合、どうなるのだろうか。(実際、ナビの時代には視覚障害者が客で来ている)てなことを思いつつ、いっそミュージカルにでもすれば良かったのにと、進言しておいた。『落ち武者を斬る』では、毎度の落ち武者がもう、落ち武者ではなくて落ち武者部落の住民になっているような気がした。刈馬作品にあびせられた「何がやりたかったの」という岩松審査員の斬り方はイチバン効いたんじゃないかな。たぶん、私的な心情が劇の中核だったんだろうけど、それが説話的なところに昇華していってないから、なんのことかワカラナイのは誰しも同じだろう。久川作品については、崔審査員が神道の祝詞まで持ち出してきたが、批評が高尚過ぎて、そんなに難しいことをいわなくても、「もっと調べるべきは調べなきゃ」でよかったと思う。赤井作品については「どうして猫や犬じゃなくて狸だったのかが判然としない」という安住審査員の批評であったが、そんなことはどうでもよろしい。赤井はもう劇作家の看板降ろしなさい。瀬辺作品については一尾審査員の「あのモチーフは善し悪しだからねえ」という、要するに扱いが難しいテーマをお手頃でやっちゃうところへの批判は正当だと頷く。渡山作品は壺の中の女が無個性過ぎて(達者だともいえるが)あのありきたりの(という安住審査員評なのだが)台詞も、演技ひとつでどうにでもなるんじゃないかと、奇抜な台詞を聞かせるのではなく、ふつうの日常会話を面白く聞かせるのも芸のうちでっせと、私見を付け加えておく。

2009年2月 7日 (土)

雑感

劇王初日、審査員の岩松了氏に「私ゃ最近『時効警察』にはまってんのよ。んで、麻生久美子ってどうよ」と訊ねると、「あのこはね、女優にしてはめずらしく性格のいいこでね、その地の部分が出ないように気をつけてるくらいなの」そうか、と、ミーハーの私、納得。まあ岩松氏はメジャーの女優さん相手の仕事が多いからひどいのもいるんだろうなあ。で、今年は作品数が2本減ったから楽になったかと思いきや、Aプロの一位『どっきり地獄』、なんだこのタイトルは、でイリュージョンに転換するあたりの手際の悪さ。こういうのだったら、うちの塾生のほうがまだ書ける。期待の刈馬カオスはどうやら平塚の悪行の祟りでもあったらしい。さて、Bプロ。市瀬佳子『喉仏マロンす』こういうタイトルがいいのだ。アベビの中島が出演することをついぞ忘却していて、あれ、出てるとはまったく下手こく話だが、小熊ヒデジの演出がいい。ちゃんと演技指導も出来ている。何でみなさん演出が上手いのかなあ。おでは下手だもんな。ともかくは1スジで、ひじょうに無難なお芝居らしい芝居でした。こういう弱者の味方のような芝居はいいよな。こんなご時世だから。サカイヒロトの『マ・・(長いので略)』はシンボリックなドラマツルギーで攻めてくるのだが、説明的に過ぎる。黒衣代わりの赤ん坊は要らんと思うぜよ。学生服を着ている理由なんてどうでもいいじゃん。こういうところに実直な性格出してどうすんの。狂気を表現するには正統の側からの視線が必要なんじゃねえかな。さて、明日の巴戦、もちろん、鹿目の演目如何。市瀬の作品はけしてこじんまりしているワケではナイ。劇的な要素をクライマックスにしているのである。劇的とは何か。刺激的なんじゃないの。ちがうの。

2009年2月 6日 (金)

演技論メモ・虚実と花実

坂田藤十郎は舞台の虚(作り事・虚構)より実(現実からの観察)を重視して写実主義に徹したらしい。ところで、それによく似たバリエーションで芹沢あやめは、花(舞踏)と実(み、写実的科白劇)で舞台の所作を分けた、と『役者論語』の編者(守屋毅)は述べる。で虚実は対立概念であるが、花実は兼備であって、これを運動と観ている。つまり弁証法における〔矛盾〕をいっているのであるが、この編者はどうも毛沢東の影響も受けているようである。すると虚実は敵対矛盾であり、花実は非敵対矛盾という、毛沢東主義弁証法ということになる。私は毛沢東には与しないので、彼の矛盾の分け方には異論を持っているが、それは虚実も花実も同様に〔矛盾〕という弁証法の運動概念であるということだけである。藤十郎は間男の芸をものにするために実際に町の人妻に恋をして、間男寸前で、これでけっこうですとあっさりトンズラしたらしいが、そうしてそれは有名な芸談になっているが、私の演技論においてはしかることはどうでもいいことのように思える。それは色事は芸の肥やしというのがどうでもいいことであるのと同じである。虚構は虚構であるし、現実は現実である。私は単純にそう考えているだけだ。現実に生活をしている者が舞台の上で現実から解放されるなどということもまた有り得ない。これは矛盾というより疎外の問題である。

演技論メモ・下手とハサミ

伊澤勉という役者がいた。どうしようもなく下手な役者で、何をやらせても、というか、何をやらせたか記憶にナイのだが、故人の相米慎二監督などは、彼が舞台に出てくると「二枚目、早く引っ込め」とココロの中で罵倒したそうである。たしかに遅れてきた二枚目、前世代の日活や東映のニューフェイスというふうに映ってもおかしくはなかったろう。そこで、私はこの〔下手〕を前にして考えた。「下手ならば下手をみせて観客を面白がらせてはどうだろうか」そこで生まれたのが、後にシリーズ化される『伊澤勉のア・ホーマンス』である。殆ど構成台本のみでせりふの多くが行き当たりばったりというこの演目は大当たりした。なにしろ、小林正和と二人、四文字熟語合戦(どっちが多く知っているかという他愛もないゲーム)で、平気で「公衆玄関」などというのである。「公衆便所があるからには公衆玄関があってもいいじゃん」というのが、もう屁理屈を通り越した彼の理屈であった。ところで、『役者論語』にはこれとよく似た話が出てくるのを最近発見した。歌舞伎役者の大看板、坂田藤十郎の写実主義があまりに素晴らしく、手負いの看護をするときの手さばきが見事だと褒めそやされしとき、当時のライバルであった一方の名人山下京右衛門は「では私は出来るだけ無器用な看護をみせて、手負いの看護が出来ないところを見事に演じたと、観客にほめられるようにしよう」といってのけたのである。伊澤勉は現在、上手な演技をやろうとして、まったくつまらない役者になってしまったけどもね。

そしてまた冬がくる

そしてまた冬がくる/いつのまにか齢をとった/そのことは記憶している/北風のきびしい震える声が/俺にも聞こえるようになったからだ/骨身に何がしみるのかがわかるようになったからだ/うけいれるということをカラダが知るようになったからだ/夕陽がまぶしくなくなって/この丘に独りでたてるようになったからだ/春来たりても去り逝くひと多く/夏はいつしか遠いノスタルジアになってしまったが/そうして秋の実りの至福のときをただ泣くようになってしまったが/それはまた冬がくるからだ/消え失せた松明を蹴飛ばして/少しはかっこうつけてみるけれど/やがてまた冬はくる/冬のつぎにくるものがなんであるのか知ってはいるが/さよならだけだが人生だろが/またくる春はナイものを/この丘に立つまなざしの私だけの風景だけが/告げている/そしてまた冬はくる

2009年2月 5日 (木)

週間真木よう子

七日から始まる『劇王』の記念品にするべく、ゆんべは『週間真木よう子』の残り10本を観て2時。それから呑んだので4時就寝。特に呑みたくなかったけど、神経興奮してるのでしょうがない。感想といえば、要するに脚本家も演出家もマンガしか読んでねえな、と、すぐにワカル程度。マンガを写像実写したような雰囲気作品ばかり。にしても、真木よう子というのは25分もたないんだなあ。美貌とプロポーションだけではあきませんな。モノローグになると活舌が悪いのが露呈して、呂律があやしくなる。そうか『SP』のときはせりふが少なかったんで良かったんだな。他にはナニもとくにナシ。・・・このところは『時効警察』にはまりきり。麻生久美子がなんで、男モテするのかを奥さまに訊ねられて、そうだなあ、ワカランな。としか答えられない私。奥さまは「この女優は、ちょっと〔はかない〕よね。それがいいんじゃないかしら」と明解なお答え。なるほど、彼女で『ひめゆり』ものなんかやられたらタマランな。『夕凪の街 桜の国』だったかに出演されてたそうですが、私、あれ原作のマンガ読んでまして、映画は観ませんでした。まあ、ぴったりの役だったんじゃないでしょうか。基本的に私、原爆ドラマは観ません。

2009年2月 4日 (水)

ゆく河の流れ

きんの、ひさしぶりに『めしや食堂』に行ってみるかと、昼飯に出掛けまして、途中、つぶれてたりしたら大笑いだななんて思ってたら、ほんとにつぶれていて、大笑いはしませんでしたがまあ、こんなもんだな世の中はと思いました。と。つぶれた理由はもちろん客が来ないからなんだろうけど、その理由は毎日のメニューが同じであるということにつきる。三日は続けていってられませんよ。ふつうの、いわゆるタクシー運ちゃんご利用のめし屋は、品数は少ないが毎日メニューが変わるのである。したがって顧客がいて、続いていく。少々割高ですけどね。つぶれたのなら仕方がないということで、近所のドラッグ・スーパーで、カップ麺を買って昼飯は漬け物とその麺と飯。なんとまあな食卓でありましょうか。五十六歳にもなって、学生さんか独身サラリーマン。ま、ビールは呑みましたがね。で、休肝日というワケではなかったけど、夜はひれ酒をつくったけど殆ど呑んだのは奥さまで、私は呑む気もなく、寝酒もナシ。ついに『週間真木よう子』の封切り。三本観たなあ。林師範がいうとったけど、ほんま、つまらんわ。ああ、後悔しきり。もっと早く観て、劇王の記念品にでもすりゃ良かった。

2009年2月 3日 (火)

みんなビンボでいいじゃないか

百年に一度の不景気だというからには、私が子供の頃のあのつつましい貧乏所帯、朝は茶漬けを流し込み、昼はバターご飯かマヨネーズご飯を食べ、夜はインスタントラーメンライスか、一汁一菜ではなく、ただの一汁か一菜だけ、あの生活は何だったんだろうと追憶はハテナマークになる。食生活にせよ、着るものにせよ、持ち物にせよ、いまよりランクがいくら落ちたって別にかまわないし、困らない。飯に味噌汁がつくということ自体、贅沢しているようで恵まれているような気がしているのだから、ビールなんざ、発泡酒でも、どうせ最初の一杯が美味いだけで、アトは惰性だから、同じだし、外で呑む趣味はナイし、パチンコはもう卒業したというか、いまの釘のないパチンコは何が面白いのかワカラナイ。呑むつったってパック酒か焼酎なんだから、大不況とかいうけれど、毎日ステーキ食ってたワケでなく、みんなが裕福になるのも、いい生活かもしれないが、みんなが貧乏であればそれでいいじゃないかなどと、またへそ曲がりなことを考えている。ただし、住居がナイ(テントも含めて)のはどうかと思うけどなあ。

昼夜反転

休肝日が多くなって、中三日くらいになってくると、アルコールの味がもどってくる。昼間のビールが美味くて、ついつい二缶も呑んでしまう。これが効くんだなあ。昼寝の時間が長くなると、今度は宵っ張りになって、三時か四時あたりまで起きている。休肝日はアルコールなしでただ起きている。あまり観たり読んだりすると血圧だけが上がってしまうので、ただ、ぼんやりしていると、まあたいていは希死念慮である。何で死にたいのか理由がナイ。不思議なものだ。幽霊でも何でもいいから出てきて、話し相手になってくれないかなと思うが、精進が悪いのか、一度もそういうのはナイ。鬱でナイときは、頭が勝手に仕事する。戯曲や小説のプロットやせりふがザンザカ出てくる。いいのだけメモしておく。これはそうしているのではなく、ほんとうに勝手に脳が働くのだからしょうがない。休肝日をいいことに、呑みすぎるからか胃の具合が悪くなる。胃癌かなとも思う。だとしても何か未練はあるかなと巡りめぐって考えて、けっきょく何も未練がナイことに一抹の寂しさがあるだけだ。さて、明日はその休肝日でございます。

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