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2009年1月25日 (日)

演技論メモ・役を創る

自らを知る(心身ともに)ことをそれがたとえ不完全だとしても「自体識知」ということができれば、他の一切は「対象化識知」ということになる。(これは、『心的現象論本論』の概念のまんまである)ここで、役者が役を知る、認知することについて考えてみたい。これは「自体識知」と「対象化識知」の奇妙なというか、本質的な混在である。順序だててみる。まず台本なりを役者は手にする。そこに自分の役(詳細にいえば、せりふ)が書かれてある。これを認知するということはどういうことなのだろうか。書かれているのは役であって他人であるから、一種の対象化の認知であるともいえる。しかし、演じるのは自分自身なのであるから、演者はここで自身を対象化しなければならない。とはいえ、自身はこの世に二人とナイ、自己自身なのだから、それは自体識知の変容だということになる。と同様に対象化識知の変容でもある。演者(役者)が役を想定(創造)する場合、必ずこの道程を引き受けねばならない。ここが最も演技の上で難度のレベルが高いところのような気がする。しかし、この演技のテクニックさへ手中にしてしまえば、役者としての仕事は殆ど終わっているといっていいと思う。昨今はそれを〔スタイル〕として造形するのが最も手っとり早いということで、演技というのは、演技スタイルの造形のように把握されているようだ。ほんとうにそうなのかどうか、この種のメモは、気がついたらとっていくことにしたい。

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